19・悲運の娘

 コルリアの兵達が乗ってきた船は俺達の来た港からそう遠くない海岸に停泊していた。


 途中で馬を拾ってきたとは言え、流石に疲労困憊だった俺は安堵の息を漏らす。


「どうやら、まだ気づかれていないみたいだな……」

「よかった……」


 寝ずに飛ばしてきた事もあるだろうが、彼女はやはり元気がないように見えた。俺は少し大げさに明るい声を出した。


「とっとと追加報酬貰って帰ろうぜ。家に着いたらこの間買いそびれた菓子を買ってくるからさ」

「ん、ありがと……行こっか」


 船に近づくと赤茶のスカーフを巻いた男が出てくる。彼に俺達だけ生き残った事、襲ってきた者の事を話し、少女を中へ運ばせた。こちらもそのあとに続く。構造は俺達が乗ってきたものと変わらないようだった。


 船室に通され、堪えられず床に身体を投げ出して大の字に伸びる。動き出した船の揺れを感じながらそのまま目を閉じていると、男が鞄を携えて部屋に入ってきた。

 むくりと上体を起こして向かい合わせになる。男が先に切り出した。


「お疲れ様でした。よくぞ遂行してくださいました」

「いや、あんた達の兵を助けてやれなかった。済まなかった」


 彼はいえいえと手を振る。

「とんでもない。あの者達の事は悔やまれますが、仕方のない事ですよ……さて」

 卓上にどさりと鞄を置くと、それを開けてこちらに見えるようにする。


「こんなにか……有難く頂くぞ」

 中には大量の金が収められていた。前金の約半額ほどもあるだろうか。


「あ、この場でいただけるんですね……て事は……?」

 外の空気を吸いに行っていたエリスが帰ってきた。そして目の前に置かれた鞄を見るなり訝しげに唇に指を乗せる。


 つまり始めから船に報酬が積んであったのだ。こんな事なら航海中に白鎧に襲われた時点で引き返してもらえば良かった。大シケと襲撃のどさくさに紛れて報酬を盗れていたら……


 そんな不届きな事を考えて項垂れる俺をみて男が苦笑いする。

「何はともあれ、これで依頼完了です。これからの話を……」


「これから……?」

 彼女が隣に腰を下ろす。


「これから、です。一旦お嬢様をコルリアのとある国にお送りしたいのですが、先にそちらにお付き合い頂けますか」

「確か本拠地がリアーナにあったんだったな……」


 俺とエリスを襲撃したホノカ達はハピルから追ってきていたと思って間違いない。するとすぐ隣に位置するリアーナに直帰するのは危険なのだろう。


「えぇ、良いですよ。先にそっちに寄って行って下さい」

 彼女が頷くと、男の顔がパッと明るくなった。


「助かります。勿論、到着次第、急いでニルグレスへ折り返しますので」

「そうだな、そうしてくれると有り難い」

「では、そう言うことで……」


 話がまとまると後手に戸を閉めながら部屋を出て行く。「うぅ……」男が居なくなった途端、エリスが机に突っ伏した。

「つ、疲れた……」


「はは、まあ、確かにな」

 海のドラゴン(?)、襲撃、温泉、襲撃と短期間で色々な事が起こり過ぎた。俺も心身ともに非常に怠い。温泉に関しては事故なのだが。


 結局のところ、あの二人が襲ってきた理由は分からずじまいだった。ふと思い当たったのは、船上で白鎧が現れた時に、森で戦った男と同じ外套を羽織っていたということだが、それも同じハピルの兵なら軍用のものが支給されているだろう、という理由で片付いてしまった。


 またエリス本人にも何度も尋ねてしまっていた。これ以上無理に聞くのは憚られる。

「ふあ……」

 考えていたら眠くなってきた。壁にもたれ掛かり目を閉じる。


 今は海も穏やかで、ゆったりとした揺れが更に眠気を誘ってくる。アルマを発ってからは寝ずの作戦だったのだ。沖に出てしまえばまた襲われる事も無いだろうし、このまま寝てしまおう。


 急激に溢れてきた心地良さに身を沈め、俺は暗い意識の内へ旅立っていった。




「どうしたんだ、宰相。いつにも増してやつれた顔をして」

「おや、これは皇子……そうですな、少し……」


「なにか悩みでもあるのか?良い、話してみろ」

「えぇ、有難く存じます。では場所を移しましょうか。どうぞ、こちらへ……」


 ……ここは……夢、なのか……?


