緋い恋文

紫 李鳥

第1話

 



 そよ風が吹く晴天に洗濯をするのは気持ち良いものだ。裏庭の物干し竿に翻っている、真っ白いシーツが眩しかった。


 涼を取っているのか、日陰になった縁側の隅をミケが陣取っていた。雪見障子を開放した六畳の和室では、定年退職した父が甚平姿で詰将棋をしていた。


「ね、父さん。お昼、何する」


「ん? ……さっぱりしたもんでよか」


「また、素麺にするね?」


「ったく、お前はレパートリーが少なかな」


 顔も上げないで罵倒した。


「すいませんね。何せ、嫁の経験が短かったけんで」


 私は皮肉で返した。


「……」


 父には少し刺激が強かったようだ。言い過ぎたのを後悔したが、後の祭りだった。


「……じゃ、スーパー行ってくるね」


「ああ。……あっ、煙草もついでに頼むばい」


 老眼鏡の上からやっと目を上げた。


 私の顔を見るのは、頼み事をする時だけ。


「はいはい」


 私はエプロンを脱ぐと、買い物かごを手にした。


 私は三年前に嫁いだが、父が倒れてからは実家に帰る事が多くなった。結果、夫との間がぎくしゃくし出した。


「お前の家はどっちだ? ……交通費だって馬鹿にならないんだぞ」


 確かに、東京から九州に通うのは大きな出費だった。サラリーマンの夫におんぶにだっこでは、愚痴の一つも溢されて当然かもしれない。私は返す言葉がなかった。


「……老人ホームにでも入れたらどうだ。少しぐらいなら援助するよ」


 夫の口から不意に出た言葉は、雪国の軒先にぶら下がった氷柱のように、冷たく尖っていた。予想だにしなかったその言葉に、私は胸に込み上げる怒りと悔しさで、唇を強く噛んだ。


 ……別れよう。私が離婚を決めた瞬間だった。



 父が逝ったのは、その日だった。素麺の代わりに冷やし中華にした私は、長葱の先が飛び出した買い物かごを台所に置くと、居間に行った。


「父さん、冷やし中華に――」


 そこで視たのは、うつ伏せに倒れている父の背中と、散らばった将棋の駒だった。


「と……父さーん!」


 私は駆け寄ると、大声で叫んだ。救急車を呼んだが、手遅れだった。虚血性心疾患きょけつせいしんしっかんで、父は呆気なく逝ってしまった。



 遺骨を抱えて帰るバスの中で、車窓に流れる人波を目で追いながら、他人が皆、幸せそうに思えた。無性に哀しくなった私は、人目も憚らず慟哭どうこくした。



 ……父さん、私、一人ぼっちになっちゃった。


 父が死んだのを理解してるかのように、仏壇の傍から離れないミケを撫でながら、笑う父の遺影にぽつりと呟いた。



 それは、父の遺品を片付けている時だった。寝室を兼ねた父の書斎にある書棚の奥から、黄ばんだ封筒が出てきた。そこには、橋田博章様、と父の名があり、裏には、周防万由子とあった。

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