戦神ヴァルド

猫正宗

戦神ヴァルド

 城塞都市ゴラント。


 この都市は『城塞』などと謳われるだけあって、街全体が背の高い堅牢な壁にぐるりと囲まれていた。


 門も重厚で街の四方、東西南北に据え付けられている。


 その南側に当たるこの門は重厚さに高さも相俟って、見るものを圧倒する威容を誇っていた。


 門の直ぐ隣には検問所が設けられていた。


 そこには都市内に入ろうとする者たちが、長蛇の列をなしている。


 彼らは都市へと赴き商売に励む旅商人や、外での所用を済ませて戻ってきた住民たちである。


 ◇


「ダメだと言ってるだろう!」


 列の先頭で、ひとりの男が兵士に突き飛ばされた。


 倒れたのは薄汚れた身なりの男。


 その彼が地面に四つん這いになって、嗚咽を漏らす。


「壁のなかに……。

 都市のなかに入れてくれ!」


 検問所の兵も困り顔である。


 なにせこの男のせいで、先ほどから検問を待つ行列が一向に進まないのだ。


「ほら、もう泣き止め!

 そして出直してこい」


「……お願いだ。

 都市にいれてくれ……」


「そういう訳にもいかないんだ。

 わかるだろう?

 通行許可証か通行料を持って出直してこい」


「……このままでは村が。

 妻が……!」


 兵士が男の腕を掴んで立たせようとする。


 だが力ない様子のその男は、項垂れたまま起き上がろうとはしない。


 ◇


「ねえ。

 あなたのせいで、さっきから列が進まないんだけど」


 行列から美しい声が響いた。


 鈴を鳴らすように凜とした声。


 だがその声には、少し冷淡な響きが感じられる。


 マントに身を包み目深にフードを被った女が、行列から外れて歩み出た。


 かと思うと、咽び泣く男の前に立ち止まる。


「どうして都市に入りたいの?」


「それは……」


 男が顔を上げた。


「……村が。

 村が、野盗に襲われたんだ」


「……ふぅん」


「何人も殺された。

 歯向かった男も、無抵抗な子どもや老人も!」


 男は目を血走らせ、唾を飛ばしながら叫ぶ。


「隣人も友人も、みんな殺された!」


「……それで?」


「女たちも攫われたんだ!

 そのなかには俺の、妻だって……」


 よくある話だ。


 このご時世、治安のよい場所は少ない。


 それこそ王国でも治安がよいと言えるのは、王都やここのような一部の都市だけである。


 近隣の村が野盗に襲われるなど、そこら中に掃いて捨てるほど転がっている話だ。


 この国は――


 いや、延いては世界で唯一の人類圏であるこの小さな大陸は。


 まだ先の人魔大戦の傷痕から、立ち直ってはいなかった。


 ◇


「都市に入ってどうするの?

 自分だけ安全な場所に逃げ込むつもり?」


 女がフードの奥から冷ややかな声を浴びせかける。


「違う!

 俺は都市長に訴えたいんだ!

 村を救ってくれと!」


 男が憤慨しながら叫んだ。


 きっと藁にも縋る想いなのだろう。


 だが彼には現実が見えていない。


 たしかに城塞都市の兵が出張れば、野盗など一蹴できるに違いない。


 とはいえこの都市に、近隣の村を助ける義務はないのだ。


 その義務を負うのは都市長ではなく領主である。


 よしんばこの男が都市長と面会できたとしても、訴えを無下にされることは目に見えている。


 それならこの検問所で追い払われた方がまだいい。


「……そう。

 お願い、叶えてもらえるといいわね」


 フードの女が踵を返した。


 背中を向けて列に戻ろうとする。


 だが翻ったそのマントの裾を、男が掴んだ。


「そ、そうだ!」


「……離しなさい」


「あんた、俺の代わりに都市長に頼んでくれないか!」


 男は懸命になって女を引き留めようとする。


「どうしてわたしが?」


「いいだろう⁈

 あんたは壁の向こうに行けるんだろう!

 だったら――」


「いやよ」


 女はにべもなく応えて、男の手を振り払おうとする。


 だが男も必死だ。


 なんとか女に願いを聞いて貰おうと、掴んだ手を離さない。


「頼む……。

 頼むよ!

