自殺法
竹内 ヨウタ
自殺法
誰もいない面会室のアクリル板を見つめる待ち時間が、田幡にとって何よりも嫌な時間である。
何から話そうか、緊張しているのか、どんな表情で接しようか、いろいろ頭で考えるが、結局毎回同じように淡々と仕事をこなすだけに留まってしまう。
フーッ、と大きくため息をつき、たまたま当番になってただけなのになぁ、と思いながら天井を見上げた瞬間、アクリル板越しの重い扉が開き、奥から一人の少年が入ってきた。後ろには刑務官が一人付き添っている。
田幡は立ち上がり、少年に向って「おはよう」と挨拶をし、正面にある椅子に腰掛けるよう手で合図を送った。
少年は小さな声で「おはようございます」とつぶやき、うなだれるように椅子に座った。
重い扉が閉められ、ガチャン!という分厚い鍵の音がすると、付き添っていた刑務官が部屋の隅にある椅子に腰掛け、「では今から15分間です。」と告げ、どうぞ、と田幡に向けて手を差し出した。
「気分はどう?元気になったかな?」刑務官の合図を横目で見ながら、少年を気遣うように田幡が言った。
「まだ少し、気分が悪いですけど・・・。」
そう言うと少年は、自分の首をさすりながら、キョロキョロと周りを見渡した。
「あの・・・」少年が田幡に問いかけた。
「あなたは誰なんですか?それにここは・・・?」
目の前に座り自分に話しかけてくる男が一体誰なのか、なぜ自分はここにいて、この男と向かい合っているのか、何もわからないといった表情だった。その表情が明らかに怯えの色を帯びているとすぐに田幡は理解した。
「あぁ、申し訳ない。あまり時間が無いものだから、私の名前は後回しにしようと思っていたのだけれど」と言って、背広の内ポケットから名刺入れを取り出し、名刺をアクリル板越しの少年に向って提示した。
「田幡です。田幡政男、弁護士をしています。宜しく、えーっと、ユウキ君、だったかな?清水勇樹君、15歳、中学3年生。」
「はぁ・・・」男の素性を知って、より一層少年は困惑した。
何故弁護士が僕に会いに?どうして僕の名前を?
田幡は今少年が抱いているであろう疑問に答えるよりも、話を先に進めた方が理解するだろうと思い、少年に話しかけた。
「多分まだ状況が理解できていないと思うけど、時間も決められているので、話を始めるけどよろしいかな?」
そう言うと田幡は一冊の小冊子を鞄から取り出し、少年に見せた。
「君はこのパンフレット、知っているかい?」
田幡が掲げた小冊子を見ても、少年はまだ状況がつかめていないようだった。
「知らないみたいだね。まぁこれは結構古いものだから、最近のとはデザインも違うかもしれないけれど、内容は最近の冊子、パンフレットと同じなんだよ。」
そう言うと、田幡はパラパラと小冊子をめくりながら少年に言った。
「このパンフレットはね、自殺に関するパンフレットなんだ。」
そう言ったとき、ようやく少年の顔に何かを思い出した表情が浮かんだ。
「自殺法に関するQ&A・・・。」少年が言った。頭に思いついたことをそのまま言ったような感じだった。
「そう、これは自殺法のパンフレット。一家に必ず一冊は無くてはならないものだし、学校でも必ず習っているはずなんだ。時間は少なくても、今は必須で教えなくてはいけないからね。」
そういうと田幡は少年の方に向き直り、問いかけるように聞いた。
「勇樹君、昨日君は自殺をしたね?」
そう聞くと田幡は少年の目をじっと見つめた。少年の顔が強張り、僅かだが体が小刻みに震えだしているのがわかった。
刑務官はずっと書類に会話の内容を書き留めている。
「・・・はい。しました・・・。自殺しました。しようとしました。でも・・・」
「自殺は失敗に終わった、だね?」
「・・・はい。」
「大筋は昨日警察の方から資料を見せてもらったからわかっている。君が昨日自殺を図り、失敗し、病院に運ばれて、今ここにいる。さっき君はここが何処かと尋ねたね?」
「はい・・・。ど、どこなんですか?刑務所ですか?」
「いや、ここは刑務所ではなく、自殺未遂をした人、つまり勇樹君のように自殺を実行したが死ねなかった人を収容する施設なんだ。学校で習わなかったかな?」
そういうと田幡は冊子をパラパラとめくり、ここだよ、と言って少年に見せた。
『志願者一時収容所』と書いてあった。
「今、勇樹君はこの志願者一時収容所というところにいるんだ。昨日の夜、病院で意識が回復して、それからこの収容所に移された事になる。」
