地獄

あきカン

第1話

ガコンガコンと耳鳴りがして、頭が何度も揺れ動き、俺は目を覚ました。

車窓の外からカーブミラーの反射した光が目に当たり、瞬きしてぱっと目を開く。

車の中だった。

助手席には誰もおらず、記憶には買った覚えのないコンビニ弁当が袋詰めされていた。

どこか夢心地で、俺は窓を開けて頬杖をつきながら外を眺めた。

車はどこかの山を登っていて、今はその中腹くらいに来ているらしい。外の景色は圧巻で、朝日が上がったばかりだった。


「こんな日にドライブしてるなんて、俺ってよっぽど暇なんだな」


柄にもなくそんなことを口にしてしまった。

周りの人からは一目置かれるくらい普段気の張っている芸人の俺が、仕事のない休日になるとこうしてドライブに来て気分転換しているなど、芸人仲間には口が裂けても言えない。


「しっかしいい景色だよなぁ」


いつかこんな景色を眺めながら弁当を食べてみたいと思っていた。幸いにも隣には弁当がある。

俺は割り箸をパキッと口で割って弁当を掻き込んだ。朝日に照らされるように弁当の米が照り輝いている。


「うまい!」


食べ終えると急に眠くなった。眼がゆっくりと閉じていき、本当に夢の中に吸い込まれるような感覚になる。

急に車が止まった。

急停止したわけじゃないが、お陰で夢の中に行かずに済んだ。

……あ、イカンイカン。


「……ん?」


ぶるぶると頭を振ると、目の前に一匹の猫がいた。

白い体毛に土がついて、所々汚れている。

猫はこっちを向いてニァオーンと鳴いた。

俺はその猫に見覚えがあった。けれどどんな猫なのかはっきりと覚えていなかった。この山でよく見かける野生の猫のようにも思えたが、よくみると首元に体毛の色に似た首輪がされていた。

───すると、その時だった。


「おい! なんだよ! 勝手に足が………」


俺の右足が勝手に動き、ドスンとアクセルを踏んだのだ。車はきゅるきゅると急発進して、目の前の猫目掛けて突進していく。


「おい!早くどけ!おい猫──」


その時、俺は思い出した。いやもっと言えば、今この猫をはねた瞬間に、記憶が甦ったのだ。

俺は前にも、この猫を殺している。同じ車で、今と同じようにはね殺した。

気づくと前の窓が猫の血で染まっていた。たらたらと垂れ流れる赤い液体が生々しく目に映った。

俺は急いでワイパーを起動させようとした。だが、一向に動く気配がない。ピクリとも動かない。


「どうなってんだ!」


パニックに陥った頭で、俺はとりあえず車を止めることを考えた。

ブレーキを踏むが、しかし速度は落ちなかった。


「何でだよ!」


怒りに任せハンドルを叩いた。しかしこの時俺は気づいた。むしろ、なぜ今まで気づかなかったのか。


俺は一度も、ハンドルを握っていない。


アクセルは踏んだが、その前に車は勝手に進み、勝手に止まった。


冷や汗が背中を伝った。怖くなり、俺は扉を開けようとした。が、開かない。


「はぁ!? 嘘だろ……!?」


何が起こっているのかまったくわからず、焦りだけが積もっていった。

しかし時間が経つにつれて、だんだんとわかっていくこともあった。


俺は芸人で、名前は林山康介。芸名はブラックパンサーのピン芸人。


そこまでは元々覚えていて、そこからだんだんと記憶が甦ってきたのだ。


昨日の夜、軽い気分転換に暗い山道を車で走っていると、突然猫が飛び出してきた。

けれど俺はその時酔っていて、正常な判断を下せる状態じゃなかった。まぁまだ動物なら、とブレーキペダルを踏まなかった。

だが次の瞬間、子供が同じ茂みから飛び出してきて、猫を抱き抱えた。

それに気づいた時には、もう遅かった。ブレーキを踏む隙もなく、車は子供を引き。抱き抱えられていた猫をもはね飛ばした。

酔いが完全に覚め、現状を理解した時はもう遅かった。子供は車の下敷きで、猫も死んでいた。

俺は怖くなって、そのまま車に乗り込んだ。忘れろと念じながら坂道を降りていった。

どれだけ強く忘れたいと思っていたか。それは俺がアクセルをありえないくらい強く踏んで、いち早くこの山から逃げ出したいと思っていたことだ。

俺はその途中、速度の出し過ぎで前方から登ってきた対向車にぶつかった。


つまり、俺は死んだのだ。


「あけろ! あけろよ! 早くあけろ!」


ドンドンと窓を叩くが、まったく割れない。気づくと、さっきまで当然のように開いていた窓がいつの間にかしまっていて、ボタンを押しても開かなくなっていたのだ。


「くそっ!」


横でたらたらと流れる血は、ねっとりとへばりつくようにそれ以上は落ちなかった。ちょうど視界が少しあるくらいの、走行は絶対にしてはいけない状態。

これは、俺が飲酒していた時の視界によく似ていた。


「なんだよ! なんなんだよ! 早く出せよ!」


叫ぶが、何も起こらない。何が起こっているのかわかっていても、どこかに認めたくない自分がいた。死んだことよりも、子供と猫を死なせてしまった事実が先に突きつけられて、それを悔いろと言われている気がして、どうしようもなく逃げ出したくなった。


俺が窓を叩く音は次第に小さくなっていた。それに伴い声も小さく、か細くなっていく。

これから何が起こるのか、どこにつれていかれるのか、それがどれだけ非現実的なのか分かっていても、全てを信じられた。


俺はこのまま地獄に行く。そしてそこで、あの時の罪を一生悔いるんだ。


思い出して涙が出たことに、心底情けなくなった。今になって後悔してしまっている。さっきまで忘れていたくせに。

それでも怖くて怖くてたまらなくて、その分車が進む速度が早くなっているように感じた。


さしずめこの車は、俺をそこへと運ぶ、地獄への地獄車だ。

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地獄 あきカン @sasurainootome

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