 お願いだから!」


 男が手を引っ張る。


 その拍子に女のマントが外れた。


「ちょ、ちょっと⁉︎

 あなた――」


 フードに隠されていた女の素顔が露わになった。


 現れたのは若く美しい女だ。


 陽光に輝く金糸のような髪。


 白磁のごとく透き通った肌と、覗けば吸い込まれそうになるほどに深く碧い瞳。


 繊細な装飾の施された胸当てと、腰には美しい剣を佩いている。


 ◇


「……アリス様だ」


 素顔を晒した彼女をみて、列の誰かが呟いた。


「な、なんだって⁉︎」


 声は次第に大きくなる。


「ア、アリス様だ!

 このお方は『特S級冒険者』のアリス様だ!」


「特S級って、全部で4人しかいない最上位冒険者の⁉︎」


「あの若さで⁉︎

 見たところ15歳くらいだぞ!」


「でも、俺はみたことがある!

 この方が都市を襲う魔獣の群れを、レイピアの一閃で細切れにしたのを!

 このお方はアリス様だ!!」


 人々がざわめきだした。


 それを横目にして、アリスと呼ばれた年端もいかぬ冒険者が嘆息する。


「はぁぁ。

 こうなるからフードを被っていたのに……」


 ため息を吐いた彼女の足下に、男がいそいそと這いつくばった。


 地面に額を押しつけながら叫ぶ。


「こ、高名な冒険者様とお見受けしました!

 どうか!」


「……なに?

 さっきの村を救えって話?」


「はいぃ!

 何卒……」


 男は泣きながら懇願した。


 だがそれを頭上から見下ろす彼女の視線は、変わらず冷ややかなままだ。


「……ギルドを通しなさい」


「そこをどうか、お願いします!」


「ダメよ。

 冒険者はみんな、慈善事業を行ってるわけじゃないの」


 冒険者はギルドを通して依頼を受ける。


 そしてギルドは斡旋料をマージンとして差し引く代わりに、様々な便宜を図る。


 そういうシステムなのだ。


 この関係を崩して冒険者が直接依頼を請け負うことは、ギルドに仇する行為に他ならない。


「お金ならお支払いします!

 今はないですが、いつか必ずお支払いします!」


 もし直接依頼を受けたとしても、目立たなければ、ギルドもうるさくは言わないかも知れない。


 だがアリスは、名の知れた冒険者である。


 衆人環視のなか、どこの誰とも知れない男の依頼を直接受けようものなら、その噂はすぐに都市中を駆け巡るだろう。


 そうすれば二匹目のドジョウを当て込んだ依頼者が殺到することは目に見えている。


 彼女とてその全てを救うことは出来ない。


「……諦めなさい」


 ここで男を見捨てることはアリスの本意ではない。


 だが彼女はそんな胸の内をおくびにも出さず、男に背を向けた。


 男はボロボロと涙や鼻水を流し、しゃくりあげながら嘆願し続ける。


「お願いします!

 どうか、どうか……」


 アリスは懇願を無視して歩き出した。


「どうか、あの悪鬼から……。

 戦神ヴァルドから村をお救い下さい……」


 彼女の歩みが止まった。


「……戦神……ヴァルド……?」


 ゆっくりとアリスが振り返る。


「あなたいま、ヴァルドと言ったわね?」


 少女の表情が厳しくなる。


 一頻り考える素振りを見せてから、彼女は地面に這いつくばる男に再び足を向けた。


 ◆ ◇ ◆


「ふぁ~あ。

 今日も退屈だねぇ」


 大きな欠伸をしてカウンターに頬杖をつく。


 ここは城塞都市ゴラントの冒険者酒場『踊る仔兎亭』。


 俺はその酒場のマスターだ。


「んく、んく……。

 ぷはぁー!」


 エールを一息に飲み干す。


 鼻を抜ける香ばしさが堪らない。


「うまい!」


 こいつは厨房担当のヘリオが仕込んだものだ。


 不味いわけがない。


「まぁた昼間っから飲んだくれてるのかい。

 図体ばかり大きいこの飲んだくれ店長は」


 給仕服を着た白髪褐色のボイン姉ちゃんが声を掛けてきた。


 頭には兎の耳が生えている。


 こいつの名前はシャロン。


 踊る仔兎亭、ホール給仕担当のグラマー姉ちゃんである。


「まあいいじゃねーか。

 のんびりいこうぜ」


「なに言ってんのさ!」


 シャロンがキッと眉をつり上げる。


 彼女は半身になって腕を伸ばし、俺に店内を見せつけてきた。


「見てご覧よ!

