繋ぐは此処に最期まで

ソラ

繋ぐは此処に最期まで

 折り重なるように倒れ伏す人、人、人。石畳に広がる赤い水たまりにいくつもの波紋が描かれる。音もなく、冷たい雨が降り出した。

 刀剣などで武装した男たちや子どもを抱えたままの女など、彼らはまるで大きな鉤爪で一薙ぎにされたかのような致命傷を負い、事切れていた。

 もはや生者の息遣いは聞こえないかと思われたのだが――。

「……か、はっ」

 事切れた揃いの鎖鎧と武具を装備した者たちの中で、まだ年若い青年がひとつ血の塊を吐いた。幾度か赤いものが混じった咳をしたその青年の顔が苦痛に歪む。

 その背中は骨が見えるほどに深く深く切り裂かれており、血液の大半は雨に流されていた。やっと背の半ばほどまで伸びたとひそかに喜んでいた黒髪は、血と雨に濡れぼそって無残に散らばっていた。

 意識を失うことも許されない痛みの中で、青年はほんのかすかに微笑んでいた。

 苦痛によって自分がまだ生きていることを自覚して、か細い息を継いでいることが――ただただ嬉しかった。

 生き残ったのか、はたまた、死にぞこなったのか。そんなことがどうでもよくなるくらいには。

 ――僕は、生きなければいけない。

 ふいに足音が聞こえた。血と雨に濡れた石畳をしっかりと踏みしめて近づいてくる。うっすらと目は開けたが、視界は雨とぎりぎりの体力のせいでぼやけている。

 やがて、黒くてごついブーツが目の前で立ち止まった。

「お前――」

 雨とともに降り注いできたのは若い男の声だった。だが、それは訝しむものではなく。

「――生きたいのか?」

 何かにひどく興味を引かれた子どものような声音であった。

 それに答えようとしたが、青年の喉から出たのは血の混じった咳だけ。

 目の前の人物は少しだけ考えるような様子で「ふぅん」と言ったあと、おもむろにしゃがみこんだ。しとどに濡れている肩口あたりまでの長さがある髪は白に近い銀。それを無造作にかきあげ、彼は青年の顔を覗きこんだ。

 声から予想した通り、青年よりいくらか年上の二十歳そこそこの男だった。

 日焼けを知らない白い肌。すっと通った鼻筋と柳眉には流麗さだけでなく、若者特有の猛々しさも備わっている。上機嫌にめくれ上がった薄い唇の端から鋭い犬歯が覗く。

 きら、と輝いた瞳はよく磨かれた宝石のような紅い色。

「オレなら、お前を生かしてやれるぞ?」

 その言葉は瀕死の青年の耳にひどく甘美に届いた。ぴく、と指先が動き、剣が青年の手からすべり落ちた。

 およそ同じ人間とは思えないほどの美貌、牙のような犬歯。真紅の瞳。

 しだいにかすんでいく思考の中でも、これだけはわかった。

 ――彼は、人ではない。

 彼は、吸血鬼と呼ばれるものだ。

 夜の闇に生きる怪物。人間の血をすすり、人の命を奪って生きる不死者。伝承の中で語られる魔物は事実、この世界の影に隠れてひっそりと息づいている。

 なぜなら青年はそういう存在と戦うための組織にいたのだから。だが、ただの人間たちが人智を越えた怪物を斃せるはずもなく、町がひとつ血に沈んだ。

 どうする、と彼がこてんと首をかしげた。

 その姿がどうしようもなく人間らしくて、自分よりも幼く見えてしまって。少しだけ青年の頰が緩む。

 吸血鬼なら、ここにかみついて人を闇の同胞に迎えるのだろう、と青年は持てる気力を総動員してわずかに自らの首をさらした。もはや、首筋に当たる雨の冷たささえ感じない。

 しかし、彼はきょとんとした表情で目を瞬かせ――盛大に吹き出した。そして、こちらが拍子抜けするほど明るく笑い始める。

「悪い悪い! この状況であの発言じゃ、『オレの牙を受けろ』って意味に聞こえても仕方ないよなぁ」

 ひとしきり笑ったあと、目元ににじんだ涙を指でぬぐって「こうすんのさ」とおもむろに折れた剣を拾い上げ、自らの右手のひらを切り裂いた。手の白と鮮血の赤のコントラストだけがやけにはっきりと見えた。

