第100話 涙もろくなる理由


 僕は最近、涙もろくなった。それも、昔は退屈でしょうがなかったオリンピックで泣いてしまっているのである


 個人的に一番印象的だったのは50㎞競歩、勝木選手のインタビューだった。


 〇


「最も過酷な陸上競技」


 その二つ名を持つ競技。それが競歩らしい。50㎞を4時間弱で歩き切る驚異的な速度。フルマラソンで換算すると3時間強、1㎞あたり4分ほどで歩く。運動部の高校生でも到底追いつけないスピードだ。


 舞台は夏の北海道。北海道とはいえ気温は例年より3~8℃高い記録的な猛暑で、連日30℃を超えていた。そこで世界に挑んだ選手たち。6位入賞に輝いた川野選手は必死に2位集団で好走を続けていたが、42キロ付近で嘔吐。かなりのロスとなったが、再び2位集団へ追いつく気迫の追い上げを見せた。完歩後はインタビューを受けられる状態ではなく、メディカルへと直行した。


 そして、僕が泣いたのは体調不良のエースの代わりに代表へと選出された勝木隼人選手(30)のインタビューだった。勝木選手は靴紐がほどけるというミスが響き一時最下位近く後退したが、30人ほど追い抜き最終的に30位まで順位を上げて試合を終えた。


 そして、試合後。そこでは終始うつむき加減の勝木選手が選手インタビューに答えていた。勝木選手は涙を浮かべて、声を絞り出した。


「最後のレースだったのにふがいない」

「応援してくださった方には申し訳ない」


 インタビューをしていた松岡修三が「申し訳ないと思っている人なんて一人もいません!」と労いの声を掛けると、勝木選手は更に声と表情を歪ませて答えた。


「もっともっと頑張れるかなと思っていたんですけど」

「申し訳ないです」


 そう繰り返し、言葉に出来ず嗚咽する勝木選手を見ていて、僕は不覚にも泣いてしまった。


 〇


 スポーツ選手の寿命は短い。サラリーマンは60代まで現役だが、60代の陸上代表はいないだろう。勝木選手は今年31歳、ほぼ同じ年齢だ。


 僕は特筆することがない人生を歩んできた。中高大と一つのスポーツに打ち込む気力も実力もないままと過ごし、社会人になってからは東京、九州、アメリカとたまたまラッキーな異動が続いただけである。


 その膨大な時間をある一つの競技に注ぎ込み、やっと手にした五年に一度のチャンス。そこで犯した準備不足による不完全燃焼。


 勝木選手のインタビューを見ていると、勝木選手の今までの苦労や努力、そして言いようのない後悔が渦巻いているのが想像出来てしまって、涙が溢れてしまった。修三が、僕の言いたいことを代弁してくれたが、そのコメントによって更に涙が溢れてしまう勝木選手。その心境はとても追体験など出来ないものだろう。


「メダルがとれなきゃ意味がない」

 スポーツに責任を負っているんだから勝てなかったら批判されてしかるべき。


 感動できないという人の中にはそう考える人もいるかもしれない。実際に、高校生の時はそう考えていた。でも、今はそれは選手目線の考えであると思っている。観客としてスポーツを楽しむ方法はいくつもある。それが自然と分かってきたのがこの20代だった。


 今では「オリンピックに出るだけですごい。入賞したらもっとすごい。メダルは結果で、チャレンジそのものでご飯がおいしい」と思えてしまう。


 〇


 感動は時間だ。


 単純にどれだけ時間を共有したか。それが感動するかしないかの分水嶺だと思う。ハイライトで金と告げられるのと、予選から全部の試合を追って金メダルの瞬間を見るのとどちらが感動できるだろうか。仮に全く知らなかった選手でも、予選から見ていたら不思議と応援できるものだ。


 即時的な時間だけではない。その選手が飛び越えてきたハードルと苦労、つまり過去の時間を共有しても感動は生まれる。メダルはトッピングのようなものだ。勝木選手のインタビューで僕はそれを実感した。数時間でもその人の時間を感じることは出来る。


 若いころは映画でもスポーツでも泣けなかった。でも、最近僕は涙がぽろぽろとこぼれる。それは、僕が自分の時間をある程度過ごしてきて、他人のそれと重ねるような想像力を身に着けたことが要因だろう。好みも変わった。最近はノンフィクションドラマが好きだ。理由はもう書いている。


 小さい頃、「大人はどうしてこんなに泣くのだろう」「どうしてこんなに」と斜めに見ていたこともあったが、今ではよく理由が分かる。あの時の僕には圧倒的にのだ。もちろん、今でも足りていない。


 そう考えると、これから僕はどれだけ涙もろくなってしまうのか、と背筋が凍るが、それでも時間を重ねることは悪いことではないと思っている。














 ちなみに、涙もろくなる一番の原因は感情を抑える前頭葉の機能低下。つまり、老化である。その事実を知って、また一筋の涙がぽろりとこぼれた。


 


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