22・お熱なエリスと東のドラゴン.転
日が沈む頃までに帰宅した俺は速攻で顔を洗って、蜥蜴の粘液まみれの服を着替えると、エリスの作業部屋に籠って調合を始めた。
見様見真似な上に見た事もない素材を使用するのはかなり不安ではあったが、案ずるより産むが易しだ。とりあえず明かりを灯して……。今回使う巨大蜥蜴の肝は足りなくなっていた薬草の代替だ。この肝はどんな病にも効く特効薬になるとオルクのオヤジ伝いに聞いている。大いに信憑性に欠けているが、今それを気にしてはいけない。
出かけるときに放置していたままだった木箱やら鉢やらを集め、必要なものを分量通りに取り出していく。擂り鉢にそれらを入れてゴリゴリやっていると、自普段仕事をしている彼女の姿と今の自分が自然と重なる。少しはエリスに近づけるんじゃないかなどと、師に追いつかんとする弟子のような事を考えながら、少しずつ量を調整する。
一通り混ざった所でこいつの出番だ。脇に放っていた例の袋を開けた。
「ぐお……」
鼻が捻じ曲がるほどの激烈な悪臭が漂う。肝の欠片はどす黒く変色しておりもう既に発酵していそうな勢いだったが、鼻を摘んで鉢に落とす。どちゃっと重々しい音が鳴った。暫くすり潰していると大分激臭が和らぐ。どうやら薬草が臭い消しの役割を果たしてくれたらしい。
「こんなもんで大丈夫か……」
あんなにあった薬草達は何処へ消えたのだろうか、奇怪な黒緑の塊が完成した。改めてそいつを見直す。あの芳しい香りは消えていたものの、やはり気持ち悪いものは気持ち悪かった。
これを食わせるのか……?
我が家の姫は少々子供っぽく雰囲気がホニャホニャしているのだが、こう言った手合には中々に厳しい。この謎の塊について色々とぐちぐち言われる未来しか見えてこない。誰か未来透視が出来る術者が居たらこれを提供していいものか是非とも占って欲しい。
何かしら、もう一手間加えたほうが良さそうか……顎に手をあて黙考する。
帰りが遅くなり、もうとっくに夕飯の時刻を過ぎてしまっている。病人の彼女が一人で飯の支度が出来たとは考えにくい、そしてこいつは薬にしては多過ぎる、ならば……!
ムンムンと黒い瘴気を放つ鉢を抱えて台所へと向かう。
「なぁエリス、そういや夕飯がまだだったよな?」
「んー、お腹空いた……」
寝室に声をかけると弱々しく返事が返される。予想通りだ。俺は早速こいつを美味しく調理してやろう作戦を決行した。
鉢の中に、運良く家に揃っていた卵や乳、玉ねぎ等を加えて更に混ぜていく。色は依然として漆黒に染まっているが……
しっかりとまとまったら、熱したフライパンに投げ入れて様子を見守る。初めから真っ黒なので焼き加減もなにもあったもんじゃない。長年の傭兵稼業で培ってきた観察眼を存分に発揮し、大局を見極めひっくり返す。
「……むう」
丁度良いのか判別がつかない……いや大丈夫、この俺が失敗するはずがない。
両面綺麗に焼きあがった(?)事を確認し、粥や茶と一緒に配膳する。俺はつとめて明るい調子でエリスに話しかけた。
「結構待たせちゃったな。詫びにとハンバーグを作ってみたんだが……病人に肉料理は厳しかったか?」
「ううん、ありがと。嬉しい……」
盆を下ろして隣に腰掛けると、彼女が不思議そうに小首を傾げた。
「あれ……でも今、お肉切らしてたはずなんだけど」
「そ、そうなのか?いや、不思議なこともあるもんだな」
「あと薬草は無事に買えたかな?キミ、戦闘能力ばっかりでお遣い力が皆無だから心配してたのだけど……」
「あ、あぁ、実は肉と一緒に練り込んでみたんだ。やっぱ薬は苦いからな、苦いのは嫌だろ?」
「ふむふむ……」
何故だか知らないが冷や汗が垂れる。彼女はそんな俺を見て目を細め、面白そうにニコッと笑いかけた。
「ね。折角キミが自分で作ったんだから、ちょっと味見してみたら?」
そう来たか。
「いやいや、折角お前のために作ったんだから、遠慮するなよ」
「遠慮なんてしてないよ、どんな感じか教えて欲しいなーって」
「どんなも何も、いたって普通の食材しか使ってないからなぁ、何も心配することはないぞ?」
「普通なんだ?それなら譲ってないでパクッと一口いっちゃいなって」
「ははは、そっちこそ」
「ふふふ」
「ははは」
「ふふふ」
「ははは……むぐっ!?」
二人して奇妙な笑いを浮かべていた一瞬の隙を狙って、エリスが漆黒に焼き上げられていたその塊を口に押し込んできた。
入れられた拍子にひと噛みしてしまう。直後、脳天から爪先まで稲妻が迸った。
「ーー!?」