 半ば闇に沈みかけた意識では今の状況を理解することができない。ただ、銀髪の彼が青年の左手も同じように浅く斬りつけて、互いの傷を重ね合わせたのだけは知覚できた。

 彼が何かを唱えるように言葉を紡ぐたびに、透明な鎖がふたりをつなぎ、彼から暖かい力が流れ込んでくるような気がする。

 そして、自分自身と他者が混ざっていくような感覚に比例して、夜闇ようだった髪色が波が引くかの如く根元からくすんだ灰の色へと移り変わっていった。

「――血のくびきこそ、我らが宿命さだめ

 厳かな言葉のあと、がつんと楔を穿つような衝撃が体を貫いて意識が遠のきかける。が、背中の痛みで無理やり現実に引き戻された。

 するりと彼の手が離れていく。その手を見ると先ほどの傷は綺麗に消え去り、代わりに三日月のような黒い紋様が浮かび上がっていた。

 これは《血契ちぎり》と呼ばれる儀式だ。人と人ならざるものが交わす血の盟約。

 これを行った者たちは魂の部分で結ばれ、生命エネルギーとその運命を共有する《血盟けつめい》――唯一無二のパートナーになるのだという。この透明な鎖でつながれると、人間は常人ならざる身体能力や回復力を得、吸血鬼は日光などの弱点を克服し、血に狂った怪物と対峙することができる。

 そう。この町を襲い、さらなる血を浴びて吸血鬼すらも凌駕する怪物になり果てたものと。

 しかし、吸血鬼を嫌悪する者が多く所属していた組織では《血契》を異端として毛嫌いしていたし、人外の力などなくとも、という人間の驕りもあったのかもしれない。

 もはや身じろぎもできずに細い息を浅く繰り返している青年の頭に、ぽん、と紋様が刻まれた手が乗せられた。

「あとは任せろ、相棒」

 いたずらっぽくそう笑った彼はわしゃわしゃと少し乱暴に、だが、どこかぎこちない手つきで頭を撫でてくれる。

 ああ、幼い頃にこうして撫でられたことがあるような、と取り留めもない記憶が浮かんでくる。

 ――これじゃあ、相棒じゃなくて兄か年上の友人みたいだ。

 青年は自覚もないまま笑みをこぼし、ふっと意識を失った。

 いつの間にか雨はやんでいた。黒い雲の合間から欠けた月の光が差し込んだ。


   *


 目の前には、今まで血の臭いを振りまいていた怪物が倒れていた。

 それが体の末端からだんだんと塵になって、夜明け前の空に消えていく。

「あれか。人でも鬼でもないから、と教会の施設に入れられたっていうのは」

「確かに戦力としては強力ではあるんだが……御しきれなかったときにどうなるか」

「しっ! あいつらに聞かれたらどうすんだ」

 ふいに聞こえたそんな会話。

 つ、と視線を向けると、声を潜めて話していた男たちがびくりと身を縮めていそいそと自分の作業に戻っていった。

 無感動な目でその背を見送ったあと、手にしていた剣に意識を向ける。すると、途端に身の丈ほどもあった大剣がぞろりと形を失い、赤黒い液体となって地面に滴った。

 そのとき、ぽんと頭に手を置かれた感覚がして年若い男の声が降ってきた。

「お疲れさん。――って、お前、またそんな傷だらけになって」

 そちらを見上げると、声の主が大きくため息をついた。

「ったく、ちょっとは自分を大事にしろよ。手当てしてやるからこっちに来い」

「……どうしてオレを構う?」

 それは純粋な疑問だった。

 施設の隅でうずくまっていた自分を引っ張り上げて血盟ブラザーとなったのは、二十歳そこそこの男。そして、彼は少し過保護なくらいに世話を焼いてくる。本当のブラザーのように。

