いつか変態になりたいキミへ

Askew(あすきゅー)

随にエッセイ、再び。帰ってきた変態

まえがきが好きだというまえがき


 あなたは、まえがきが好きだろうか。


 僕はまえがきが好きだ。まえがきが好きだというまえがきを書くほどにまえがきへの愛は止められない。読んでもらう為に文章の密度を高めたまえがきが好きだ。キャッチーなコピーが並んだまえがきが好きだ。頭を捻って文字をこそぎ落としたであろうまえがきが好きだ。それなのにさしてPVが伸びない不憫なまえがきが好きだ。


 好きだからこそ、僕はまえがきを書く。


 まえがきとは、いわば後に続く文章の鏡であり、かがみであり、嚆矢こうしであり、起爆剤であるが、通らざるを得ない関所ではない。端厳たんげんな門のように見えて、その脇はガバガバである。


 しかし、その門をくぐろうがくぐらまいが、全ての人が始まりのしるしと見做す。それがまえがきの役割であり、座標なのだ。南大門のように厳かであればあるほど、先の道が整地されたものであると確信させ得るのであり、干からびたカエルのように哀れな姿であれば、その行く先は波乱に満ちているだろう。


 思えば、僕は小学生の頃「健康に長生きして、苦しまず死にたい」と卒業式で夢を語った。これが人生のまえがきにあたるとしたら、僕の人生はこれからどうなるのだろうか。何の根拠も目的意識もない細っちょろい希望的観測を夢とのたまったあの時の小学生は、いつか自ら打ち立てた門の頼りなさに愕然とするだろうか。それとも、行く手の不確かさを楽しめるようになるだろうか。

 たとえ崖があろうとも、鵯越ひよどりごえ逆落さかおとしの如く血気迫って駆け抜けてみたい、という願望はある。そのような理想を抱きつつも、コンクリートを練って陥没部分に注ぎ込み、よろけて足跡を付けてしまう毎日である。どーせ付くのなら猫とかコヨーテとかジリスの足跡が良いのだが……。変態の足跡を見て喜ぶのは変態だけである。僕は変態であるが、変態の足跡を見て喜ぶ変態ではない。誠に残念だ。


 さて、ご覧の通り、このまえがきは文章の密度も高くなく、キャッチーなフレーズが並ぶわけでもなく、水で戻した乾燥ワカメのようにふやけた文字がひらひらと増殖している。後に続く本章の不安な未来は想像に難くない。

 しかし、僕はまえがきが好きだ。それだけ伝わっていれば良いのである。本章の情けなさは確約されているので、逆に言えば、内容にあったまえがきだとも言える。


 そんなデコボコした想いの上を歩いてみたい、時には沈み、時には跳ねる道を往きたい。そんなふらふらと覚束ないエッセイが好きな人がいることを願う。多分、そんな人は変態である。

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