そういうと田幡は真剣な顔になり、少年に向けて話し始めた。
「日本は昔、多くの人が自殺をして、それが社会問題になっていたんだ、何故自殺をするのか?自殺は悪い事だ!命を粗末に扱うべきではない!ってね。」
刑務官が一瞬書くのを辞め、田幡のほうに目を向けたが、すぐに書類に目を移し続きを書き続けた。
「自殺が問題に?そんな時代があったんですか?し、信じられない・・・」
「そう、あったんだよ。学校で教えているはずなんだが・・・。」
そう言うと田幡は頭を二、三度掻き、言葉を続けた。
「毎日のようにニュース番組では自殺の報道が流れていて、それについて学者や政治家が色々な番組で議論していたんだ。」
「な、なんで自殺で議論する必要があるんですか?だって、自殺をするのは個人の自由なんじゃ・・・?」
「昔はそういう考えでは無かったんだよ。自殺の原因、例えばイジメや貧困、会社の体質などに罪を唱えていたんだ。自殺をさせない社会を!とね。」
「・・・そ、それがなんで今みたいになったんですか?」
「それがね、いくら原因を根絶させようとしても、一向に自殺は減らない。減らないどころか、中には理由も無く自殺を行う若者が急増したんだ。そこで、一人の声を上げたんだ。自殺は自由意志、死ぬのは本人の勝手だ。自ら死を決意した人の意思を尊重するべきだって。」
「・・・そ、それでどうなったんですか?」
「当時は彼の意見に対する風当たりは強かった。メディアは一斉に彼を批判し、彼を政治家から辞任直前まで追い込んだんだ。だけど、彼は負けずにその主張を貫いた。すると、その意見に賛同するものが出てきたんだ。ごく僅かではあったけどね。」
田幡は当時を思い出すように斜め上の蛍光灯を見つめ、また少年に視線を合わせた。
「その僅かな賛同者たちが日本中で訴えかけたんだ。自殺は自由だ、尊重するべきだって。すると、今度は世論が彼らに賛同し始めたんだ。自殺を認める、という人たちが急激に増えた。そうしたら、最初は批判していたメディアが一斉に自殺に対して容認する内容の放送を流し始めた。こうして日本は、世界でも珍しい自殺容認、死の決意を尊重する国になっていった。」
少年はそんな事があったなどとはまるで知らなかったように、田幡の話に聞き入っていた。自分の今の状況がどういうものなのか、全く興味がなくなっていた。
「それでね、世論を無視できなくなってきた政治家たちは、この世論を今すぐ法律にして整備するべきだって事になってね、今の自殺法が出来上がっていったんだ。」
「し、知らなかった・・・。昔は自殺に対して関心があったなんて・・・。」
「驚くのも無理は無いか。今は、クラスメートが自殺しても、朝礼でサラッと話して終わりが当たり前になったからね。勇樹君達の世代には想像もつかない時代かもしれない。」
そこまで言うと田幡は、自分の腕時計をチラッと確認した。
時間がもうあまり無いな、と思い、話がそれてしまった事を後悔した。
その行動を見た少年も、ふと現実に戻されたように田幡に聞いた。
「あの・・・、それで、僕はどうなるんでしょうか?」
「そうだね、本題に入ろうか。この自殺法というのは、単純に自殺を容認しますというだけではないんだ。もっと別の、大きな目的がある法律なんだよ。」
「お、大きな・・・?なんの目的ですか?」
「うん、その目的を告げるために今日僕は君に会いに来たんだ。」
そう言うと田幡は一瞬少年から目をそらし、フッと息を吸い込んで話を続けた。
「この法律はね、自殺に失敗した人、つまり自殺未遂をした人は、死ぬ決意をしたんだと解釈しているんだ。その決意はとても大きく、国はその決意を尊重するべきだとしている。つまり、自殺をして一命を取り留めてしまった人を、その決意を尊重して国が責任を持って自殺執行を行うんだ。」
「・・・えっ?え?執行?・・・そんな!自殺執行ってどういうことですか?」
「それはね勇樹君、君のような自殺に失敗した人を、国がもう一度自殺の場を与え、確実に自殺ができるようにサポートする。今度は失敗が無いように。ようするに、確実に死なせてあげるということなんだ。」
「・・・う、嘘だ!そんなの嫌だ!なんで、なんでですか!?」
「勇樹君、君は自殺をしたんだよね?死のうと思っていたんだよね?」
「それは・・・、確かに昨日僕は自殺をしました。もちろん本当に死のうと、そう思いました。でも・・・」