 この客入りを!」


 昼飯時の店内は、様々な種族の冒険者でごった返していた。


 使い込まれた装備に身を包んだ熟練の戦士。


 静かに食事を楽しむ見目麗しいエルフ。


 大柄なリザードマンと一緒に騒いでる酔客はドワーフか。


 酒場は中二階まで満杯の客入りだ。


「……おぉ。

 今日も繁盛してるねぇ」


 素直な感想をこぼした。


「そう!

 大繁盛さね!

 忙しくて、てんてこ舞いだよ!」


 そう話している間にも、ひっきりなしにオーダーが入る。


「おーい!

 こっちエールを3杯追加だー!」


「こっちには『ホーンラビットの香草焼き』を2人前ちょうだい!」


「はーい!

 ちょいとお待ちだよー!」


 シャロンが客の方を振り返り、返事をした。


「ほら店長!

 ぼさっとしてないで手伝っておくれ!」


「……はぁ。

 仕方ねえなぁ」


 ボリボリと頭を掻く。


 俺はジョッキに残ったエールを喉の奥に流し込んでから、腕捲りをした。


 ◇


 ギィギィとドアの軋む音を残して、一組の冒険者たちが店を後にした。


 昼飯時の喧噪を乗り切った店内に、残った客はまばらだ。


「つ、疲れたぁ……」


 カウンター席にドカリと腰を下ろす。


 たくさん働いてもう腹ぺこだ。


 なにか腹にたまるものが食いたい。


「お疲れ様だ、マスター」


 店の奥から赤髪の少女がひょっこりと顔を出した。


 その見た目は10歳ほど。


 白い厨房服が似合う可愛らしいその少女は、コック帽の下に竜の角を生やしている。


「おう。

 ヘリオもお疲れさん」


 こいつの名前はヘリオドール。


 こんななりでも踊る仔兎亭、厨房担当の料理人である。


「はい、これ。

 マスターのご飯だぞ」


「うはー!

 すまねえな!」


 ヘリオが肉汁の滴る分厚い肉の乗った鉄製プレートを差し出してきた。


「今日の賄いは『ワイルドボアの岩塩焼き』だ。

 よく噛んで食べるんだぞ」


「これこれこれ!

 んー、堪んねえなぁおい!」


 こいつの料理の腕前は一流だ。


 かぐわしい匂いに、いやが上にも食欲が刺激される。


「おいシャロン。

 お前もマスターと一緒にお昼にしたらどうだ?」


「いいのかい?

 あたいはもうさっきからお腹ペコペコでさぁ……」


「ああ、問題ないぞ。

 店はボクが見ておいてやる」


 満面の笑みを浮かべたシャロンが、俺に並んでカウンター席に座った。


 彼女にも賄いが差し出される。


「ほら、お前たち。

 パンとスープもここに――」


 カランコロン。


 ドアベルがヘリオの言葉を遮った。


 新しい客だろうか。


「いらっしゃーい!」


 シャロンが席を立とうとする。


「ああ、いい。

 お前は座ってご飯を食べていろ。

 接客はボクがやるから」


 ヘリオが店の入り口に足を向けて、すぐに立ち止まった。


「なんだ、お嬢だったのか。

 いらっしゃい」


「ん?

 アリスか?」


 手元の飯に目を落としていた俺は、顔を上げる。


「おう、よく来た!