世界が激しく明滅する。全身を衝撃が襲い、俺は成す術もなく椅子から転がり落ちた。なんという味……!いや、本当は味なんてしなかった。これは毒だ。怨念だ。つい数時間前に滅殺したドラゴンこと大蜥蜴が亡霊となって俺に復讐しに来たに違いない。俺が床を転げまわると世界も一緒に回転する。お陰様で吐き気まで催してきた。そうだ、いっそこのまま吐いてしまおう。恥も外聞も捨てて床に七色に光るブツを撒布してしまおう。さすれば浄土への道が開かれる。あぁ神様仏様、どうか俺に導きを。神仏習合でもなんでも良いです、なんて考える俺は異教徒なのだろう。この七色に光るブツをもって懺悔します。
「えぇ……そんなに酷いのが入ってたんだ。食べさせてよかった……」
顔面を赤へ青へと変化させているこちらを横目に、ベッドで後ずさりしながらそんな事を呟いている。そして彼女は今世紀最大の奇行に躍り出た。なんと自らフォークを手に取り、まだ皿に残っていた奇怪な塊を口に運んだのだった。
「よ、よせ、エリス……!」
上手く声を上げられず、必死に声を絞り出したが彼女の耳に入った様子はない。
危険を顧みずにひょいぱくと漆黒を取り込み、んぐんぐ咀嚼する。
「あ……れ……?」
だが彼女の表情が澄ました顔から崩れることはなく、ごっくんと飲み込み俺に向かって首を傾げた。
「キミ、何か演技してない?」
「え……えん、ぎ……だと……」
床に突っ伏した状態で停止しかけていた思考回路を再び稼働させる。
こいつ、毒耐性でも付いているのか……!?
おれの知能が著しく低下した脳みそではそう結論付けるのが精一杯であった。
「んー、だって、特になんともならないし……って、アスタ?!死なないで!」
どうやら只事ではないと判断したらしい彼女が飛び起き、俺のもとへ駆け寄ってくる。抱きかかえてベッドへ運ぼうとしているようだが苦戦している。当たり前だ、すっかり忘れていたが彼女は病人なのだ。俺はプルプル震える手をどうにか持ち上げ、彼女の頬をそっと撫でた。
「は、は……悪いな、病人第一号のお前に頼る羽目になるなんてな……情けないぜ……」
「何言ってるの!キミに死なれちゃったらわたし、もう生きていく意味がないもん……!」
「そんな悲しい事、言うなよな……」
「アスタ……」
遠のく意識の中にありながらもキザに笑ってみせる。
「最期くらい……笑って……見送っくれ、よ……」
「アスタ!そんな……!」
本日二度目の走馬灯が流れ過ぎていく。あぁ、ベッドが柔らかい。まるで……そうか、そうなんだろう、ここは天国への入り口なのだ。ほら、光の中から天使が舞い降りてきた。
「おやすみ、エリス……」
「だめーーっっ!!」
何処か遠くで女の子が叫んでいる。俺は天使に連れられ、神々しく瞬く光の中へと旅立った。
翌日きちんと目を覚ました俺は衝撃の光景を目の当たりにした。
なんと昨日まで熱で動けなかったエリスが、健常時と何ら変わらぬ様子で働いていたのだ。俺は未だに気分が悪かったが、全快した彼女を見て一先ず安心する。本人曰く、昨夜のハンバーグが効果覿面だったとか。やはり病の特効薬になるというあの噂は間違っていなかったのだ。信じてよかった。
気分転換も兼ねて二人で森の中を散歩すると、次第にこちらの体調も通常通りに戻ってきた。
「ちなみに、あれってなんのお肉だったのかな?」
卓向かいで昼食を摂っていた彼女が問いかけた。
「聞かないほうが身の為だな。うん」
「え……」
汚物を見るような目で見られた。
「分かった、教えるよ。その代わり怒るなよ……」
事をかいつまんで説明する。すると大筋を把握したエリスが驚愕の声をあげた。
「えぇーーっ!その蜥蜴、滅多にお目にかかれない希少種なんだよ!生け捕りにすれば二年は遊んで暮らせるくらいの!それを……」
「そ、そんなに貴重なやつだったのか、あれ……」
揃って嘆息する。
「ま、まぁ気に病んでても仕方ない事だ。そいつの肝で熱が下がったんだしな」
そう言いつつ慰めていると、
「……む」
玄関からノックする音が聞こえてきた。そしていつか耳にした、間延びした男の声。
「こんにちはー、ごめん下さい〜」
「ね、これって……?」
恐らくは彼女の予想通りだろう。
玄関の扉を開けると、そこには赤白青の目に悪い道化服の男と、次いでもう一人、客の姿があった。
「あんたは、この間の……」
前回ランザッドの奴隷商から助け出した少女が、こちらを見上げてニコリと笑った。
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