 しかし、この命にどれほどの価値があるのか、どうしても理解ができないのだ。

「お前が心配だからに決まってんだろ、相棒」

 ぐしゃぐしゃと自分の銀髪を撫でてくる手を払いのけて軽く睨むけれど、悪びれる様子もなくその男はにかっと笑った。

 さらりと揺れる、自分のせいでくすんだ灰の色になってしまった綺麗な紅い髪。

 彼の首の側面にはドッグローズの花の形をした痣のような黒い紋様があった。


   *


 明るい日差しにまぶたを刺激されて、うっすらと目を開く。

 夢を見ていた気がする。自分のものではなく、誰かの夢を。

 柔いものに包まれているのを知覚しながら視線を巡らせると、ソファの肘掛に寄りかかってすらりとした脚を組んだ、あの銀色の吸血鬼があくびをかみ殺していた。

 その緩やかに波打つ銀糸の髪は頭の高い位置でひとつに結われおり、ハイネックのセーターにスラックスというラフな格好だった。その足元には青年が身につけていた皮の鞄や血にまみれたままの服がまとめられている。

「よお。起きたか」

 ずっと様子を見守ってくれていたらしい彼は青年の額に自らの手を当てると「熱はないな」と満足げに笑った。

 ここは町の中心部から少し離れた民家のようだ。かつては団らんの場であったであろうリビングには大きく取られた窓から日の光が高い位置から入り込んでいた。青年はそこの少し色あせたソファに背中の傷に触れぬよう横向きで寝かせられ、毛布代わりに彼のコートがかけてあった。

