第37話 居酒屋

 裏道の角にある居酒屋の木戸を開け、小川忠孝率いる中年の軍団が中に入って行った。中は仄明るいオレンジ色の照明に煙がまとわり付くように漂っている。

 中年軍団は店内に入るとすぐ、全員が焼き鳥の焼ける匂いに魅入られた。

 小川はレジにいる従業員に「予約している小川です」と言うと、店員は「お待ちしておりました」とレジ奥の階段で二階へと案内した。

 少し暗さを感じる二階の広間は畳敷きで、一つ一つ座布団が敷かれ、掘りごたつのように足を降ろせる作りになっていた。襖を閉じると、取り敢えず個室にはなる。若い女性の店員に案内され、小川たちは広間の奥へと各々腰を下ろした。十一人が席に着くと、店員が一番入り口に近い席に座った小川の横に跪いて「お飲み物はどうしましょうか」と尋ねた。小川は久保川麻実と書かれた胸のネ-ムプレ-トを確認し「取り敢えずいる人数だけ持ってきて」と答えた。そして「生ビ-ルでいい人?」と皆に聞いた。全員が手を上げると、店員は「はいっ」と言って席に座った人数を数え、奥へと下がった。

 「いゃぁ~久し振りだねぇ~」「三十年だよ。三十年」「卒業して三十年になるかぁ~」「みんな変わったよなぁ」「変わらないよ」「アラフィフティ-?」「そう、アラフィフティ-」「小川君は全然昔と一緒」「則ちゃんだって変わらないよ~」「横山なんて、むしろ若返った感じだけど」「そんな事ないよ~」「そうだわね、高校の頃は地味で変で暗かったもんね」「ジミヘンだったよな」そんな会話が飛び交った。

 襖が開いて男が現れた。

 「おぉ~藤堂~」「久し振り~」「よっ、学級委員長っ」

 藤堂は皆が並ぶ席の奥に腰を下ろした。そこに店員二人がジョッキの生ビ-ルを運んで来た。皆手渡しでジョッキを送る。「わりぃ藤堂、先頼んじゃった」「いいよ。俺も生ね」「はいっ」

 十一人にジョッキが渡された後、店員は藤堂の前に十二個目のジョッキを置いた。

 「あれっ。俺のもあるの?」「良かった良かった」「まっ、取り敢えず乾杯しようよ」「飲もう、幹事っ、乾杯の音頭」

 小川はジョッキを高らかに上げ「西高三年二組の皆さん。本日はお忙しい中、なんと三十年の時を経てお集り頂きまして、本当に嬉しい限りであります。まだ、本日参加する予定の全員が揃っておりませんが、思えば三十年と言う月日は、我々の肉体に様々な変化をもたらせ・・・」誰かが声を上げた「いいから、早く乾杯しようぜ」小川が笑いながら応えた「分かった。まぁ、何はともあれ、これから二時間、その後の二次会三次会、今日は時間無制限で三十年を取り戻しましょう。かんぱ-い」

 一斉に乾杯の高らかな声を上げ、皆がジョッキからビ-ルを喉に流し込んだ。そしてすぐに隣同士、向かいの仲間たちとのそれぞれの会話が始まった。店員の久保川が藤堂の頼んだジョッキを持って来て、藤堂の横の席に置いた。藤堂は「俺のは来てたよ」と言うと、久保川は「あっ、こちらのお客様です」と答えた。藤堂は首を傾げた。もう一人の店員が品々を運んで来た。一人一人の席の前に一品一品を置き始めた時、小川が「え~会費を先に徴収していいかな」と叫んだ。皆はバッグや財布から各々札を取り出し、小川に渡す。その時また二人入って来た。「おぉ~、坂口!・・・飯田っ」

 また席は一斉に盛り上がった。「生二つ追加!」「あと俺もお替り」「俺も」「じゃあ、生四つね」「熱燗一つ」「あっ、俺はハイボ-ル」「私レモンサワ-」「ハイボ-ル二つにして」「わかりました」