 ……あれは誰だろう……相当に高そうな身分にみえるが……肝心の顔が見えないな……何を話しているのだろう……


「それで、悩みというのは?」

「そのですな、実は……我が娘の事で」


「そうか、子がいたのだったな。普段は母と居るのか?」

「いえ、妻は娘を産んですぐ……私が留守の時は雇いの者達が」


 ……娘が居るのか。悩みとやらにちょっと興味があるな……


「娘は、生まれつき身体が弱いのです……」

「病か?」


「それが、なんと申しますか。……病やケガは後からついてきたものでして」


 ……どういう事だ……?


「占師に言わせれば、娘の内なる力……所謂、精神が余りにも大きすぎるとの事でして……」


 ……内なる力……術を行使する時の……


「それが成長するに連れて益々大きくなっていまして。元々貧弱な身体に負荷をかけ続けているのです」

「精神が、か……聞いた事もないな」


 ……生まれつき弱い身体の衰弱具合に、大きくなり続ける力が拍車をかけているのか。そのせいで、容易に病にかかってしまったり、怪我をしやすくなっていると……


「それは深刻な……しかし」


 ……そうだよ、それなら術法を行使して精神を磨耗させてやれば……


「皇子の考えていらっしゃる事は、既に試したのです。ですが……」

「なにか問題が?」


「術の行使は精神を磨耗させますが、かなり体力のいる行為ですので……」

「む。行使すらままならないのか……」


 ……それは……可哀想って安易に言えたもんじゃないが……


「どれ、その娘に少し合わせてくれないか。興味がある」

「おぉ……で、ですが」


「俺はまだガキだ。権力も威光も無い、ただの飾りだ……今は全て其方がやっている。だから見舞うくらいは好きにさせろ」

「勿体なきお言葉……」


 ……今のところは宰相と呼ばれた男が全権を掌握してるのか……


「突然訪問しては驚くだろう、明日屋敷に向かおうか。して、娘の名を聞いておかねばな」


 ……これだけ話しておいて、名前を聞いてなかったもんな……


「ノエル……ノエル・デア・ザルフェダート。それが、我が愛娘の名です」

「ノエルだな……聞かせてくれて感謝するぞ」


「私も、申し上げたことでいくらかすっきり致しました。それでは準備等、家来に整えさせますので……」


 ……む、おいおい、ここで終わりかよ……


 やがて景色が薄れ、俺の意識は現実に引き戻された。




「……タ、アスタ、起きて……」

「ん、待て、あと五分……」

「そんなこと言わないで、ほら。コルリアに着いたんだよ」


 エリスに揺り動かされ、むくりと身体を起こした。コルリア……救出した少女を降ろすのか。

「ふふ、変な顔。……夢でも見てた……?」


 夢……そうだ、変な夢だったな。しかし何故、夢というのは目を覚ますとすぐに忘れてしまうのだろう、どんなものだったか思い出す事が出来ない。


「早くしないと、お嬢さん行っちゃうよ〜」

 彼女も休んでいくらか回復し、少し笑顔が戻ってきているようだった。


「そうだな、ちょっとくらい見送るか……って」

 そう言って手を膝に乗せて、腕に空いていたはずの矢傷がふさがっている事に気付く。


「キミ、丸一日寝てたんだもの。治しておいたの」

 得意げに微笑む。ついでに腹を摩ってみてもなんとも無かった。あれだけの傷の治癒となるとかなり時間がかかっただろうに……


 彼女の若干ボサボサになっていた金髪を更にクシャクシャと撫でてから、俺達は甲板に出た。


 少女はすっかり気をとり直していて、こちらを見つけ走り寄ると熱烈な感謝を告げてきた。おまけに手の甲に口付けまでしてくる。エリスがジト目で睨んでくる中で別れの挨拶をし、少女は迎えに来た護衛の一団に引き取られて歩いて行った。


「行ったな……」

「……なんでちょっと名残惜しそうなの?」


「そうか?いやぁ、しかし暑いな、さすが南の海だな」

「そっか、暑さで鼻の下が伸びちゃったんだ?暑かったら顔も赤くなるよねー」


「おおい、まだ出ないのかー?そろそろ出発しようぜ」

「む、逃げた……」


 俺は後をついてくるエリスから逃げながら、男達を急かしてニルグレスへと向かわせた。

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