小麦畑の潮騒を聞きたくて

@kotomiwordsea

第1話 霧雨の中

 閃光が上がる、誰かが大きな花火でも打ち上げたかのようだ。視界を真っ白にした目の前の光が収束するとともに、徐々に視界が明らかになっていく。

 視神経が暗順応を起こすとともに、頬に伝う滴を感じた。私は閃光と共に戦場に送られてしまった。

 頬を伝う雫が、私の首元に入り込む。霧雨が舞う街路を行き交う人の中で私は傘も差さずに立っている。先ほどまで乾燥した砂漠気候の土地にいた私には、霧雨という細かく降る雨に現実感をつい忘れそうになってしまいそうだったが、首回りの急激に冷える感覚が強く現実へと私を連れ戻した。胸打つ鼓動の激しさは弱まらず、震える喉を過ぎる呼吸の激しさも弱まることはない。唇から漏れ出る白い息が寒さを物語っているのだが、私の頭を流れる血流は熱いままだった。

 周りを見回そうと振り返った際に、雨に濡れた石畳には適さない履き古した靴裏のゴムが磨り減ったスニーカーのため、思わず足元が滑り右斜め後方に手をついてしまった。その手の先には黒い靴が有り、見上げると男が立っていた。

 この男も私同様に傘を差さずに立っているのだが、男の表情には雨を気にする色もない。黒尽くめの服を身にまとっている姿を私は憎々しく睨むも、私の感情をかける図りなど、この男には存在しないことを重々承知のことだ、ため息の一つでもつきたくなるようなところだが、解くことのできない緊張が私にそれを許さなかった。男の緑色の瞳には感情というものを感じられなかった。まるで、その眼球には光がさしてないかのようだ。

 男は傍からは見えない存在なのだから、気にする必要はないのだろうが、私自身は目立つことを避けなければならない。周囲の人は皆傘を差して歩いている。

 傘に半分隠れた顔の一つ一つに私は視線を送った。

 幸い、私が出現した場所は歩道なので、出現場所としては人に紛れやすい。それは助かるのだが、いくら、紛れやすいとはいえ傘を差さずに歩道に立ち尽くすのは取るべき行動ではない。私は歩道沿いの店舗の軒下へと移動した。一人の少女が私を指差して立ち止まっている。

 私は、その少女から目を逸らせずに、ただ私に真っ直ぐに向かう指に串刺しにされたかのように固まってしまった。

 少女に話しかける人がいる、どうやら親のようだ。そして少女はその大人とともに歩き去っていった。少女は急に出現した私を訝しんだだけのようであった。少女の他には、私の存在を周囲に溶け込まない異物として認識している人はいない。人々の傘は私を浮き立たせたが、同時に人々の視界をも遮ってくれたようである。

 私は安堵し、独り呟いた。

「あの女の子と殺し合いをする必要がなくて良かった」

 男は音もなく私の隣に立ち、その顔を滴る水を拭おうともせずに、微動だにしなくなった。この生命を感じさせない男の存在によって、私はこの場所に送られてしまった、これで二度目だ。


 一度目に送られたのはちょうど一週間前であった。

 その初めて私が送られた日、私は、まだ冬が終わる前の季節の中、暖かくなることを心待ちに日々を過ごしていた。極稀にしかない寒さが和らいだ日差しの中、ピーカンナッツの木に結びつけらたブランコに腰下ろし、私はピーカンナッツの木を見上げていた。

 ブランコに腰を下ろしてはいたが、そのブランコを揺らし幼稚園児のように遊んでいたわけではなかった。そのブランコの上が私にとって落ち着く場所であったのである。このブランコは私が幼い頃、兄が近所の家の庭のブランコに憧れ作ったものであるのだが、ブランコの左右のロープの長さはそれぞれ倍ほども違っていた。ピーカンナッツの木は横に枝が伸びるのでは、斜め上に伸びるため、ロープを結びつける枝の部分の高さに大きく違いが生まれ、この様になってしまった。その長さの違い故、ブランコの揺れは前後ではなく、弧を描いた。もう15歳になった私にとっては、このブランコを漕ぐという行為は魅力的ではなかった。

 もっとも、兄はその結果に満足していた、ユニークな結果というものを兄は愛していたのだ。親が、長さが揃うように、異なる枝にロープを結ぶことを提案しても、兄は受け入れなかった。

 私はブランコの上から、遠くを見渡した。高台にある私の家からはニューメキシコ州ラスクルーセス市の乾燥した大地がよく見渡せる。黄色く染まった土地。水が少ない中、人々は開拓をし、乾燥に適した植物を育てている。市内を流れるリオグランデという川は大河という意味であるが、時々歩いて渡れそうになるほどに水量は減ってしまう。私の眼前には荒涼とした大地が広がっていた。

 先日、箒の先で叩き、ピーカンナッツを落としたばかりの木であるが、箒が届かない上の方はまだ実を残していた。そして、それを見上げて、幼い頃は残ったピーカンナッツを、今は大学に進み家に居ない兄と、ボールを投げて落としたことを思い出していた。

 そして、枝に引っかかり取れなくなったボールを今度は石を投げて落としていた。その光景は私の心の温かい場所にいつもある。ピーカンナッツを使った、甘すぎて好きではないピーカンパイも、兄がそれ目当てに帰ってきてくれるのなら、親に作って欲しいと思う。

 そのようなことをしたところで、大学生活を楽しんでいる兄が、家に帰ってきてくれるとは思わないが、寂しさのあまり、そのようなことを考えてしまっていた。引っ込み思案の私はいつも兄の奔放さに憧れていた。

