1・まどろみの中へ


 パチパチと、暖炉の火が爆ぜている。


 既に春が訪れ、昼間は野原に転がって昼寝ができる陽気に満ちているというのに、夜になるとまだかなり冷え込む。ここの土地には一年中葉をつける木が密生していることも相まって、夜の森は冬も春もいたって変わらぬ景色だ。


 俺は椅子の背もたれを腕にかかえ、揺らめいている炎をぼうっと眺める。次第に睡魔が忍び寄ってきた。

「ふぁあ……」

 盛大にあくびをかまし、工房に籠っているのであろう鍛冶屋の主に声をかける。

「なあ、いつまでかかるんだー?」

「うるせぇ、もうちょっと待ってろ!」

 俺のいる部屋の奥にある扉から、やたらと低音の効いた怒鳴り声が返ってきた。その後もしばらく、ぶつくさと何か呟く声がした。大人しく待つことにする。


 卓上に置かれていた茶を飲み干し、暖炉の暖かなまどろみに身を任せていると、頭上から先程と同じ声が聞こえてきた。

「ほらアスタ、待たせたな」

 がっしりとした体つきのオヤジが、両手の指にナイフを掴んで立っていた。


 俺にナイフをよこすと、隣の椅子に腰を下ろした。

「助かるよ。悪いな、忙しい時に」

「次からは修繕出来るうちに持ってこい」

 馴染みの鍛冶職人のオルクは、そう言って茶をすする。


「最近やたらと注文が多くてな。もう軍の専属じゃないってのによお……こう言うのは身内だけで回してほしいもんだ」

 そう1人でぼやく、小さめのタオルを頭に巻き、煤けた作業用のエプロンを着けたこの男は、かつては軍事国家「リアーナ」の軍専属の鍛冶屋だったのだ。作業中の不注意によって片腕を焼いてから、今は街で自分の工房を構えるようになった。


 俺は椅子をガタガタ動かし、オルクの方を向く。

「オルク、その殺到してる注文というのは、リアーナの分隊からか?」

 軍事国家「リアーナ」は、俺達がくらす深緑の国「ハピル」の北に位置する国である。

 オルクが頷く。

「そうだ。こんだけ依頼されれば、しばらくは働かずにのんびり出来そうだなぁ。カミさんを舞台にでも連れてってやれるかな」


 テーブルに並べられたナイフから一本を手に取る。

「まぁ、お陰さまで在庫の手入れをする暇もないんだがな」

 俺は質問を重ねた。

「何か情報が手に入ったりはしたのか?ほら……昔の知り合いからとか」


 オルクは腕を組み、うーむと唸る。

「そうさなぁ、リアーナじゃなくてだな、ハピルの軍の連中が、何やら不満分子狩り的なことを始めたらしいぞ」

「……いや、ハピルの軍がって、どういうことだ。ここ最近はずっと平和だったろうに」

 うんにゃ、と首を振る。

「狙いは1人だと。討伐のために隊まで組まれてる。国の裏切り者を成敗する!とか言ってるらしくてな、今まで斬られた不満分子たちは聞き込みついでにやられてるだけだ」

 ご愁傷様である。なにをやらかしたかは知らないが、日頃働いてきた悪事が偶然その隊の耳に入ってしまったのだろう。


 ふうんと、俺は曖昧に頷く。

「まあ、今まで逃げていた大罪人の居場所が割れた、とか、そんなところか……」

 そろそろお暇するべく、椅子から立ち上がる。かけていた外套を羽織り、ナイフを一本一本、慎重に収めた。


 オヤジも立ち上がり、

「さっきのハピルの話にリアーナが絡んでるかは分かんねえけどよ、お前も忙しくなりそうだな、傭兵さんよ」

 そう言ってガ、ハ、ハと笑う。

 俺は苦笑し、扉のベルを鳴らしながら外に出た。


 外に出た途端、夜風が頬を撫でた。

「やっぱり、まだ少し冷えるな……」

 入り組んだ路地に、レンガ造りの建物が並ぶ。家々の明かりはほとんど落とされ、街はすっかり静まり返っていた。

 あいつはまだ起きてそうだな……。

 扉を開けたら速攻で抱きしめるべく、俺は帰路を急いだ。






 軍事国家「リアーナ」が、深緑の国「ハピル」に侵攻を開始したのは、約四年ほど前のことだ。

 両国とも、三大陸のうちのひとつ、温暖な気候と広大な大地に恵まれたニルグレスに位置する。

 ハピルは突出した武力こそ無かったものの、比較的豊かな土壌の上にあり、商人の出入りも盛んで活気に満ちた国だった。隣国のリアーナとは古くから友好関係にあり、頻繁に使節の派遣も行われていた。