 この家にふたり以外の人の気配はない。

「《血契ちぎり》のおかげでいくらかマシだったけど、お前の背中の傷が深すぎてな。一旦、ここで休ませてもらってんだ」

 色々借りたけど緊急事態だし許してくれるよな、と彼はいたずらっ子のように笑った。

 なんとか起き上がると、体には丁寧に包帯が巻かれ、少しくたびれたワイシャツを着せられていた。これもこの家のものだろう。

 手を握ったり開いたりしていると、「飲めるか?」とどこからか手に入れたらしい清水のつがれたコップが差し出される。

 それを受け取るときに仰ぎ見た瞳は、初めて会ったときとは打って変わった鮮やかな黄緑色。エメラルドよりも淡くて優しい色だ。

「……きれい」

 色は違えど輝きは変わらぬその瞳を見つめながら口にすると、彼はひとつ目をぱちくりさせてから、へへ、と鼻の下を指でこすった。

「えっと、ありがとう?」

「なんで疑問形?」

「いやだって言われたことねぇもん、そんなの」

 照れたようにそっぽを向いて頰をかく様子がなんだか可笑しかった。

 彼はふいに目を伏せて、秘密を共有するように密やかに口を開いた。

「オレさ、半分だけ吸血鬼で半分だけ人間の――いわゆる半鬼はんきってやつで」

 だから夜には真紅、昼には黄緑と瞳の色が変わってしまうのだという。

 そして――。

「半鬼は人間を吸血鬼にできない。やろうとしても……ただ、殺しちまう」

 銀色の前髪をくしゃりとつかんだ彼は、痛みをこらえるような表情をしていた。

 そこでようやく合点した。あの状況で青年を生き延びさせるためには《血契》を交わすしか彼には手段がなかったのだと。

 それでも、と青年はおもむろに彼の手に自分のそれを重ねた。

「ありがとう。僕の願いを叶えてくれて」

 それに彼はすっと目を細め、重ねられた青年の手に指を絡めると自らの顔に引き寄せると口の端を歪めた。

「あの惨劇を目にしながら――いいや、あの血の海の中を生き残ってしまったにもかかわらず、なおも『自らが生きていること』を望んだお前が興味深かったんでな」

 その生への執着がどこからくるのかを確かめてみたいのだ、と。

 彼は幼子を抱き寄せるように青年の背中に空いた手を回した。ぐっと互いの顔が近づく。

 長いまつげで半分だけ覆い隠された瞳に底知れぬ光を宿し、青年の細い手首にかみつかんばかりに牙をむき出して嗤う男からなぜだか目が離せなかった。

 それが人外の美しさに魅入られたからなのか、怪物の牙に捕らえられてしまったからなのか、よくわからない。

 ――ああ、このヒトは。

 どんなに言動が親しみやすい兄のようでも。たとえ自分の望みを叶えてくれているのだとしても。

 確かに、人ではないのだ。

 しかし、不思議と恐怖は感じないのは。

 ――僕が『生』に呪われているから、かな。

 こぼれた笑みには気づかずに、青年はそのままなめらかな頰を指先で撫でてやる。

 それに心地よさそうに目を細めた彼が「そういえば」とはたと気づいた顔をした。

「名前言ってなかったな。オレはアレクだ」

 彼――アレクはそう言ってじっと青年の目を見つめ返した。

「お前は?」

「カルド、って呼んでほしい」

「カルドか。よろしくな」

 明るく笑う彼を見て、なぜか銀色の大型犬がぶんぶんと尻尾を振っている様が思い浮かぶ。と、同時に、誤れば手を食いちぎられるだけでは済まない、と本能の部分で察した。

 さてと、と立ち上がったアレクがふいに窓の外に一瞥をくれる。その色白の横顔は少し真面目な表情をしていた。

「さっそくで悪いんだけど、動けるか?」

 アレクの視線の先を追えば、太陽がだいぶ傾き始めていた。日が落ちて月が台頭する夕方から夜は、魔物たちが動き出す時間。少しゆっくりしすぎたようだ。

 こくりとうなずいたカルドは、思いのほかすっと立ち上がれたことに少しだけ面食う。体の痛みも気にならない程度のものに収まっている。ふたりをつなぐ透明な鎖の効力を改めて実感する。

「アレク、コート返すよ」

「着とけ」

 と、反論する暇ももらえないまま、ぱさりと白いコートを肩にかけられた。袖や肩幅が余る。それになんだか釈然としない思いを抱えたまま余った袖をまくりあげた。

 そのとき。

「ほお、食べ残しがいたか」

 第三者の声。低く落ち着いた男の声。

 その瞬間、アレクに襟首をぐいっと引かれてソファの後ろに放られた。彼もまた素早くそこに身を隠す。

 直後、リビングの窓にぴしりと亀裂が走って外側から打ち破られた。窓の破片で背後のソファがずたずたにされていく気配がする。

 それが収まったころ、カルドはソファの陰から闖入者をうかがった。

「我の前で動けるとは……なるほど、貴様らは血盟けつめいか」

 あくまでもその声は理知的に聞こえるし、庭先に佇むその姿は上質な燕尾服が似合う端正な男。だが、ふむ、と顎先をつまんだその爪は赤黒く濡れ、一本一本が刃物のように研ぎ澄まされている。そしてなにより、その長身から放たれる血の臭いのする威圧感は異様そのものだった。

 カルドはそっと息を呑んだ。あいつだ。この町を襲って数多の血をすすり、この背中を深く斬りつけていったのは。

「……カルド」

 低い声に名前を呼ばれた。

 隣に視線を向けると、アレクが気遣わしげにこちらを見ていた。それに、大丈夫だ、と笑ってみせれば黄緑の瞳がふっと柔らかくなった。

 異様な男から意識は逸らさずに、アレクは皮の鞘に入った大型のナイフを手渡してきた。そう、カルドの本来の武器はこちらである。

 ふたりはわずかに視線を交わすと、どちらともなくソファの陰から飛び出した。

 ナイフを抜き放ったカルドがまっすぐに男の懐へと駆け込む。

 男が即座に反応し、鉤爪を振りかぶった。が、その瞬間にカルドはさっと身をかがめた。相手が訝しむより前に、その首がある場所を真紅の光芒が一閃。

 切り裂かれた空気が豪、と唸った。

 男が体をそらして後ろに数歩下がる。その隙を突き、男の視界の外からカルドが追撃。顎の下から確実に貫くはずだったが、手ごたえは浅い。

 間合いを取ろうと男が地を蹴った。

「させねぇよ!」

 そんな声とともに銀色の風がカルドの隣を駆け抜けていく。

 男に肉薄したアレクは、自らの血を操って創り出した真紅の大剣を振るおうとする。そのとき、男がにやりと嗤うのを見た。

「待って!」

 カルドの警告とともに響いた肉を切り裂く音。

 赤黒いものを散らしながらどうっと倒れた姿を見て、カルドは思わず息を呑んだ。

「隊、長……!?」

 昨日までカルドとともに肩を並べていた隊長は体を不自然にびくつかせ、ゆらりと立ち上がった。だらしなく開いた口の端から血の泡をこぼし、生気などとうに失ったどろりとした眼がアレクを見据える。

