第19話 クロード・ローゼンベルク
ローゼンベルクの本家お屋敷にある一室。
執務用のテーブル席に座るのは、次期当主と目されるクロード・ローゼンベルクだ。彼は眉をひそめ、部下であるアンドレアからの報告を吟味していた。
「……いまの話は事実なのか?」
「たしかな筋の情報です。セシリア様の母親が亡くなったのは事故ではありません。イザベラ様の命令によって実行された暗殺です」
「そう、か……」
目をつぶり、無言で天を仰ぐ。
怪しくとも、実際には偶然の事故である。そんな証拠を見つけたくて調査させた。その結果見つかったのが、暗殺であるという証拠だった。
「母上はどこまで愚かなのだ。妾が正妻を弑逆(しぎやく)したなど、明るみに出れば身の破滅だぞ」
「ご安心を。真実へと繋がる証拠はすべて消してまいりました」
「よくやったと言いたいところだが、問題はそこではない」
「それは、どのような……?」
「人情の……いや、政治的な問題だ。セシリアが片田舎へと引っ込んでしまったのは、ローゼンベルクにとって大きな損失だ」
「大きな損失、ですか? 失礼ですが、セシリア様はそこまで優秀なのですか?」
不思議そうな顔をする部下を見て、なにも理解していないのかとクロードは苛立つ。けれど、そう言えばこの男はセシリアとの接点がなかったなと思い出した。
「セシリアは努力家だが、取り立てて優秀と言うほどではない。しかし、優しい性格と、少し危なっかしいところが、万人に愛される魅力となっているのだ」
「魅力、ですか?」
「うむ。特別なにかが有る訳ではないので、会ったことがなければ分からぬだろうな。しかし、気がつけば重要な人物と仲良くなっている。そういう星の下に生まれた娘なのだ」
中でも印象的だったのは、幼き頃に開催されたパーティーでの出来事だった。
迷子になったセシリアが、とあるご老体と仲良くなっていた。そのご老体というのが、ローゼンベルクと長年いがみあっていた公爵家の権力を握る人物。
そのご老体に、嬢ちゃんが当主になるのなら、後ろ盾になってやろうとまで言わしめた。
セシリアが無邪気な顔で「クロードお兄様のお手伝いをするのが将来の夢ですわ」と言ったために事無きを得たが、あのときの返事次第で歴史は代わっていただろう。
そういうことが積み重なった結果、イザベラが警戒をするようになったのだが……クロードにしてみれば余計な心配でしかない。
セシリアは当主の座に興味がなく、そこにいるだけで味方を増やしてくれる。まさに幸運の女神のような存在だ。
そんなセシリアを遠ざけるなど、馬鹿のすることだろう。
なにより、セシリアは天使のように愛らしい。
クロードはあの愛らしい妹にお兄様と呼ばれるだけで満たされ、照れ隠しに乱暴なセリフを吐いてしまうほどに溺愛している。
もしセシリアに悪い虫がついたら、その男を八つ裂きにしてしまうだろう。それほどまでに大切な妹の母親を殺し、辺境に封じ込めるなど、なんと愚かなと震える。
「では……今回の一件は助かったと言うべきでしょうね」
「……なんのことだ?」
嫌な予感に顔を険しくする。
「セシリア様を乗せた馬車が襲撃されたそうです」
「――なんだとっ!? それで、我が妹は無事なのか!?」
「はい。重傷を負ったものの、ポーションによって完治したようです」
「そう、か……」
深く、深く息を吐く。
吐き出した息の代わりに胸を満たしたのは、激しい怒りだった。
セシリアを辺境に封じるだけなら、腹を立てつつも黙認できた。
愛らしい天使と会えなくなるのは耐え難き苦痛だが、セシリアの魅力に引き寄せられる害虫達から護ることが出来るからだ。
更に言うと、ローゼンベルク家の娘は、最初にキスをした相手と結婚しなくてはいけないという謎のしきたりがある。
本来は結婚するときにキスをする流れだが……そのしきたりを知って、強引な行動に出ようとする者がいないとも限らない。
そう考えれば、田舎町に封じることは悪いことではない。
しかし、許せるのはあくまで田舎町に封じたことだけ。セシリアの母親を殺し、天使の笑顔を曇らせたことは許されざる罪で、セシリアを殺そうとしたことは万死に値する。
「……このままという訳にはいかぬな。すぐに対処する必要がある」
「一度失敗した以上、しばらくは動かないと思いますが?」
「さっきも言った様に、セシリアには人を惹きつける魅力があり、それなりの能力を持つ。片田舎の町程度なら、見事に復興させる可能性が高い」
「イザベラ様がそれを予見して動くと?」
「それは分からん。だが、警戒している以上、状況を探らせるくらいはしているだろう」
セシリアが醜態をさらす――たとえば、どこの馬の骨ともしれぬ男に入れ込み、一緒に暮らすなんて醜態でもさらせば、イザベラの興味も失せるだろう。
しかし、自分を愛しているセシリアに限ってそのようなことは万に一つもありえない。ゆえに、イザベラが動くのは時間の問題だろうと、クロードは判断を下した。
「……母上には、離れで療養してもらおう」
「いま、イザベラ様の後ろ盾を失うのは不味くありませんか?」
「その通りだ。だが、そう思って放置していた結果、より大きな後ろ盾を失い、更に多くの敵を作る事態になりかけている」
もしセシリアが殺されていたら、クロードはぶち切れていた。
それはおいておくとしても、多くの者が嘆き悲しむだろう。そうして糾弾する相手として真っ先に疑われるのは、イザベラやクロード。
いままでセシリアを通して味方だった者が、こぞって敵に回る。
そんな事態だけは、なんとしても避けねばならない。
「父上には俺が話を通そう。お前はほかの者への根回しを進めてくれ」
「かしこまりました」
――後日。