 しかし、ハピルの王が代替わりしてから、両国の関係は疎遠になり、段々と悪化していった。

 そして月日が経ち、リアーナはハピルの都を落としにかかった。

 兵は戦慣れし、数でも大きく上回っていた。

 リアーナ軍は無関係な国民、女子供に対しても、容赦なく攻撃を行った。ハピルは防衛線を敷き耐える中、何やら裏で動き始めたが、同時にリアーナ軍は、ハピルの城を都ごと火にかけた。

 しかし。

 炎に包まれていた筈のハピルの都が緑の波に呑まれ、

 勝利の瞬間に歓声を上げていたはずのリアーナは絶望と混乱の渦に呑まれた。

 虹色の光が、両国の上空を覆い尽くす。この世のものとは思えない光景。

 海を越えた遥か遠方の大地に住まう人々さえもが、光に手を合わせ、跪いた。

「ラヴェスケープ」が発生した。






 俺・アスタと、少女・エリスの住まいは、街からずっと離れた森の奥深くに、人の眼から隠れるようにひっそりと建てられている。訪ねてくるものと言えば、熱を出した子を抱く母親、持病持ちの爺さん、軍や政府からの遣いくらいだ。ごくたまに、イケナイ仕事に従事する人間だったり。いずれもこちらの暮らしのためには不可欠である。


 エリス・アルメリアは、薬師であり、傭兵であり、俺の命の恩人であり、想いを寄せる人でもある。

 数年前、森で行き倒れていたところを拾い、助けてくれたらしい。俺はその謎の兼業に疑問を持ったが、母が町医者で父が兵士だったとか、運動神経が並外れて良かったからだとか、少々腑に落ちない理由を列挙してくれた。


 俺自身は剣の腕にだけは覚えがあり、以来彼女の傭兵稼業の手伝いをしている。

 不思議な形に捻じ曲がった木々が生える、入り組んだ森を進む。あたりは闇に呑まれ、数歩先の距離から濃紺が広がっている。

 オルクの工房にランプを忘れたまま来てしまった。木の根に蹴つまずきながら、こんな事なら取りに戻れば良かった、と悪態をつく。


 エリスに引越しはしないかと何度か提案してみたりもしたのだが、そのうちね、と曖昧に流されて終わっている。

 やがて足元に獣道が現れ、しばらく歩くと開けた場所に出た。淡い月明かりが広場を照らす。


 周囲の木の養分を根こそぎ吸い取ってしまったかのように、中央に一本の巨木が佇む。その下にちょこんと建てられている丸太小屋が、エリスの、俺の住まいだ。

「悪い、遅くな……おわっ」

「アスター!」

 昼間に街で受けた薬の注文を携えて扉を開けると、俺より頭ひとつ低い少女が飛び込んできた。ぐいぐい胸に顔を擦り付けてくる。


「おそい。今夜はオルクのおじさんのとこ?」

「少しダラダラし過ぎたな……あ、また幾らか注文が入ってるぞ。果物屋のおっちゃん、だいぶ回復したみたいだ」

「そうなの……じゃあ、少し量減らしておかないと」

 彼女の、純白の絹にほんの少し金を溶かしたような綺麗な長髪を撫でてやると、顔を上げて満足そうに微笑んだ。深い琥珀色の瞳に俺の顔が映される。

「ん……おかえりなさい」

「ただいま、エリス」

 こちらの心の内を確かめるように言うと、とてとてと家の中へ走っていく。

 中は大した間取りではない。台所と居間を兼ねた部屋、寝室、彼女の作業部屋の三部屋だけだ。


 俺は軽く風呂に入り、寝室に向かう途中に作業部屋を覗いた。壁一面に木棚や抽斗が取り付けられており、大きな卓の上には所狭しと物が積み重なっている。その中に埋もれるようにして、彼女が何かをすり鉢でゴリゴリしていた。


「先に寝てるからな」

 軽く声をかけると彼女は手早く片付けをし、

「わたしも寝る」

 と駆け寄ってくる。

「おりゃっ」

 そのままベッドに飛び込んでいった。

 彼女の年の割にーー俺より幾つか上の筈だーー子供っぽい仕草に、拾われて間もない頃は少し戸惑ったりもしたが、今では当たり前のことだ。二人して同じベッドに入り込む。

「ん、アスタ、もうちょっと寄ってきて?」

 俺は、注文の内容や軍の動きについて、全く伝えていないことに気づき、軽く溜息をついた。別に明日言えば大丈夫だろう。今はとにかく眠い。

 布団の中で、俺の脚を太ももで挟みながら丸まって寝息を立てる姿を眺めながら、俺もまどろみに身を任せた。

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