第3話 人に呆れられたい本当の理由
皆さんはいままで「いらし」「いらこ」と呼ばれる人に出会ったことはありますか? これらは関西弁の「いらんことしい」(意:余計なことをする人)の略で、小学校などでやんちゃ坊主がこう呼ばれているのをよく聞いていました。
水道の蛇口を全部上に向けたり、キーボードのUとIを入れ替えたり、「マジック!」と叫んで掃除道具入れに入り、次の瞬間全裸で出てきたり、ガラスに頭をぶつけたら割れるかチャレンジでガラスをぶち破ったり……。
例を挙げると枚挙に
はい、じゃあ。あなたの右手にあるものは?
――バナァーナァ!
左手は?
――トメィトゥ!
OKですね。これであなたもバナナマスターです。
さて、多くのバナナマスターが生まれた所で本題に入りましょう。僕は「呆れられたがり」であります。いらんことをして友達の眉がぐにゃあと歪むのを見るのが好きです。
もちろん、相手は僕の扱い方に長けた気の置けない友達だけです。特にツッコミ気質の子だけですね。どんなネタでも拾ってくれると仕掛けたくなります。しょうも無いツッコミどころを沢山用意して、一斉に出す。すると、相手はツッコむ気力も湧かず、呆れる。そんな姿を見るのが楽しいのです。
「みんなが変態になれば世界が平和になる」
という標語もそれに近いですね。アメリカを横断した経験から導かれるのがこの結論です。「なんでやねん」と、頑張って走ってくれた日産アルティマも苦い顔をしているに違いありません。
ここでふと考えました。「どうして僕は呆れられたいんだろう」と。そんな時、僕は言葉の意味に立ち返ります。じゃあ、「呆れる」という言葉の意味を見ましょうか。
あきれる――ウィクショナリー日本語版より
「2.程度の低いものや度が過ぎるものを見聞きするなどして、うんざりしたり、困惑したり、ばかばかしく思ったりする」
僕は友達にうんざりされたいのか……? まさか。うんざりされるなんて御免です。くせがあるとはいえ人に好かれたい。それは間違いない。じゃあ、この意味ではないですね。実は呆れるにはもう一つ意味があるのです。
「1.(やや古)意外な事に直面して、驚いたり、声が出なくなったりする」
意味を調べて、なぜ呆れ顔が好きなのか、すとんと胸に入ってきました。僕は誰かに驚いてほしいのです。何の変哲もないただの変態が、誰かにとっての意外性のある存在でありたいのです。二の腕のほくろのように、目尻のほくろやうなじのほくろをただ羨ましがって眺めるしかない存在でも、たまには誰かの目に留まりたいのです。
ほら、そう思うと「呆れられたがり」の不器用な自己アピールが可愛く見えてきませんか? 暇なときにシャーペンの先で刺すくらいしか使いどころが無かった奴が存在をアピールしているのです。皆さんも呆れられたがりを見かけたら「お前は泣きボクロとは違う」なんて言わずに、耳を傾けてあげて下さい。びっくりさせたいだけなんだ、と納得できるはずです。
呆れられたがりの皆さんも自分を卑下する必要はありません。ヴェルタースオリジナルが貰える存在になりたいだけなのですから。
……ただ、(やや古)という文言がちらつきますね。なんだ僕は過去に生きているのか。だから、現代に生きる人は
こんな何の生産性もないことを考えてしまう僕はやっぱり「いらこ」なのでしょう。だが、「いらこ」だからこそ文字が稼げるのです。仮に僕が言いたいことをスパッと言える人物で、この文章のぜい肉をそぎ落とせるとしたらこの一言で片付きます。
「バナナ(の発音)はバナナでいいよなぁ」
以上。
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