最終話 自転車操業って言うな
「――では、このシステムと中にいる子は星河博士の下に丁重に護送します。あの天才博士ならばなんとかするでしょう」
「お願いします」
アビィより前に速やかに任せなければいけなかったのが、プロトAVIEの脳髄だ。脳髄だけとはいえ自意識が残っているならサイボーグなりクローニングなり肉体の再構成も可能かもしれない。
プロトAVIEの解析と彼女の延命、そして肉体の問題は、霊素研究の世界的権威でもある星河教授に任せることになった。星河教授は助手である友人の伝手で何度か話をしたことがある。大分ネジの飛んだ女性研究者だが、あの人に任せれば間違いはないだろう。
天専の職員に丁重に運ばれていくプロトAVIEをアビィは心配そうに見守っていたが、そのうち彼女が自由に動けるようになれば会いにも行ける筈だ。
「しかし懐かしいな、この校舎……アビィ。俺、昔はここに通ってたんだぜ」
「ここに、カズノリが……思い出、覗いていい?」
「いいよ」
アビィと二人で夕日に照らされる校舎を見上げる。
どこか古めかしくも美しい、大正時代を彷彿とさせる石造りの造形であるそれは、他の近未来的な施設と比べると浮いている。しかしその建物にはどこか重みが感じられ、周囲の建物にはない威厳を放っていた。
その建物に入るための巨大な校門の前に立つ四十代ほどの男性が一人。全身をスーツで決めて、教師というよりサラリーマンと呼んだほうがしっくりくる彼は、こちらに気付いて歩み寄ってきた。
数則がこの学校で最も信頼している男性に、頭を下げて挨拶する。
「中村先生、お久しぶりです。いやぁ、相も変わらずご健勝なようで……直接顔を合わせるのは卒業式以来の二年ぶりですかね?」
「そうなりますね……君も息災で何よりです。この学び舎を出て間もないのに、君たちの騒がしさが随分と昔のことのように感じられます」
昔を懐かしむようにしみじみと語る元担任――
天専は中・高・大のエスカレータ式であり、中村先生はプラムなんでも相談事務所の面々全員が中等部時代に世話になった恩師である。そもそも今の事務所のメンバーが揃ったきっかけも中村先生のクラスでの出会いが切っ掛けなので、相談事務所結成はこの人なしには成立しなかったかもしれない。
「梅小路くんたちの名前は……色々とよく耳にしますよ。良し悪しに関わらずというのが残念ですが、それもまぁ元気な証拠ですし」
「いやー耳に痛いですね本当に。俺は真面目にやってるつもりなんですけどねー……」
いたずらっぽく笑う中村先生に、気まずくなって目線を彷徨わせる。
間違いなく事務所の悪評も届いているのだろう。悪評のほとんどは数則でなくその親友(悪友ともいう)たちの奇行や被害なのだが、それでも事務所長がそれを抑えきれていないのは確かである。
そして、おそらくその噂の一部にBFの存在があることを考えると更にお腹がキリキリ痛くなる。
「何せ従業員があのメンツですから、俺ももう纏めきれなくて資金が……人の心だけは売りに出さないので精一杯です」
「はは……まぁ、マイナスにならないだけマシだと思いなさい。校長の好意で、駅で派手にやらかしたのも町での戦闘もお咎めなしになりましたしね」
「助かります……」
がくりとうなだれるように肩を落とした数則の横で、アビィが数則の手を握りながら中村先生の顔色を窺う。その視線に気づいた先生はにこりと微笑んだ。
「おっと、すみません。私は数年前に彼に勉学を教えていた――」
「ナカムライチモン。よくカズノリと一緒にいるのを『視た』よ」
「おっと、これは……」
中村先生は驚いた表情を見せた。事前に少女がかなり高度な読心能力を持っていることは聞き及んでいたがだろうが、既にこちらの情報を持っているとは思わなかったようだ。
「さっきちょっと学生時代の憧憬に思いを馳せてまして、そのときに読み取ったんでしょう」
「なんとまぁ……この年齢で既にそこまで異能をモノにしているとは末恐ろしい……」
「……っ」
恐ろしい、というワードにアビィの体がびくりと震えた。
怯えた表情を見て数則はすぐに事態を察した。化け物、恐ろしい、などは彼女にとっては一種の禁句だ。その能力の強さゆえに周囲から人としての評価を受けなかった彼女にとって、それは最も恐れるべき拒絶の言葉に他ならない。
無論、中村先生はそのような意図で言葉を発したわけではないが、彼女の心はただそれだけでもひどく震えるのだろう。
「……カズノリ、わたし……本当にここにいていいのかなぁ……? また怖がられるの、嫌だよ……」
「大丈夫だよ、アビィ。先生は君を怖がってるんじゃない。ただ、君の力が将来に悪いことに使われないかが不安なだけだ。そして、悪いことに使われないように色んなことを教えるのが、あの先生の仕事なんだよ?」