「気が変わったんだね?それは昨日、本当の恐怖を体験したから。」
少年はうつむき、頭を抱えながら昨日の事を思い出していた。
はっきりと確認はできなかったが、少年の目にはうっすらと涙がたまっていたように見えた。
やがて少年は力無く話し始めた。
「・・・はい。凄く怖かった・・・。昨日僕は、自殺を決意しました。理由はイジメです。僕は3年になってから、毎日のようにイジメに会いました。最初は靴を隠されたり、机に落書きをされたりでした。そしてある日、学校に行くと、僕の机はありませんでした。ロッカーに入れていた僕の持ち物が全てゴミ箱に入れてあって。こんな事される覚えはないし、なぜだという思いでいっぱいになって、大きな声で叫びました、誰だ、って。」
「そうしたら?」
「無反応でした。周りの誰も僕の声に耳を傾けてくれませんでした。去年まで仲良くしていた友達も、まるで僕が見えていないようでした。そこにいるのに、僕はその場にいるのに、クラスの人たちには僕は存在しない事になっていました。先生も気付かないふりで。つらかった・・・。耐えられなかったんです!」
「それで、自殺を決意したんだね?」
「はい・・・。クラスでは、学校ではもう死んでいるようなものだし、つらい思いをするくらいならいっそのこと、って。それで僕は死を決意し、部屋の中を探しました。自殺を考えたら、首を吊る事しか思い浮かばなかったので。なにか無いかと・・・。」
「それで見つけたのがこれだね?」
田幡は鞄に入れていた封筒から、ビニール袋に入れられた白いビニール紐を取り出した。袋の端には「A」と書かれたシールが張られている。
「ここに来る前に刑事さんに借りてきてね、出すのを忘れていたよ。」
田幡は袋を正面に置いた。
少年はジッとその袋を見つめながら、昨日の事を考えているように見える。
「・・・そうです。ちょうど一週間前に部屋にあった雑誌を束ねるために使ったのを思い出したんです。それで、その紐を使って死のうと・・・。」
「この紐じゃ切れるとは思わなかったの?」
「その時は思いませんでした。思わなかったというか、そこまで気が回らなかったというか・・・。とにかく死のう、死にたい!という思いでいっぱで・・・。」
「なるほど・・・。」
「それで、カーテンのレールに紐を縛り付けて、座ったときの首の位置よりも上に紐の輪が来るようにして、それで・・・」
「君は首を吊った。」
「はい。首を通して、勢いよく座ったんです。そしたらキュッと首に紐が食い込んで、同時に痛みと苦しさを感じました。締め付ける痛みと、呼吸ができなくなる苦しさ。暴れました。紐を外そうともがきました。でも、紐は外れないし、立とうとしても慌てて立ち上がることすらできませんでした。それでだんだん意識が遠のいていくような感じになったときに・・・。」
「紐が切れたんだね。レールに結んだ根元が。」
「それで、あぁ、助かったと、そう思って、気付いたら今日ここにいたんです・・・。」
「ここの名前覚えてる?」
「・・・え?」
「この施設の名前。ここは志願者一時収容所。なんで一時というか、今ならわかるんじゃないかな?」
「・・・自殺執行するからですか?」
「そう、ここにはほんの一瞬しか滞在しないんだ。だから一時。私がこの部屋から出たら、君はすぐに別の場所に連れて行かれて、自殺を執行される。」
「い、イヤだ!お願いです!助けてください!もう死ぬなんて考えない!だから!だから!」
田幡は困惑した表情をした。
この仕事をすると大抵はこうなる事はわかっていたが、いざ目の前で懇願されるといたたまれない気持ちになるからだ。
これからあなたは死にます、そう宣告して、席を立つ、まるで自分が殺してしまったような黒い湿った感情に支配されてしまうからだ。
「勇樹君、僕にはどうする事もできないんだ。国が決めてしまっていることだからね。」
「そんな・・・。」
少年は大きく震えだした。
顔は蒼白になり、言い様のない恐怖に支配されているようだった。
「ただね」
と、田幡が切り出した。
「僕にはどうにもできないけれど、君をここから出す事ができる人がいるんだ。」
「え?ここから・・・出す?そんなこと・・・。誰ですか?」
「君のご両親だよ。」
「両親・・・?僕の親が?」
「そう。この法律はね、自殺未遂者は必ず自殺執行するように作られているんだけれど、それは18歳以上の人に限定される。もし18歳未満の人が自殺をし、失敗してここに送られた場合、自殺執行するかどうするかは両親の承諾が必要になるんだ。」