 ……って、そいつは誰だ?」


 店に入ってきた彼女は、後ろに薄汚れた男を連れていた。


 ◇


 俺はアリスと一緒に、彼女が連れてきた男とラウンドテーブルについている。


「……で、話ってのはなんだ?」


 困惑する男に水を向けた。


 ちなみにこの男のせいで、俺の昼飯はお預け状態である。


「あの、アリス様……。

 こちらの方は?」


 男がアリスに顔を向ける。


「いいから事情を話しなさい」


「こちらの方は、ただの酒場の主人に見えますが……」


「黙っていうことを聞きなさい」


「で、ですが、俺は都市長に村の窮状を訴えに……」


 目の前でまだるっこしいやり取りがなされている。


 一体なんなんだ。


 空きっ腹を抱えたままの俺は、若干苛立ってきた。


「なあ、あんた。

 こっちだって暇じゃねえんだ。

 さっさと話しを――」


「へえ、あたいってば、店長はいつも暇してるもんだと思ってたよ」


 シャロンが横合いから茶茶を入れてきた。


「うるっせーよ!」


「ははは。

 ごめんごめん」


 飯を食い終えた彼女は、カラカラと笑いながら仕事に戻っていく。


 その後ろ姿をため息交じりに見送った後、再び男に向き直った。


「さっさと用件を話せ」


 鋭い視線で睨み付けると、男が竦み上がった。


 まったく面倒なことこの上ない。


「もう。

 睨まないの。

 目付き悪いんだから」


「……別に取って食やしねえよ。

 落ち着け。

 そして話せ。

 な?」


 優しく宥める。


 するとようやく男は、おずおずと口を開き始めた。


「頼む……。

 助けてくれ――」


 ◆ ◇ ◆


 薄汚れた男は名前をトマスというらしい。


 彼はゴラントから一昼夜歩いた辺りにある村で生まれ育った。


 村は大した特産品はないものの、牧畜も農作もおこなっていて、人口が比較的多い割りに食べるものに困ることは少なかったそうだ。


 おそらくその村は、人魔大戦の影響をあまり受けなかったのだろう。


 話の限りではこの辺りの村のなかでは、随分と恵まれた環境に思える。


 だがそれ故に、過去何度も野盗に目をつけられた。


 ◇


 村には自警団があった。


 寒村と違い若者の多く居着いた自警団は、勇猛な傭兵団のようだったらしい。


 トマスは自警団の一員であることを、誇りにしていた。


 これまではその自警団が、野盗から村を守り通してきた。


 しかしついに、彼らでは手に負えない相手が現れてしまった。


 その野盗どもは唐突に現れて村を襲ったらしい。


 村の自警団は野盗どもをいつものように迎え撃ち、追い払おうとした。


 最初のうちは順調に戦えていた。


 しかしそこにヤツが現れたのだ。


 ――『戦神』ヴァルド。


 いかめしい全身甲冑を身に纏い、2本の長大な剣を携えたその男。


 荒くれ者どもを従えたその凶戦士が姿を現したとき、形勢は逆転した。


 戦神ヴァルドは大剣を小枝のように軽々と振り回し、自警団の面子を屠り去った。


 団が壊滅するまで、そう時間は掛からなかった。


 自警団が壊滅すると、あっという間に村は地獄と化した。


 正真正銘、紛うことなき地獄――


 乳飲み子は母親の目の前で腹を踏まれて殺された。


 泣き叫ぶその母親も、獣のような男どもに散々嬲られたあと、股に剣を突き刺されて死んだ。


 孫を護ろうとした老人は、切り刻まれたその孫の死体を無理やり食まされ、絶望に咽び泣きながら命を落とした。


 獣と化した野盗どもはその地獄を眺めて嗤っていた。


「……頼む!

 お願いだ。

 村を……」


 トマスは喉を詰まらせ、しゃくり上げながら訴えた。


 ◆ ◇ ◆


「……ふぅぅ」


 大きく息を吐く。


 トマスはテーブルに突っ伏して眠ってしまっている。


 体力が限界に達したのだろう。


 村の窮状を訴えたあと、トマスは崩れ落ちるようにして眠りに落ちた。


「……酷い話よね」


 アリスがポツリと呟いた。


「ああ。

 ……だが、どこにでも転がっている話だ」


 俺はシャロンに持ってこさせた木製ジョッキのエールを煽る。


 こんな気分のときは、どうにも飲まなきゃやっていられない。


「……それでどうするの?」


「どうするもこうするもねえよ。

 ……『戦神ヴァルド』か」


 どう猛に牙を剥く。


 そんな俺を見て、アリスが深くため息を吐いた。


「はぁ……。

 仕方ないわね……」


「舐め腐った真似しやがって。

 こいつは放って置く訳には、いかねえなぁ」


「……店長。

 あたいもついて行こうか?」


「ふむ。

 ならボクも行こう」


 従業員のふたりが問い掛けてきた。


 『仙兎せんと』シャロンと、『皇龍こうりゅう』ヘリオドール。


 いまでこそ我が眷属と化した二柱だが、こいつらはどちらも元魔大陸七大魔王の一角だった。


 秘めた力は計り知れない。


 だが今回の件は、ふたりの力を借りるまでもないだろう。


「てめぇらは店番だ。

 こいつぁ、俺がケリをつける」


 ジョッキをタンッとテーブルに叩きつけてから、俺は勢いよく立ち上がった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「なんだ、てめえら⁉︎