お屋敷の隣に建てられた離れで、イザベラがヒステリックに喚き散らしていた。
「母上、もう少し声を抑えたらいかがですか?」
「クロード、良いところに来ました! この者達があたくしをここに閉じ込めようとするのです。すぐに下がらせなさい!」
いまだまったく状況を理解していないのだろう。命令口調で詰め寄ってくる。それに対して、クロードは蔑んだ視線を返す。
「なにを言い出すかと思えば。彼らにそれを命じたのは俺ですよ」
「……なにを、なにを言っているのです?」
「分からないのですか? 母上はやりすぎたのです」
「やりすぎた? もしやそれは、セシリアの一件ですか? あれは、貴方のためを思って排除したのですよ?」
「……俺のため、ですか?」
「ええ。あの娘は危険です。その証拠に、昔から自分の後ろ盾となる者を集めていました」
「セシリアに野心はないと思いますが」
「そんなことはありえません。建前に決まっています」
ローゼンベルク家に匹敵する大公爵が後ろ盾になると言われたにもかかわらず、多くの者達がいる前で公爵家を継ぐつもりはないと宣言して見せた。
セシリアに野心があるかどうか、見れば分かるだろうにと呆れる。
「クロードにはまだ分からないでしょう。ですから、この母にすべて任せておけば良いのです。そうすれば、間違いなくローゼンベルク家の当主になれます」
「…………」
もはや呆れて声も出ない。
イザベラに任せていても、当主の座は転がり込んでくる可能性は高い。けれどそれは、疑惑まみれの敵だらけ。誰にも認められない、名前だけの当主となるだろう。
「さぁ、分かったら、あたくしを解放しなさい」
「……ええ、良く分かりましたよ」
「そうですか。なら、早く彼らに命じなさい。いまなら、気の迷いとして――」
「――母上にはもはやなにを言っても無駄なのだと、ね」
「……は?」
イザベラが間の抜けた顔をさらす。
「母上には一生、この離れで療養していただく」
「なにを言うのですか! あたくしは、貴方の母親なのですよ!?」
「だから、この程度で許してやるのだ。もし赤の他人であれば八つ裂きにしている」
「……本気で言っているのですか?」
「この状況で冗談を言うとでも?」
ようやく、自分の状況が悪いと理解したのだろう。イザベラは顔を青ざめさせる。
「わ、分かりました。つまり、やり方が気に入らなかったのですね。それならば、次はもっと上手くやります。ですから――」
「黙れ!」
「――ひっ」
クロードの剣幕に、イザベラが悲鳴を漏らした。
「俺を産んだ母であるから情けを掛けてやるが、二度と日の光を浴びることはないと知れ!」
一方的に宣言をして踵を返した。背後からイザベラの見苦しい言い訳が響くが、クロードはそれを無視して立ち去った。
その後、自室に戻ってきたクロードは、再びアンドレアと向き合っていた。
「これで、あらたな問題を心配する必要はなくなったが……」
「問題はセシリア様のことですね。戻るように指示を出しますか?」
「馬鹿を言うな。俺の母が、あいつの母を殺したのだぞ。俺がそんな指示を出したら、警戒されるに決まっているだろう」
「……失礼いたしました。では、自ら迎えに行かれるのはいかがですか? クロード様が直接話せば、分かってくださるのではありませんか?」
「それこそ馬鹿を言うな! 俺が迎えに行って、もし――」
お兄様なんて大っ嫌いなどと言われたら生きていけないではないか――と、喉元まで込み上げたセリフは辛うじて飲み込んだ。
クロードは次期当主として、妹を溺愛している事実をひた隠しにしている。その事実に気付いているのはごく一部だけ。新人のアンドレアは、気付いていない側の人間だった。
アンドレは「どうかいたしましたか?」といぶかしげに問いかける。
「い、いや。俺が迎えに行っても、疑われるだろう。なにより、あまり長くここを離れる訳にはいかないからな」
「……たしかに、私が浅はかでした」
「分かれば良い。ことは慎重を要する。まずはお前が会いに行って事情を伝えるのだ!」
クロードは内心をおくびも出さずに指示を出した。
「私が、ですか? しかし、私は貴方に仕えてから日が浅く、セシリア様とも面識がありません。他の方が適任なのではありませんか?」
「いや、俺の部下という認識を持たれていない方が警戒されにくいだろう。食糧支援かなにかを口実に、妹が不幸になっていないかどうか、様子を見てくるのだ」
「かしこまり――っ」
アンドレアが扉の方へと視線を向ける。
そうして扉を開けると部屋の外を見回す、
「どうかしたのか?」
「いえ、人の気配を感じたのですが、シャルロット様が通りすがっただけのようです」
「……シャルか。立ち聞きされていた訳ではないな?」
「大丈夫だと思いますが……なぜ心配なさるのですか?」
「あやつは母上から姉の悪口を聞いて育ったのだ」
金髪ツインテールがトレードマークの美しい少女で、幼い頃はセシリアに懐いていた。
しかし、なにか不幸があるたびに、セシリアのせいだと母親に言い聞かされて、いつしかセシリアを嫌うようになってしまった。
ある意味では、シャルロットも被害者である。
本当は和解させてやりたいところだが、まだ物の分別がつかないほど幼いため、セシリアに会わせればなにを言い出すか分からない。
ゆえに、まずは自分が誤解をとく必要がある――と言うか、まずは自分が妹の信用を取り戻さなければ、他の心配をする余裕がない、と言うのが本当のところだが。
ともあれ、愛すべき妹の笑顔を取り戻すため、アンドレアに準備を急がせた。
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