「いろんなことを……? 普通になる為のことも?」
「もちろんさ。だからアビィも怖がらないで、思った事を口に出してごらん?」
不安は全て拭い切れないのか、アビィはまだその目に不安を色濃く残していた。だが、一度目をつぶった彼女は大きく息を吸い、吐き出し、改めて数則の手を強く握る。
数則は、心細さを紛らわしてあげるように、優しく握り返した。
「……ん」
こくんと頷いたアビィは、片手を数則と繋げたままに中村先生の方へ向かう。
ここに至るまでの様々な障害は、プラムなんでも相談事務所の助力によって見事乗り越えた。だが、この一言だけは彼女自らが直接口にしなければいけない。
緊張からか、アビィの手のひらは既に手汗で湿っていた。その小さな手から彼女の心情が伝わってくる。だが、目を見れば恐怖を押し返すほどの覚悟が見て取れた。
彼女は意を決して声を張り上げる。
「……あ、あのっ!! 私、この学校に入学したいです!! 私が知らない色んな世界のことを、教えてくださいっ!!」
それが彼女にとっての精一杯。頭を下げるなどの礼儀など習ったこともないアビィの、能力を介在しない口からのお願い。
それを静かに聞き届けた中村先生は、朗らかに微笑んだ。
「我らが『天岩戸専門学校』は、ベルガーであれば
天岩戸専門学校の最も重視する指針。それは――『
= =
アライバルエリア内での一騒動が幕を閉じてから数日後。
周囲はアビィの巡る海外マフィアと事務所の大立ち回りを殆ど知らないまま日常を取り戻していた。壊されるのも早ければ直るのも早いのがこの町の強さだ。
ここの住民は逞しい。天専で一番最初に社会に出たベルガーが真っ先に移り住んだ町がここだった。以降アライバルエリアは少しずつ増え、ベルガーにとっての居場所といえる世界も拡張されていった。
それはベルガーの増加と社会的な後押しもあるだろうが、その末端まで見渡せば最終的に「住民たちが彼らを受け入れた」という人間関係的な部分が大きい。
進化を受け入れ、変化を受け入れ、その中で新たな形を模索する。
そうやって柔軟に物事を片付けてきたからこそ、アライバルエリアはいつも活気がある。
そんな町の事務所の一角で、電卓を叩きながら陰鬱な空気を垂れ流す男が一人。そう、数則である。
「天専から下りるアビィの養育費がこれで、光熱費と水道代がこれ。月の食費……生活用品の出費……衣服や玩具、本……で、今回の出費が……うげ! このままだとアビィにひもじい思いをさせない代償に俺達がひもじくなってしまう!」
仕事にとって永遠の敵である赤字の襲来に、数則は悲鳴をあげる。珍しく収益を辛うじてプラスにした緋鞠が身を乗り出した。
「ええー! ティアとアタシとコーのプラス収入を以てしてもダメなの!?」
「虎顎にぶち壊された事務所の、主に防犯部分の再設置にごっそり持っていかれてんだよ!! 畜生……今回の一件もアレのおかげで時間稼ぎできたし、この出費は削れねぇ……!」
「それでマイナスかぁ……ゼータクが遠ざかるぅ~」
「言っておくが! お前がヘマしなければマイナスにまでは落ち込まなかったのを覚えておけよ?」
彼女が雑な仕事をして危うく収入ゼロになる所だったのを知らない数則ではない。ギロリと睨みつけられたヒマリはしょぼんと項垂れた。
「……あい、すいましぇん」
「謝るだけならサルでも出来る。お前はサルか? それとも人間か?」
「なんか最近のカズ冷たい……」
「お金は人を変えるんだ。戻って欲しけりゃ金払え。ホストに貢ぐが如くな」
人差し指を突き合わせていじいじする級友を冷たくあしらう。
仏の顔は当の昔に使い切っているのだ。
今更そんな幼児体型で子供のフリしたって騙さない。
緋鞠の仕事ぶりはいつもこんな感じだ。仕事の目的は達するが燃やさなくていい物を燃やして金額が差っ引かれる。酷いときは黒字を全て消し飛ばす赤字を持ち帰ることもあるので、もう少しでいいから細やかな配慮を配って依頼をこなしてほしい。
隣に座るコー、こと公太郎が申し訳なさそうに項垂れる。
「ごめんねカズ、力が足りないばっかりに……」
「お前が謝るなコー。依頼を完璧に達成してボーナスまで持ち帰ったお前が謝ったら俺達一生胸張れなくなるから」
「で、でも……仕事でマモルから貰った端末一つ駄目にしちゃって……」
「必要経費だろ。また作らせる」
件の護は男に戻っているが、彼なりにかなり気合を入れて作った端末が一度の依頼で壊れたことに傷心なのかふて寝している。その護がのそりと起きてこちらを向いた。
「カズよ、俺に感謝はないのか? 徹夜で防犯システムを組み直し、虎顎のエージェントを退け、コーの仕事達成率に貢献する俺には感謝はないのか! いつからお前はそんなに冷たい男になった!」
「喧しい金食い虫。ぬくもりが欲しければ働いて金稼ぐか
