第3話

 


 出掛けたのはいいが、参拝客の多さに辟易へきえきし、その上、誰かに足まで踏まれて、まさしく弱り目に祟り目だった。結局、賽銭箱に辿り着く前にUターンしてしまった。


 も、ヤだ。新年早々、縁起でもない。来なきゃ良かった。腹の中で愚痴を溢しながら、汚れた足袋を恨めしそうに見下ろすと、人垣を掻き分けて境内を出た。


 ようやく人混みから解放され、身形みなりを整えていると、


「あのー……」


 女の声に呼び止められた。振り向くと、五十前後だろうか、毛皮のショールから萌葱色もえぎいろの衿元を覗かせた品の良い女が笑みを湛えていた。


「はい」


「すんまへん。写真を撮ってもらへんやろか」


 関西訛りだった。観光でもしているのだろうと思い、気安く承諾した。


 諏訪神社をバックに、女から受け取った携帯電話で、黄金色の袋帯が入る距離から撮ってあげた。


「良かったら、お嬢さんも一枚撮らせておくれやす。着物がえらいお似合いやさかい」


 女のその一言ひとことで、もやのように覆っていた先刻までの不快感は、たちまちに消え去った。


「えっ? そんな……」


 謙遜しながらも、思わず笑みが溢れ、無意識のうちに単純な性格を露呈していた。承諾したも同然に、いそいそと黒のベルベットのショールを整えると、ポーズを取った。


 推察どおり、京都からの観光だと語る女は、写真を送るからとメアドを訊いてきたので、赤外線通信機能を利用した。


「私、すわと言います。もし、よかったら、その辺でお茶しまへんか? 九州の思い出に別嬪べっぴんさんとお茶したいわ」


 別嬪だと言われて気分を良くし、初対面とは言え、相手が女だという安心感で、


「はい」


 と、嬉しそうに返事をした。



 京都の呉服屋で働いていると言う、すわと名乗る女は、道理で着物の着こなしが上手だと思った。


「失礼どすけど、お嬢さんは独身どすか?」


「ええ、今は。バツイチですけど」


「勿体ないわ。今度、ええ人紹介するわ」


「え?」


「九州男児もええかもしれへんけど、京男もなかなかどすえ」


 そう言って私を見詰めた。私はドキッとして目を伏せた。


「……なんか、縁を感じるんどす。お嬢さんに」


「私に?」


「私の若い頃にどことのう似てるんどす」


 ……そう言えば、目の感じとか輪郭が似ていた。私もすわを見詰めた。


「……私、若い頃に子供を亡くしてますさかい、生きてたらお嬢さんみたいになってるやろな。……そんなふうに勝手に想像して。すんまへん」


「そんなこと。……つらい想いをなさったんですね」


「……そう言えば、お嬢さん、九州訛りがおへんな」


「あ、高校卒業してから東京で働いてましたから。でも、父と話す時は九州弁になりますが……」


「……じゃ、ご両親はお元気で」


「いえ。母は三年前に、父は去年の夏に。……今は一人です」


「そうだったんどすか。……寂しいおすな」


 すわはしんみりとすると、コーヒーカップに口を付けた。


「ね、私と友達になってくれまへん」


 すわが思い付いたように言った。


「え?」


「年は親子ほどちゃいますが、なんや馬が合うというか、気が合うというか。……迷惑どすか」


「いいえ。光栄です」


「うわ~、良かった~」


 すわは子供のように喜んでいた。



 それが切っ掛けで、メールのやり取りが始まり、仕事の事やミケの事など、たわいない日常をメールで話していた。



 そして、庭先に咲く夾竹桃きょうちくとうが色を鮮やかにする頃、一周忌を間近にした父に手を合わせたいと言って、すわが来てくれた。


 茄子紺の紗に、白地の名古屋帯をしたすわは、いかにも涼しげに着こなしながら、有名百貨店の紙袋から菓子折りを出した。


 仏壇の前に正座したすわは、しばらく手を合わせていた。まるで、初詣で願い事をするかのように、何かを話し掛けていた。その時、……すわは父か母を知っている、と直感した。

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