 それが紅く燃え上がったかと思うと人間では考えられない速度で筋力のリミッターが外れた拳が次々に繰り出される。

「くそっ、グールか」

 アレクは悪態をつきつつもそれを大剣でいなし、カルドに向かっていこうとした男の前に立ちはだかった。

 彼に加勢しようと駆け出そうとしたカルドの前にふっと影がかぶさった。血色の泡と言葉にすらなっていない叫び声をまき散らし、ぎらつく爪が振り下ろされる。それを寸でのところで体をそらして避けた。

 目の前にいたのは、教会に常駐していた神父だった。

 鋭く視線を巡らせると、長く伸びた男の影が泥のように不気味に波打ち、まず血まみれの腕が現れた。次に不自然に曲がった首が、禍々しく輝く紅い眼が。ぞろりと次々に這い出てきたのは死んだはずの町の人々。

 どうやら、殺した人間たちを動く死体グールとして使役しているようだった。

 瞬く間にカルドは死した住人たちに囲まれていた。続けざまに伸びてくる拳や爪をナイフでけん制する。しかし、それは同時に身動きを封じられたということ。

 焦燥に駆られるカルドの視界の端で、紅い眼光が煌めくのを見た。振り返るより先に一体のグールが背中を全力で殴りつけた。

 衝撃で一瞬、息が止まった。

「く、ぁっ……」

 思わずがくりと膝をつく。

 この攻撃で背中の傷が開いてしまったのだろうか。早鐘を打つ鼓動とともに激痛が暴れ出す。自然と呼吸が浅くなる。

「カルド!」

 アレクの意識が半瞬だけ男から逸れた、その瞬間。

 ざく、と湿った音がして――男の手がアレクの腹部を貫いていた。べっとりと濡れた鋭利な爪が背中側に飛び出していた。赤い色がじわじわとセーターに広がっていく。

「アレクっ!」

 カルドが悲鳴のような声をあげるが、アレクはすっと目を細めただけだった。

 瞬時に繰り出された反撃の蹴りを男は寸でのところで大きく飛び退いて避けた。

 爪が引き抜かれ、びしゃりと鮮血が舞った。

 それに青ざめるカルドなどお構いなしに、アレクは身を翻して男との距離を詰めようとする。

 と、その瞬間。

「頭下げなさい!」

 背後から、唸りをあげる車のエンジン音と鋭い女性の声が飛んできた。

 とっさに地面に伏せたカルドの頭上を、庭を囲う柵をなぎ倒す轟音とともにごつい四駆が飛び越えて行く。その荷台から身を乗り出していたのは、黒い修道服を着た女性だった。その華奢な手には黒光りする機関銃。

 次々にグールを跳ね飛ばしながら、その女性は手を新たな血で濡らした男に向かって引き金を引いた。

 銃声が空気をびりびりと切り裂く。と、同時に四駆はタイヤを唸らせて反転し、来た道を引き返す。

「乗って!」

 女性が銃で男をけん制しつつそう叫んだ。

 え、という声をあげる暇もなく、カルドは風のように駆けてきたアレクに担ぎ上げられた。

 アレクはそのまま強く地を蹴り、車にひかれてもなお蠢くグールたちの上を跳び越えると車の荷台にだんっと音を立てて着地した。

 唸る車体と風の音、そして銃声に紛れて男の舌打ちが聞こえた気がする。

 猛スピードで、戦闘を繰り広げていた庭が、家が――町が遠くなっていく。

「カルド、大丈夫か?」

 いつも通りのアレクの声にはっと顔をあげれば、風に弄ばれる髪を押さえているアレクが心配そうに眉尻をさげている。手にしていた真紅の大剣は元の血液の姿に戻って荷台に広がっていた。

「それはこっちの台詞だろう!」

 ごうごうと耳元で唸る風に負けないように言い返せば、アレクは少し困ったように笑う。

 その瞳は大剣と同じ色に変わっていた。



<差し当たりここまで>

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