「仙人かッ!? おのれ、俺も活躍した筈なのにこの露骨な扱いの差には納得できんぞ!!」
「あー、それ言ったらアタシとかカズの危機を大分救ったと思うんですけどー!」
「ええい黙れ黙れ、黙りおろう金食い虫共!! お前らが実力ある癖に金を喰うのが赤字の主な原因なんだよ!!」
ぎゃーぎゃーわーわーと成人男女たちが子供のような醜い言い争いを始める。そしてその様子見てコーが苦笑いする。
これがこの事務所の割とよくある日常である。
と、そんな折に、事務所の新たな住民が部屋の奥から飛び出してきた。
「カズノリぃ~~~!!」
「うわっと!?」
飛来した小さな影を咄嗟に受け止めた数則は、それがこの前の騒動で助け出した元依頼者――アビィであることを確認して首を傾げる。アビィは何かから逃げるように怯えた様子で懸命に数則をひしっと抱きしめる。
「どうしたんだアビィ? ティアと一緒に着替えをしてたんじゃ……」
「だって、だってぇ……ティアが怖いんだもん!」
「怖いって……?」
「ん!」
アビィが自分の額を数則の額と合わせ、自分の意識と意識を共有させた。数則に見えた光景はというと――。
『アビィちゃんって髪の毛とっても綺麗ね! これは触り甲斐があるわねー……』
『やーん、体プニプニ! 子供って本当柔らかくて……お肌もスベスベ~!』
『……本当に可愛いわね』
『将来的にはカズの養子……つまり私の……ゴクリ』
『リカちゃん人形みたいな可愛さ……』
『ね、ねぇアビィちゃん? ちょっとお目目つぶってて? 服は私が着せてあげるから……』
『はぁ……はぁ……これ? ううん、やっぱりこっちを……! 駄目、選びきれないわ……う、うふふ……!』
――ティアは数則の恋人である。しかし、アビィから伝わってきたイメージのティアは、確かにちょっと怖かった。彼女にとってこの手の恐怖は未知のものだったようだ。
しょうがないな、とため息をつく。自分の手の内で子兎のようにふるふると震えるアビィをこれ以上怖がらせないようにティアに注意しなければ。
「アビィ、何で逃げるのー!? あ、カズ……」
「ティア……アビィを可愛がるのはいいけど、今度からアビィの着替えは緋鞠に任せることにしたよ。見ての通りアビィ怖がってるし」
「ええー!? そ、そんな! まだゴスロリもミニバニーちゃんも子猫着ぐるみも試してないのに!」
「ちょっとティア。あんた一体いつどこからそんなものを……ドン引きだわぁ」
「幼い子供を怖がらせて玩具扱いは良くないな」
「失望しました。僕、ティアさんのファン辞めます」
「え……ええーーー!?」
ティア、ものの数秒で孤立無援である。
予想以上にショックだったのかティアは泣きながらアビィに縋りつこうとするが、アビィは素早く回避して俺の背中にさっと隠れた。
「そんな待って! 真面目にする! 真面目にするからもう一回チャンスを頂戴、アビィちゃん!」
本当に悪気はなかったのだろう。ティアは頭を下げて謝りながら上目づかいでアビィの顔色を伺う。アビィは涙目を拭って暫くそれを見た後――ぷいっとそっぽを向いて俺の身体に身を預けた。
「や。全部カズノリにやってもらう」
「え」
「え」
「え」
「え」
「えっ? ……俺がやるの?」
事務所内の空気が凍り付く。
「あの、アビィ。俺は男なんだ。女の子のことはやっぱり女の人に任せるべきだと……」
「でもカズノリがいい!」
「あの、ティアはあれだったしマモルは俺の道徳的に問題があるか――」
「おい、人を危険人物みたいに言うな!」
「あの、ともかくヒマリなら多分問題ないと――」
「カズノリがいいっ!」
必死で事情を説明するも、アビィは全く首を縦に振らない。
困り果てた数則に周囲の目線が突き刺さる。曰く、「この犯罪者め」とか「ズルイ」とか、或いは「そんなに懐いてる子の期待を裏切るのか?」とか。いや、確かに面倒を見ると言ったのは数則であり責任を負う事に否はない。だが、それでも女の子の着替えを自分が手伝うというのは……という葛藤を異能で読んだアビィは、トドメとばかりに一言。
「カズノリなら信じられるもん。ねっ?」
「……ああ、もう! 分かったよ俺がやるよ! 小学生の着替えの手伝いくらい赤字に比べりゃ何でもないわ!」
「ほんとっ!? うれしいっ!!」
はしゃぐアビィの笑顔は天使の微笑みと呼んで差支えないほどに可愛らしかったが……直感的に、この子は将来小悪魔になるんじゃないかと彼女の未来が不安になる数則であった。
こうして、プラムなんでも相談事務所の仕事は新たな住民と共にこれからも続いていく。
この世の人に悩みある限り、仕事が絶えることはないのだから。
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