 どっから来やがった!」


 飛び掛かってきた野盗を殴りつける。


「ぎゃあ!」


 賊どもを屍に変えながら、村の中を突き進む。


 周囲を見回した。


 そこかしこが赤く染まり、血溜まりのなかでは殺された女の物言わぬ骸が、我が子の生首を胸に抱いている。


「……畜生。

 ……ちくしょうッ」


 トマスは泣いていた。


 嗚咽を漏らす彼の先導に従って、地獄と化した村を進む。


 目指す先は村の集会所だ。


 野盗はそこを占拠し、狂った宴に耽っているらしい。


「あそこだ!

 あそこに……」


 彼の指し示す先に、広場が見えた。


 そこでは凶賊どもが酒を飲みながら奪った食糧を喰らい、女たちを嬲っている。


「おらぁ!

 声をだせよ!!」


「……ぅぁ」


「ぎゃははは!

 お前、その女ぁ随分とお気に入りだな!」


 女は野獣たちに弄ばれ続けている。


「き……。

 貴様あぁぁーー!」


 トマスが叫んだ。


 彼は奥歯が砕けるほどに歯を食い縛り、目から血の涙を流している。


「お、俺の!

 ……あいつは、俺の……」


 みなまで聞かずとも分かった。


 男たちに嬲られているあの女性が、彼の妻なのだろう。


「殺す!

 殺してやる……、」


 駆け出そうとしたトマスの肩を、アリスが掴んだ。


「離してくれ……!」


「……ダメよ。

 彼に任せなさい」


 辛そうに目を伏せるアリスの肩を軽く叩いてから、俺は賊のもとに歩みよる。


「はっ、はっ……。

 な、なんだぁ、お前?」


 木偶の坊が間抜け面で女を犯している。


「お前も、楽しみ――」


「くせえ息で喋るな」


 手を伸ばして、男の下顎を毟り取った・・・・・


「お、おごごがあああああッ⁉︎」


 固めた拳を頭蓋に振り下ろす。


 ぐしゃりと歪な音がした。


 崩れ落ちていく男を遠くに蹴飛ばしてから、野盗連中を見回す。


 冷徹に告げた。


「……お前ら全員、皆殺しだ」


 ◇


 トマスが女性を胸に抱きしめた。


 だが彼の妻は言葉を失い呆然としたままだ。


 アリスが生き残った女たちを保護して回る。


癒やしをヒーリング……」


 アリスは女性ひとりひとりに癒やしの魔法を唱えて回った。


 打撲や生傷が、みるみる癒えていく。


 だが魔法では、彼女たちの傷ついた心まで癒やすことは出来ない。


「……特S級冒険者だなんて言われても、こんなときに、なにも出来やしない……」


 彼女は悔しそうに下唇を噛んだ。


 ◇


 ――ギィィ。


 扉が軋む音がなり、広場の集会所から全身甲冑の戦士がのそっと顔をだした。


 辺りには、始末した野盗の残骸が散乱している。


 男はその惨状をゆっくりと見渡してから、最後に視線を俺たちに止めた。


「……貴様ら何者だ?」


 低く野太い声で誰何してくる。


 男は兜を被っており、その素顔は窺い知れない。


 背丈は俺より拳ふたつ分ほど高いくらいだろうか。


 俺もかなり大男の部類なのだが、現れた戦士はそれに輪をかけた巨漢だった。


「手下どもを殺したのは、貴様か?」


「だったらどうした?」


「……死ね」


 背負った2本の長大な大剣を、男が引き抜く。


 即座に斬り掛かってきた。


 だが俺は、最小限の動きでその攻撃を躱す。


「ほう。

 少しは出来るようだな」


 男は剣が躱されたことに驚いた様子だ。


 だが巨漢の攻撃はまだ終わらない。


 嵐のような追撃を仕掛けてくる。


 しかし俺は縦横無尽に振るわれる剣を躱し、いなし、反らしていく。


「なんと⁉︎

 これも躱すか!

