18・帰章-プロローグ

「何故ここにいる……」

「……アスタ殿か」


 以前ハピルの城下で出会った黒髪の少女がこちらを見据えていた。

「……あんた親善大使だろ。お役目を果たして帰国中か?」


 堅い表情を崩さないままこちらの冗談に応じる。

「成る程。確かに祖国に戻るにはこの国を通るのが一番早い」

「ならこっちに用は無いはずだ」

「……」


「あ、アスタ……この人、なの?」

 ふと、俺の背後からエリスが顔を出した。それを見たホノカはキッと彼女を睨みつけ、刀を抜いた。


「貴様か……!!」


 言うが早いか、彼女に向かって目にも留まらぬ速さで突進する。その間に割って入り、空気を裂く音と共に切り上げられる刃を押し留めた。華奢な身体からは想像もつかない馬鹿力だ。この少女の実力は国境での乱闘で充分すぎるほど見ている。


やはり、今の俺達ではとてもじゃないが無力化させることは難しいだろう。

 俺は振り返らずに叫んだ。

「逃げろ!その娘は後回しだ!」


 弾かれたかのようにエリスが駆け出す。

「ぬ、待て!」

「おっと、相手は俺だ!」


 打ち合わせている刃を振りほどかれそうになり、慌てて押し戻した。体勢的には打ち下ろしているこちらが有利なはずなのに、負けることなく均衡を保ってくる。


「退いてくれ!相手はそなたでは無い!」

「あんたら、一体エリスに何の用なんだ」

「……アスタ殿には関係の無いことだ」

 至近距離で顔を突き合わせて問い詰める。


「そんなわけ無いだろ……!」

「では……あれは、あの小娘はアスタ殿の何なのだ!」

「恩人で戦友だ……!理由が何であれ、彼女に傷は付けさせない」


 せり合わせている得物同士がギリギリと音を立てる。こちらの返答を聞いた少女が一瞬だけ目を見開き、次いで苦々しげに顔を歪めた。


「私も……出来ればそなたを斬りたくはない」

「……あいつから、もう腕に一発貰ってるけどな」

「ぬ……」


 自分で言った途端、思い出したかのように左腕の痛みが戻ってきた。腕が痺れてきて徐々に感覚が無くなっていくのが分かる。

「……邪魔だ!」


 ホノカはそう呻くと突然腕から力を抜いた。支えを失った俺は大きく前によろめく。その隙に少女が膝を折って身体を倒し、こちらの勢いを利用して投げ飛ばした。


「なっ……!」「御免!」

 おまけとばかりに俺の下っ腹を鞘で一突きし、エリスの逃げた方へと走り去ってしまった。転がされた俺は即座に跳ね起き、その後を追う。走りながら腕をふる度に激痛が走る。相変わらず染み続ける血の量は少しは減っているものの、これでは長くは保たない。


 前方を走るホノカは商団の荷車から馬を奪った。そこらに転がっており邪魔な連中の死体を蹴散らし、俺も馬で疾駆する。


「エリス!」

 果たして彼女の姿を捉えた。ホノカが馬上で刀を向ける。そろそろ彼女にかけた強化術の効果が切れる頃だ。


「アスタ……!」「覚悟ォ!」

 彼女が振り返り目配せしたのと、ホノカの斬撃が襲ったのはほぼ同時だった。彼女は両脚に力を込めて飛び上がって、迫り来る斬撃を背面で綺麗に避ける。俺が疾駆させていた馬はたちまちエリスに迫り……


「……よしっ!」「ん!」

 空中の彼女を抱きとめ、馬を急転換させてその場を離脱した。

「む、くっ、待てぇ!」

「待ってたまるか……!」


 追いかけ合いの鬼が入れ替わる。俺は更に馬を飛ばすが、死体や荷車の散乱する地帯まで戻ると何やら妙なものが目にとまった。


 闇夜の中でもヌラヌラ光る厳つい鎧に身を包み、こちらに向けて弓を引き絞るヤツの姿があった。


「危ねぇ……!」

 咄嗟に彼女を抱えて鞍から転がり落ちる。直後に鋼鉄の矢を喰らった馬の嘶きが響き渡り、軽く地を揺らして栗毛色の胴体が雪面に崩れ落ちた。


「指揮官殿!」

 ホノカが追いつき、雪を巻き上げて飛び降りる。すると指揮官と呼ばれた巨漢は体力を使い果たしたのかその場に倒れこんで動かなくなった。


「あの麻痺毒を使ったのに、動けたほうがおかしいんだもん……そのまま倒れててね……」

 エリスが立ち上がってそう呟く。ともかくこれで逃げの手は潰されてしまった訳だ。


 俺は彼女に寄り添い、武器を構え直したホノカと対峙する。彼女がそっと腕に手を当て、治癒術を行使してくれるが、回復させるにはかなりの時間がかかりそうだ。止血するのがせいぜいだろう。


 時間稼ぎの意味も兼ねて、再び少女に問うた。

「……何故こいつを狙う」

「……」


「あんたの国と何か関係があるのか。今回の同盟の目的は何だ」

「……アスタ……」

 傍に立つエリスが沈痛な面持ちで見上げてきた。思わずこちらの顔が固まる。


 どうしてそんな顔をしているんだ……今起きている事が原因じゃない?では一体何に怯えているんだ?


