第2話 case7# GET BACK THE DAY
平静は装えている。
ハズだった。
だがどうにもこうにも落ち着つかない。
バレてやしないかと気が気でならず、手の置き場にもいちいち戸惑う。
そんな周囲は勤め帰りと思しきスーツの大人で埋め尽くされていた。黒いベストで店員も、スタイリッシュとエプロンをひるがえしテーブルの間を行き交っている。運ぶのは照りと匂いがたまらないイタリアンにフレンチで、夜には欠かせぬ洒落た名前のアルコールだ。どこを見ても騒ぐ子供の姿はない。いや、この店にそんな者こそ寄りつけはしなかった。
紛れてそつなく
強制解雇というかたちでセクションCTの一件が幕をおろしたのはもう四か月も前になる。肌寒かった季節は今やうっすら汗のにじむ初夏へ変わり、「20世紀CINEMA」は新作を次から次に封切ると鳴かず飛ばずが実に穏やかな日々を送っていた。
完全屋内型テーマパーク、ビッグアンプルのプレオープンに田所と出掛けたのは、もうふた月前のことか。一日はことのほか楽しく百々の記憶に残されていた。きっかけに湿気ていた胸の内もすっかり乾くと、田所の急な告白にぎくしゃくしていた関係も修復以上、補填されている。そんな二人が会う機会を増やしていったのはいわずもがなで、そのたび尽きぬ話で盛り上がっては尽きたところで不便は起きず、まるで付き合っているみたいだ、と百々に過らせもした。
だが焦ったのはそれからのこととなる。
なにしろ告白の返事はまだしていなかった。おかげで関係は付き合っているような雰囲気を醸し出しこそすれ、そうだと断言できる何かが起きることはなかった。その宙ぶらりんなじれったさにまるで苦行だと感じ始めて百々はようやく返すべき告白の返事に気づかされている。
それこそ曖昧になどしておけない返事なら、どうにか伝えようと試みたことは確かだ。だがやぶから棒にあの時の返事なんだけど、と切り出すことこそはばかられ、つまるところデリケートな問題には脈絡というものが必要で、待たせすぎた百々はすっかりその脈絡を失ってしまっていた。
そんなおり「20世紀CINEMA」で一本のドキュメンタリー映画は上映されている。タイトルは「ゲットバック ザ デイ」。かつて一世を風靡し、スキャンダルを原因に解散したロックバンド「スカンジナビアイーグルス」が初老を迎えた本年、再結成を果たすまでを追ったドキュメンタリー作品だ。客の入りがいまひとつだったのはいつものことだが、老練のロックバンドが苦難を乗り越え醸す枯れた音色は饒舌で、フィルムに収められた全てを事実と受け止め鑑賞すれば、バイト仲間の間でにわかに「イーグルス」ブームさえ起きる感動作だった。
その復活ライブは日本でも行われるらしい。
聞きつけ誘ったのは田所の方だ。
最初、なんとマニアックな提案だろうと思ったことは否めない。だからこそ興味はわいて、知った会場にそうも軽い気持ちで行けやしないことを突き付けられていた。
会場の名前は「ブライトシート 中央店」。世界中に支店を持ちジャズからロックまで、いぶし銀のラインナップで玄人を唸らせる老舗ライブハウスだというのである。「スカンジナビアイーグルス」のファン層を考えれば妥当だったが、だからこそ百々たちには値段も敷居も高い店で間違いなかった。
気おくれして及び腰。最初、百々はそこまで「スカンジナビアイーグルス」のファンではない、と口に出しかけている。熱狂的ファンでないのは田所も同じだと思い至ったところで己が身に降り注いだものこそ人生のハイライトだった。
背伸びしてまで訪れる理由などただひとつ。
失った脈絡を取り戻す。
楽しみだよ。
返した声は上ずっていなかったろうか。
今でも気がかりでならない。
しこうして爆弾解体などと似て異なるコトは実にスリリング。カールスバーグをグラスへ注ぎ終えた田所がゆっくり視線を持ち上げていった。
「なんだよ。さっきからニヤニヤして」
どうやらまた妄想とランデブーしていたらしい。過剰な瞬きで百々は腑抜けた表情を散らしにかかる。
「そ、そうかな? いっつもどおりだよ」
理由は死んでも明かせまい。すぼめた口で百々は真顔を装った。だがそのとってつけたような顔こそよほど嘘っぽかったに違いない。カールスバーグの小瓶を片手に田所は自分の体を見回す。
「もしかして今日、俺、変?」
確かに電車でここまでやってきた田所は今日、バイク通勤でお馴染みの疲れ切ったウインドブレーカーとは違い、肩のラインも綺麗なジャケット姿だ。様子はいつになく格好よく、感じたままを伝えようか迷って百々は意地悪でもなんでもなく、本心に触れぬ事実だけを言うことにする。
「いつもと違う格好だからさ、今日、バイクじゃないんだなぁって考えてただけ」
「ま、せっかくなのに飲まないってのはないし、一人で飲めって言うのもひどくね?」
それだけでそうも笑えるものなのか。いぶかり笑う田所の口は、いつも通りのアヒル口だ。
「うん。おかげで楽しい」
顔へと百々は引き寄せたスプモーニを掲げた。すかさずそこへ田所もグラスをあてがえば、チンと透き通った音は鳴る。なおさら吹き出しそうになるのをこらえて互いは互いのにグラスへ口をつけた。
そんな百々が腰かけているのは碁盤の目と並べられたテーブルも後方、左サイドの一角だ。気遣う田所はステージがよく見える席を百々へ譲っており、百々にはステージどころか田所越しに客席さえもが一望できていた。その贅沢さといえばかたときだろうと無駄にしたくなく、ステージが始まるのをいまや遅しと待ちわびて賑わう店内を今一度、百々はじっくり見渡してゆく。どうにも覚えた和感に、確かめ視線を振り戻した。とたん飲んだばかりのスプモーニを口のみならず、鼻からも吹き出しそうになる。
何の因果か。
いや何のホラーか。
じゃないならこれは何の罰ゲームだ。
ひときわ目立つその人は田所の肩を右から左へ移動すると、背を向けわずか三つ離れたテーブルへ腰を下ろしていた。まもなく歩み寄った店員へ何事かを短く告げて手持無沙汰と無人のステージを眺め始める。
間違いない。
いや、間違えようがなかった。
セクションCT職員、もちろん百々の記憶の中に残っている最後の所属部署名だが、レフ・アーベンはそこにいた。
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