「承諾・・・?」
「そう、両親が承諾して、初めて自殺執行が可能となる。君たちのような若い子の場合はね。」
そこまで言って、田幡はチラッと刑務官の方を見た。
刑務官は、先ほどから何度も時計を見ている。
時間があまり無い事を知った田幡は一気に話し始めた。
「それでね、君が寝ているとき、つまり、気を失っている間に、私と今回の自殺を担当した刑事さんと二人で君のご両親のところに行き、自殺執行についてどうするか話を聞いてきた。」
少年はすがるような目で田幡を見つめている。
「もちろん自殺法の説明もした。そもそも自殺は当事者の意思であり、いくら親であってもその意思を踏みにじる事はできない。自殺者を止める事はできないんだということを。それは立派な法律違反で、止めた側が処罰されてしまうからね。但し、自殺者が18歳未満であり、自殺未遂に終わった場合、自殺執行はご両親に託されますと、話してきた。」
少年は何も話せないでいた。
「しかし、先ほど言ったとおり、それは当事者の意思を踏みにじる行為に当たる。なので、もし自殺執行を許可しない場合、当事者が18歳未満でもご両親が罰せられると。そこまで説明した上で、結論を聞いてきた。」
いつの間にか少年の目からは大粒の涙が流れていた。
自分がこの後、再びあの恐怖を味わい死ぬのかもしれないという事実と、もしかしたら助かるのかもしれないという期待とが混同し、涙を流すことしかできずにいた。
涙を流したまま、やっとの思いで搾り出した声で、少年は田幡に聞いた。
「親は・・・、僕の親はなんて答えたんですか?」
田幡はゆっくり目を閉じ、大きく息を吸い込みながら再び少年を瞳が捉えた。
「ご両親は自殺執行を承諾した。」
時が止まったようだった。
田幡も少年も、しばらくの間動こうとしなかった。
死の恐怖を味わい、自殺という行為を心から後悔した少年に、また、もう一度同じ恐怖を味わえと言っているような気がした。
それはなんと残酷で、無慈悲なのだろうと思い、この法律を恨んだ。
「・・そだ・・・嘘だ!僕の親がそんな事言うわけない!嘘に決まってる!」
止まった時の中でようやく少年は事実を把握し、その事実が自分を奈落の底に落とすものだと悟った。
「なんで・・・。なんで・・・。」
少年は何度もつぶやいた。
「君の」
田幡が口を開いた、声には先ほどまでのような張りはなかった。
「君のご両親から伝言を預かってきている。今から言うから、しっかりと聞いて欲しい。」
そういうと田幡は目をスッと閉じ、両親から聞いた伝言を頭の中で反芻してから少年に話し始めた。
『勇樹、ごめんなさい、ごめんなさい。本当なら親である私たちがなんとしても救ってあげるべきなのに・・・。ごめんなさい・・・。どうしても、どうしても怖くて!あなたの意思を尊重させようと、ごめんなさい!処罰を受けたくなかった!・・・だから、ごめんなさい!』
「ご両親は泣きながらおっしゃっていたよ。」
田幡が少年に話しかけたが、少年は声を出して泣いているので聞いてるのかどうかはわからない。
その姿を見て、田幡もいたたまれなくなっていた。
その時、部屋の隅に座っていた刑務官が時計を見ながら立ち上がり田幡と少年のほうを見て言った。
「時間です。それでは。」
そういうと刑務官は泣き続ける少年の腕を持ち、席を立たせ部屋を後にしようとした。
刑務官が扉を二度叩くと、扉の外でガチャ!と、鍵を開ける音がした。
田幡も立ち去ろうと席を立ち、扉に向かう。
すると、後ろから少年が声をかけてきた。
「・・・すいません・・。ウ、ウグッ、処罰って何なんですか?親が受ける処罰って、ウッ、死刑とかですか?」
田幡は振り返り、少年を見つめた。
今にも扉の外に出ようとしているが、少年も田幡の方を見つめて動こうとしない。
田幡は目を閉じ、奥歯をかみ締め、うつむいた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「罰金5万円だ。」
そう言った瞬間、少年は扉の外に連れて行かれ、重い扉が閉まった。
その扉の向こうで、微かに少年の叫び声が聞こえた。
「やっすーーーーー!」
それを聞くと田幡はアクリル板に背を向け、部屋を後にした。
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