第117話 結婚相手への理想が高くなった話


 姉が多重債務者になった。


 これは先週知った紛れもない事実である。「ごめん。」から始まったLINEのメッセージは日本語だが理解できないような文字列となり、頭の中をウサイン・ボルトのように駆け抜けたかと思えば、「おっ、やってる?」とのれんをくぐってくるサラリーマンのように気軽になんども顔を出した。


「やってません」と何度も言ったのだが、人懐っこく「まぁまぁ」と脳内に潜り込んでくる様は鶴瓶師匠を彷彿とさせてほっこりした。「それでな……」と呑気な声で綴られた内容はこうだった。


「ごめんな。投資詐欺に遭って家探すために一時的に借りてたお金持ってかれて、さらにいろんなところにお金返さなあかんねん。なははっ」


 気軽に言うとそんな感じである。


 僕はよく架空の登場人物を苦虫を噛み潰したような顔にしてきたが、人生で初めて「苦虫を噛み潰したような顔」を本心から理解できた気がする。ごめんな。気軽に苦虫を噛み潰させてしまって。と、僕は架空の登場人物に同情した。


 僕が貸していた額は新卒の平均年収くらいであり、僕はもう8年も社会の荒波とハンバーガーに揉まれてきた立派な中堅社員であるので、お尻の穴が”きゅっっ”となったくらいで済んでいるが、もし僕が右も左も分からない幼稚園児だったらと思うと夜も眠れない。


 姉が借りている額は新卒の平均年収くらいであり、僕はもう過去のものとなってしまった自分の新卒時代を思い出してほんわかした。知り合いの少ないパーティで緊張のあまり「飲むしかない」とグビのみした結果、3次会までトイレに籠もり、恵比寿から高田馬場まで各駅のホームを吐瀉物で犬みたいにマーキングしたあの頃から成長した自分に胸を張りつつも、なぜか先週は酔いが回って夜も眠れなかった。


 幸いにも姉は以前と変わらず会話能力を有し、「忍法、隠れ身の術」とかいう超必殺技を習得してはいなかったため、こともなく話は進み、「みがわりのじゅつってすごい! わたし、がんばってかえすね!!」ということで可愛く収まった。日本に帰ればぺらぺらな紙切れ一枚にサインして貰えれば終わりである。なんと簡単な話だろうか。僕は下卑た顔でにやりとほくそ笑む。こんなに簡単に合意に至った契約は初めてである。すこし感動して、その日は祝杯を挙げた。カリフォルニア、ナパのワインが喉にしみる。




 そんなバチがあたったのだろうか。今週になって重大な事実に気づいた。


 何気なく開いたステータスにはいつもどおり「プロ童貞」の文字が浮かんでいるのだが、なにやら「理想の相手」欄に”New”がついていた。


「はて、なにかあったっけ」

 僕は小首をかしげながらステータスをオープンする。「犬みたい(ゴールデンレトリバー)、イケメン(心)、独身、プロ童貞に敬意を払う、笑顔が可愛い、鼻毛が出てたら笑ってくれる……」など見慣れた称号が並ぶなか、ひときわ輝いて強調される称号と目があった。


 ――こんにちは。

 僕はにこりと挨拶をした。わざわざ僕のところに来てくれたので第一印象は良くしておこうとの魂胆である。


 ――はじめまして。こんにちは。

 そう答える可憐な声を聞いた瞬間、「これは長い付き合いになるな」と直感した。今年結婚した友達の言っていたことが少し理解できた気がする。


 そうして、僕はまた一段、理想を積み上げることに成功した。

 これからよろしく。


  "New" ご利用が計画的



 ただ、あくまで理想は理想である。そんなことは僕が一番わかっている。だから言うのだ。

 今野、そこに愛があればいいよな?

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