 この実力であれば、調子に乗るのも頷ける」


 戦士の声色に、いくぶん愉快そうな響きが混ざる。


「だが、相手が悪かったな!」


 男はその場に足を止め、2本の大剣をドスッと地面に突き立てた。


「貴様の実力を認めて、名乗りを上げてやろう。

 我が名はヴァルド!」


 両腕を大きく広げて、高らかに名乗りあげる。


「先の人魔大戦で数多の武功を上げた英雄!

 敵首魁たる、魔大陸七大魔王の一柱『獣王』ベルギアを討ち果たし、単騎で魔軍を敗走させた生ける伝説!

 我こそは、戦神ヴァルドなり!」


 大声がビリビリと肌に伝わってくる。


「……どうした?

 言葉もでまい?」


「くす……」


 振り返ると、アリスが苦笑していた。


「小娘!

 なにがおかしい!」


「ふふ、ごめんなさい。

 癪に触った?

 ふふふ……」


 アリスとは対照的に、俺は仏頂面だ。


「はぁぁ……」


 くだらなさに盛大にため息を吐いた。


 首筋に手を当ててコキコキと頭を回しながら、目の前の戦士を流しみる。


「どうだ!

 生ける伝説を前にした気分は?」


「そんなヤツぁ知らねえよ」


「このヴァルドを知らぬだと⁉︎

 無知とは恐るべきものよ。

 ならば教えてくれよう!」


 甲冑の男が、大地に突き立てた二振りの剣を引き抜いた。


 天に向けて高らかに掲げる。


「とくと見よ!

 これこそが我が戦神たる証。

 『魔剣アクゼリュズ』と『妖精剣エーイーリー』!」


 男が剣を眺めて悦にいる。


 それはどちらも幅広で、真っ黒な大剣と真っ白な大剣。


「それで?」


「ええい、愚か者めが!

 これは戦神の武器だ!

 この魔剣は斬れぬもののない剣!

 そしてこの妖精剣は決して壊れぬ不壊の剣!

 名前くらい聞いたことがあるだろう!」


「そりゃあ、あるわな」


「そうだろう、そうだろう!」


 男の声に得意げな響きが混ざる。


 もしかするとこいつは、本物のバカなのかもしれない。


「じゃあお前の纏っている、その鎧は何なんだ?」


「……は?

 な、なに?」


「鎧だよ、鎧。

 お前が戦神だってんなら、身に纏うその鎧にも銘があんだろ?」


「な、なんの話だ⁈」


「ふむ。

 フルプレートメイルということは『聖鎧ネツァク』か?

 いや『龍鎧ゲブラー』か?」


「ネ、ネツァ?

 ゲブ……?」


 相手にするのも馬鹿らしくなってきた。


「あー、もういい。

 そろそろ掛かってこい、三下」


「……貴様!」


 男が挑発に目の色を変えて、飛び掛かってきた。


 白いほうの大剣を振りかざし、大上段から脳天目掛けて振り下ろしてくる。


「ぐあははは!

