痛んだ靴の捨て方

@29daruma

第1話

 アラームが鳴り、俺はため息を尽きながらスマホを手に取り、『停止』を押す。

 時刻は4時ジャスト。

 昨夜12時頃に布団に入ったものの、結局一睡も出来なかった。

 眠れなさに焦り、Kindleに入れてきた小説を開いてみたりもしたけど、さっぱり頭に入らない。

 読書を諦め目を閉じたものの、次第にどす黒い感情が胸の中で広がり、アレコレ考えているウチに絶望のアラームがなってしまった。


「なんか面倒臭い……」


 暗がりの中手探りで眼鏡を探す。

 腕を伸ばせば倒れる気配と、ガラゴロとけたたましい騒音。

 昨日飲んだビール缶だ。鬱陶しい。


 眼鏡は見つからない。耳にかけたまま横になっていたからだ。

 ボケた頭でノロノロと布団から這い出ると、5月だというのに、ひんやりと肌寒い。


「ここって標高1,982mだっけ。山頂はやっぱ寒いな……」


 今俺がいる場所は四国山地に位置する霊峰石鎚山だ。

 一週間ほど前に大学時代の友人からLINEメッセージが届き、この石鎚山の頂上山荘に宿泊しないかと誘われた。

 誘われたと言っても、一緒に来たわけじゃない。

 ぼっちを強要されてる。

 友人によると、この旅を予約していたものの、急にはずせない用が出来たとかなんとかで、勿体ないから俺に薦めてくれる事にしたようだ。

 有難いんだかそうでもないんだか……。

 普通であれば、そんなアホみたいに急な申し出は断っていたんだ。

 でもそれを断れなかった俺は、どこでもいいから逃げ場を求めてたのかもしれない。

 ユックリ着替えをし、たばこやらスマホやらゴチャゴチャしたものを適当にダウンジャケットのポケットに突っ込む。


 山荘の外へと出ると外は真っ暗闇の中だ。

 スマホの光を懐中電灯代わりにして歩く。

 明かり取りに全く役立たないスマホは何度も暗くなり、そのたびにただの真っ暗闇に包まれる。ゴロゴロ転がる石に何度も転びそうになるし、足を捻るし碌な事がない。


「転んでも笑ってくれる奴がいないんだよな」


 何とか昨日下見しておいたご来光スポットへと辿り着く。

 無性に靴の状態が気になって、スマホで靴を照らしてみると、かなり傷がついてしまっていた。


「うわ……。革靴で山を歩くとか無謀すぎたか。なんか靴底も結構すり減ってるし」


 靴のプロが見られたら、かなり怒られそうな状態だ。

 これはもう買い直した方がいいのかもしれない。

 社会人になったら、靴の良し悪し、手の入れ方は結構見られるのだと親父に教わった。

 言われた当初はうざってーと思ったものの、いつのまにやら俺自身も他人を見るとき、視線は靴に向けてしまっている。


(靴ねー。今買い直すのは、ちょうどいいか?)


 俺は今、人生の岐路に立っている。

 早い話、今の会社に残って定年まで働くか、転職してしまうかにウダウダと悩んでいる。気分転換に新しい靴を買ってもいい気がするな。

 タバコを咥え、火を付ける。僅かに感じる甘味が気持ち悪いが、少しだけ頭がハッキリしてきた。


「暇すぎ」


 暗闇の中、ユックリ煙を吐き出し、独り言ちる。

 暇は良くない。くだらない事を考えるから。


 27年間の人生の中で、俺はただ何となく流れに身を任せて生きてきた。

 周囲にとって大きく幻滅させないように行動していたら、ソコソコの大学の経営学部に入れて、簿記1級を取れてたし、TOEICも800点近く取れてた。就活は優位に進められ、現在は一部上場企業で経理として働かせてもらっている。

 大学時代まで個性皆無な自分は価値がない人間だと思っていた。

 でも実際に社会に出てみると、個性というモノは不必要なのだった。意味があるのだとしたら、ただ会話に僅かばかりの刺激を付けたせるくらい。

 そういう意味では無個性な自分は今の会社にはジャストフィット。

 分かりやすいカッコ良さ、優秀さを示す意味でも。


 定年まで毒にも薬にもならずにだらだらと働く。俺に相応しい穏やかでクッソつまらねー人生だったはずなのに。


 そこから抜けたくて仕方がなくなってしまった。


 目を覚ましたキッカケは子会社の経理処理に不正を見つけたからだった。

 淡々とした日々の業務の中、見なくてもいい所までチェックをしてしまったのは、どういう心境だったか?

 子会社の役員連中は親会社の社員が出向するのが常になっていて、自らの判断で不正なんて大それた事をするのかについて疑問だった。

 ああいう人らって定年まで無事に給料もらえたらそれで良いって思ってそうじゃん?


 もっと問題だったのは少額だったからと個人の問題にしてしまったこと。

 自浄作用的な監視システムを作るチャンスではあったんだけど、それはしないらしい。


(温い環境で脳死で働く社員を量産したら不正もしやすくなるんだろうな。こんな会社に居座るくらいだから、プライドが恐ろしく高くて、そんで他人よりも優位に立つために悪事に手を染めたりとか)


 疑い始めると、何もかも気持ち悪く感じてきた。

 実際この件以外でも、色々ストレスに感じることはあった。

 それらを全て、作り笑いの仮面の裏に押し込めていただけだ。


 会社を辞めて転職しよう。そう思うのに、何の取り柄もない面白みもない自分が転職できるんだろうか? 実力主義者の中で生き残れるのだろうか?

 不安は尽きない。

 ムシャクシャした気持ちで携帯灰皿にタバコの吸い殻をしまう。

 

 早く明るくなれ、ちゃんと周りを見たいんだ。

 俺の周りは、今どうなってる?

 今いる所以外は足場がなくなってたりして……。だとしたら俺は。


「あ、見て! 空が!」


 人の声に我に返り、周囲を見渡すと、山荘から出て来た人々が周囲にいた。


(そろそろか?)


 東の方向に視線を向けてみると、群青色の空がうっすらと桃色に染まり始めていた。

 地上よりも動きの早い雲がまず濃いピンク色に染められ、次に黄色とオレンジのグラデーションに空の色が変化する。

 世界に色が蘇っていく。

 1晩眠っていないため、眼球が朝陽の刺激に焼かれ、瞼を閉じるとポロリと涙が零れた。

 ユックリ目を開けてみると、山の影から太陽が顔をのぞかせたのが見えた。


 世界がよく見える。

 やっぱり革靴で登って来たのは不正解だったんだ。



 就職してからずっと、朝を迎えるのが憂鬱だった。

 カーテン越しに明るくなっていく世界を布団に潜る事で見ないようにし、僅かばかりの平和を名残惜しむ。そんなアホな生活をしていた。

 でも今観る太陽は、暗闇を消し去る朝の光は……悪くない。

 たぶん俺は無意識のうちに、自分に期待していた。こうして悪くない朝を迎えたい気持ちが自分にもあるんだって事を。だからこんな所まで来たのかもしれない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

痛んだ靴の捨て方 @29daruma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る