「……贖罪を果たす機会も既に失われた。斬られよ!」

 その様子を見ていた少女が静かに言い、切っ先を向けた。


「待て……何だ、どういう事だ?エリス、っく!」

 地を蹴ってエリスに迫る少女の前に割って入り、二度三度と長剣を振るう。

「ぬぅ、邪魔をするな!」


 和解は到底望めそうにない。どうにかして無力化しないと……!

 そして彼女を巡る剣戟の末、上段から打ち下ろされたホノカの刀が冷気が纏い、破砕音と共に砕け散ったのだ。




「どうして、こんなになっちゃったの……」

 並んで走るエリスがそうぼやく。


 急な展開が続き、俺の理解が追いつかない。彼女が一体何をしたと言うのか、俺達は何に巻き込まれているのだろうか。


「あの大男とホノカは、裏で奴隷商と繋がっていたのか……?」

 エドワードという道化男からの依頼を受けた時点で罠にはまっていたのだろうか。だがそれにしては要領が悪すぎる気もする。


「ううん、そう、じゃない……」

「やっぱり、心当たりがあるのか?やたらとお前に因縁付けてきていたしな……」

「うん……どうだろう、私にも……」


 曖昧な返事を返してくる。

「む?どっちなんだ、はっきりしてくれ」

「う、ごめん、なさい……」


 俺を拾う以前の彼女の過去に関係があると考えてよさそうだ。

 少し先に廃屋を発見し、一先ず中に身をひそめる。おぶっていた少女をそっと横たえ、大きく息をついた。


「……ね、アスタは」

「ん、どうかしたのか?」

 隅に膝を抱えて座り込んでいた彼女が話しかけてくる。その小さくうずくまった姿は、まるで捨てられた薄汚い仔犬のようで痛々しかった。


「アスタは、わたしのこと……好きだよね?」

「……何故に確認形式で質問するんだ」


「ごめん……今言う事じゃ無かったね……」

「別に謝らなくていいんだが……」


 確かに、彼女の事を恋愛対象として好いているのは事実だ。現にこの少女の存在は、記憶を無くして心にぽっかりと空いていた穴を埋めてしまう程に大きくなっていた。


「それだったら、キミは、守ってくれる……?わたしのこと……」

 しっかりと頷く。


「俺の命の恩人なんだから、当然の事だろうに」

「うん……ごめんなさい。ありがとね……ちょっと、色々あって……」


 彼女は弱く微笑んだ。その色々を聞いてみたく思ったが、今それを尋ねるのは野暮だ。

 代わりに、華奢な身体をそっと抱き寄せた。彼女が小さく吐息を漏らす。


「あ……」

「第一、お前が死んだら薬屋はどうなる?傭兵稼業だってお前の名前が無くなったら閑古鳥が鳴くぞ」

「む……なんか違う……」


 若干不満そうに呟く。俺は軽く笑い、改めて言葉を述べた。

「大丈夫だ、死なせたりなんかしないさ」


「うん……うん」

 彼女が背中に腕を回したその時。


「んぅ……ここは……?」

 少し悪い言い方をしてしまうが、今まで気絶していた少女が都合良く目を覚ましたのだ。俺達は慌てて身体を離す。


「っと、目が覚めたか。あんたを助けに来たんだ」「私を……?」「うん、あなた、悪い人達に捕まってたのだけど、覚えてる?」

 次第に意識がはっきりしてきたのか、みるみる顔が青ざめていく。


「そうだ!私捕まって……ほんの少し屋敷の外に出ただけなのに……」

 怯える少女を落ち着かせ、手短に状況を説明した。


「助けてくださったのは、私だけなんですね……」

「残念ながらな……だが車の扉は壊しておいた。あとは自由に逃げてくれてる筈だ」


「さ、見つかっちゃう前に、そろそろ行かないと。船に……」

 エリスが立ち上がり、そこまで言うと顔が曇る。


 帰りの事をすっかり忘れていた。あの二人が俺達の後を追って来たのであれば、間違いなく商船もどきは潰されているに違いない。とすれば……


「コルリアの兵達が乗ってきた船だ。多分、まだ港に留まってるだろ」

「ん、行ってみよっか。この子を見ればすぐに察するだろうしね」

「そうと決まれば出発だ。こんな所、早くトンズラするぞ」


 まだ足元が覚束ない少女をおんぶして、ホノカと大男の目を盗みつつ、俺達は港へと急いだ。

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