 私が腰を下ろすと、その男は当然のように現れた。

 個人の敷地内にどこからともなく姿を現すことを当然のようにと形容することはいうのは、些か的外れな表現だが、それが最も的を得ている表現と言わざるを得ない。異質なものを場に馴染むように感じさせたのかというと、そうとは言えなかった。つまり、男が自然な存在であると言わせる何かを、男が持っていたわけではなかった。

 その男の様を正しく述べるとすると、当然でない、不自然と言えるものを、その男は帯びていなかった。 

 初対面の男が勝手に庭に入ってくることは、私に対し叫び声を上げるなり、逃げさせるなりさせるには十分な行為だった。しかし、その男がそこにいるということは、私が認識している現状の中では、地面の砂が乾いていることと同程度、もしくはそれ以上に自然に感じられた。

 私はピーカンの木のそばに男が立っているのを見つけるまで男の接近に気づかなかった。視界には男が動き近づく様が写っているのだが、それは空を流れる雲と同質なものであった。

 男は更にこちらへと歩みを進めた。私が認識するまで待っている、そう思わせるような動きであったが、男の瞳からは何も読み取ることができなかった。緑色の瞳は、男の髪の黒さよりも、暗く、何も反射していないように見え、作り物のようであった。視線はこちらに向けられているが、私を認識しているようには思えなかった。

「選択の時間だ」

 男は私から三歩ほどの距離まで近づくと口を開いた。

「アタッカー、ディフェンダーのどちらかを選んでくれ。選択しなかったものは、ディフェンダーとして参加する。ディフェンダーが全体の4分の1未満となった場合、アタッカーの4分の1がランダムに選択され、ディフェンダーとして割り当てられる。アタッカーが全体の4分の1未満となった時、ディフェンダーの4分の1がランダムに選択され、アタッカーとして割り当てられる。戦闘の時間は二時間。

 アタッカーとディフェンダーで構成された複数人がそれぞれの戦闘の場に送られる。各戦闘の場において勝敗が決まる。

 二時間以内に戦闘の場での全ディフェンダーの死亡、もしくはアタッカー生存者が一人となった場合、戦闘は終了とし、死亡者の世界は消滅する。これらの条件が二時間以内にどれも満たされなかった場合、死亡者及びアタッカーサイドの全ての世界が消滅する。」

 男の言葉に停滞していた私の脳は励起され、ようやく私の胸の内に違和感が現れた。その違和感によって、目の前の存在は、心理内で急速に異分子へ変化した。

「……うごいて」

 私は呟き体に命令をした。心理は反応し始めてはいたが、体がまだ付いていっていなかった。交感神経はまだ眠ったままだった。久しくなかった暖かい午後のまどろみの中に体は溶け込んでいた。

 体が徐々に心理に追いつこうとしているのを感じ始めた。血流量、心拍数が上がり、呼吸が短くなり始めている。視野は狭く、フォーカスが強くなり、男の存在を周囲から切り取らるようにして視界の中で明確にしていった。

 身体がと精神と同調したとき、私は駆け出し、家に飛び込んだ。

「ママ!」

 喉が裂けるような音が口から出た。毎日のニュースの中で目にする悲惨な状況が自分に起ころうとしている、意識は停滞を終え、激しく揺れていた。

 私の世界が崩壊することのないようにママは取るべき手段を取ってくれた。

 生活の中で、これほど警察の存在に感謝したことはなかった。鼓動が早鐘を打ち続け収まっていなかったが、玄関のドアの先に警察が来てくれたことは私のひび割れ始めた世界が接着剤でくっついていくかのようだった。できることなら、紅茶とクッキーをもてなして、明日までこの家に居てほしいほどだった。

 あるべき姿に、私の生活は戻るのだ、そう感じ始めたにもかかわらず、好転していくはずの現状は瓦解し、私の世界はひっくり返ってしまった。

 警察が来た際に、まずママが対応してくれて、そして私が警察に話を訊かれた。家の周りを見まわった結果、男は消えたということで、私に男の特徴を訪ねているという形である。私は警察が不審がるほど、男の特徴を細かく応えることができた。なぜなら、その男はあなたたち警官のすぐ後ろに立っているのだから。

 私一人が皆にからかわれているのかとも勘ぐったが、ママはそのような人間ではない。ママは私の後ろに立ち、支えるようにしっかりと私の両肩を掴んでいる。その掴み方から、緊張が痛いほどに伝わってくる。そして事細かに警官に対し、今後の対応を訪ねている。私の家の玄関には定期的に見回りをすると言う警官と、それは週に何回かと質問を返すママ、そして私と、黒尽くめの男が居る。私以外は男を見えていなかった。この状況は気味が悪かった、気味が悪すぎて、私は目の前に男が居ることをついぞ口に出すことができなかった。自分が正気を失っているのではないかと疑いだしてしまったので、私は男の言葉の内容について話すのはやめておいた。痛いほど、私の肩に手に力を加え支えようとするママを、これ以上混乱させたくない思いが生まれた。

 来るときには救世主のように思えた警官の赤青に点滅する車が去って行くと、ママは鍵を閉めて、私を私の部屋へと連れて行った。そして、私を抱きしめ、長く深い息を吐いた。そして、愛してるわよとつぶやき、ホットミルクココアを作って持ってきてあげると言って、キッチンへと向かった。私を安心させるために、平静を装うその姿が痛々しかった、笑顔を作っていたが、唇は震えていた。きっと、この後、ママはパパに電話をするのだろう。

「あと18分だ。質問は許可されているが、答えられる質問と答えられない質問がある」

 私の右隣りから発せられる男の声は、抑揚もなく、感情もない。病院の待合室で、名前を呼ばれる時に聞く声と変わらない。この声は平坦すぎて、愛情に満ちたママの声と比べると、ベンチで座っていた時の足元の枯れ葉のようだ。男の宣言どおりに私は時が来ると淘汰の場に送られた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る