 戦神を相手取ったこと、地獄で後悔するがよいわ」


「……そりゃあ、てめえだよ」


 襲い来る刃を、素手で受け止めた。


 力をこめ、刀身を握り潰す。


「ンなッ⁉︎」


 男が兜の奥で目を剥く。


「あ~あぁ……。

 壊れちまったじゃねえか。

 ったく、なにが不壊の妖精剣だよ」


 そのまま剣を奪い取って、ポイと投げ捨てた。


「お、おのれ。

 貴様……!」


 次は黒い大剣だ。


 横薙ぎに振るわれてきたその剣を、肘で受け止めた。


 刀身に掌底を叩き込み、中程から真っ二つにたたき折る。


「…………ッ⁉︎」


 男は言葉を失い、呆然と折れた剣を眺めている。


「おい。

 どこを見てんだ」


 呆けたままの男の頬を平手でパンと張り、こちらに顔を向けさせた。


「この俺を前にして、よそ見してんじゃねえぞ?」


「な、な……」


「教えてやるよ。

 なぁ『戦神』ヴァルド?」


 凄絶な笑みを浮かべ、男を睨み付けた。


 ◇


「――武器召還サモンアームズ


 強大な魔力が急速に収束する。


 凝縮された魔力は形をなし、一振りの見事な大剣が顕現した。


 闇を凝縮したような漆黒の刀身に、煌々と輝く赤い血潮がたぎっている。


「な、なんだ、それはぁ⁉︎」


「ひとつ教えてやる」


 その大剣を肩に担ぎ上げた。


「戦神ヴァルドの数多ある戦装。

 そのひとつ『魔剣アクゼリュス』」


 数歩、前に歩みを進める。


 すると男は後退り、腰を抜かして尻餅をついた。


「ひ、ひぃ」


「こいつは『斬れぬもののない魔剣』じゃねえ。

 それは別の剣だ。

 この魔剣はな……」


 アクゼリュスを振り抜いた。


「――魂を、刻む」


 男の腕を一本、根元から斬り飛ばす。


「あぎゃあああああ!

 う、腕がぁッ!

 俺の腕がああぁぁあッ!!」


「痛えだろ?

 それが魂を刻まれた痛みだ。

 たとえ傷が癒えても、永劫にその痛みが癒えることはない」


 俺は再び魔剣を振り上げた。


「待ってくれ!

 その魔剣!

 まさか!

 お前は本物の……⁉︎」


「……今頃気付いたの?」


 アリスが横合いから口を挟む。


 片腕を斬り飛ばされた男が、顔色を変えて即座に地に這いつくばった。


「ゆ、許してくれ!

 名前を騙って悪かった。

 戦神を騙るとみんなブルっちまうのが気持ちよくて、つい調子にのっちまったんだ!」


 男が喚きながら兜を脱ぐ。


 隠れていた醜悪な面が、白日の下に曝け出された。


「お、俺はただの冒険者崩れだ!

 同業者殺しでギルドを追放された、ただの元冒険者なんだ!」


「……まぁ、そんなこったろうとは思ったがよ」


 脱力した俺に、偽物が命乞いを続ける。


「な?

 助けてくれよ!

 なんならこの村で奪ったもの、全部アンタにやるから!

 金も食いものも女も!」


 男は額に脂汗を掻きながらも、ヘラヘラと愛想笑いを浮かべている。


「た、助けてくれ!

 ……な?」


「ダメだな」


 魔剣を振り抜いた。


「いやああああ!

 いやだあああああ!」


「お前なんざ、生かしておく価値はねえよ」


 振り抜いた魔剣アクゼリュスを手放すと、結晶化した魔力がほどけ、刀身から大気に溶けていく。


 一拍の後、男の体が斜めに引き裂かれて倒れた。


 ◆ ◇ ◆


 村をあとにした。


 遠くなった村を背後に眺めながら、アリスが口を開く。


「……あのひとたち、大丈夫かな?」


「わかんねぇ」


 村に巣くった野盗どもは、ひとり残らず退治した。


 もう俺にできることはない。


「あとは自分たちで立ち直るしかねぇよ」


「……そうだね」


 それきり会話が途絶えた。


 しばらくそうして歩いていると、ふとあることが気になった。


「なぁアリス?

 そういえば、なんでついてきたんだ?」


「そ、それは……」


「ははぁ?

 もしかしてお前、俺のことを心配してついてきたのか?」


「そんなわけ、……ないじゃない!」


「ははは!

 照れなくてもいいんだぜ!」


 肩を抱き寄せて、くしゃくしゃと髪を掻き回す。


「やめッ、やめて……ッ」


「なんだぁ?

 昔はこうしてやると喜んだだろ!

 パパーってよぉ!」


「ちょっと……!

 もうっ」


 アリスが俺の腕から抜け出した。


 彼女は数歩先までトテテと走り、後ろ手を組んで、上目遣いに俺を振り返った。


「さ、帰ろ。

 お父さん」


 ◇


 ――戦神ヴァルド。


 先の人魔大戦において多大な戦果を上げ、敗戦濃厚だった人類を勝利に導いた大英雄。


 前触れもなく現れ、人類大陸に巣食う魔軍を一掃したその英雄の行方を知る者は少ない。


 だがその伝説はいまも、とある酒場に人知れず息づいている。


――――


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戦神ヴァルド 猫正宗 @marybellcat

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