 二人からも会費を徴収していると、始めから来ていた志村が小川に声を掛けた。

 「須田は?・・・遅くなるの?」

 その時小川は表情を硬くして言った。

 「須田はさ・・・残念なんだけど・・・本当に残念なんだけどさ・・・」

 「どうした?」

 「・・・亡くなったんだ」

 「えっ」

 「うそっ」「うそっ」「マジ?」「うそっ」「何で?」皆が手を止めて一斉に小川に注目した。

 「・・・二週間前、奥さんから連絡があった」

 「えっ、でもさ、通知の往復葉書って須田宛だったよ」

 「そうだよ」

 「そうそう。須田に送った」「俺も」「私も・・・須田君に会えると思って参加した」

 「・・・俺もさ、知らなくてさ・・・奥さんから聞いて知った・・・胃がんだったって・・・」小川が言った。

 皆は言葉を失った。小川は言葉を選びながら、出来るだけ感情を出さないように、この同窓会に至った経緯を説明した。遅れた参加者がまたやって来て、重々しい雰囲気に違和感を覚えながら席に着いた。

 半年前、取引先との打ち合わせで偶然小川は須田と出くわした。打ち合わせが終わった夜、二人で飲みに出かけた。高校を卒業してから三十年経つ事を互いに思い出し、酒の勢いもあって須田が同窓会を提案した。小川も賛同した。数か月かけて二人は散り散りになった同級生の居場所を探す計画を立てた。一人から一人、また一人から一人と手繰り寄せるように連絡を試みるが、それは盛り上がった時に考えた想定通りには進まなかった。二か月経って、住所が判った八人だけでもいいんじゃないか、と小川は提案したが、須田は頷かなかった。仕事の合間にしか出来ぬ作業だったため、小川は当然のように家族を優先し、成り行きは須田に任せてしまっていた。須田からのメ-ルを敢えて見ぬ振りをし続けた。須田も小川の意思を感じ取ったのか、その後の連絡はしなかった。それから二か月が経った頃、小川の家に同窓会開催の往復葉書が届いた。自分宛ての面に[お前含めて三十三人に送ったよ。あとの九人は判らなかった]と書かれていた。小川は恥ずかしくなった。自分はこの会に出る資格はないとさえ思った。参加不参加の葉書を出せぬままにいた時、須田の奥さんから連絡が来た。小川は翌日病院に向かった。須田は五か月前に出会った姿とは別人のように痩せこけていた。「みんなを集めたから、後は小川が仕切ってよ。俺は出られないかも知れないけど、俺の事は言わないでくれ。みんなで三十年振りに学生に戻って、楽しい一夜を過ごしてよ」須田はそう言って、返って来た葉書と皆の連絡先をまとめた紙を小川に渡した。それから三週間後、須田の奥さんから須田の死と、葬儀などが終わった事を伝える連絡が入ったと、小川は話を閉じた。

 押し黙った空気の中、誰かが声を出した。

 「もう一回乾杯するか」

 「そうだな」

 「乾杯じゃなくて、献杯だろ」

 「そうだな」

 「そうだ」

 一同は神妙な表情でジョッキやグラス、盃を手にして頭の上に掲げた。

小川が皆の顔を見回し「三十年振りに、みんなと再会させてくれた須田に・・・献杯っ」と言った。

 皆も頷きながら小さく声を合わせた。

 「献杯」

 それから少し時が経つと、重たい雰囲気は懐かしい話に花が咲く賑わいの場になっていった。何人かが席を交代し、あちらこちらでジョッキやグラスを合わせる音が響いた。

 肩を抱き合う者や腹を押さえて転げる者、恥ずかしさに両手で顔を隠す者、両隣の会話に頷きながら箸を進める者、吸っている煙草に何度も火を付け直す者、酒が進むにつれ皆の声や動きも次第に大きくなっていった。


 バックヤ-ドのカウンタ-に空いたジョッキや皿を下げに来た久保川が、一緒に給仕をしている同僚に向かって呟いた。

 「なんか、可哀そうじゃない、あの人?」

 同僚は「えっ、誰が?」と聞き返した。

 「分かんない?あの人だって」

 「だから、どの人?」

 「始めから来てた人でさ、席に座ったんだけど、全然飲まないし、箸も付けない人、いるじゃん」

 「えぇ~・・・どの辺に座ってる人?」

 「奥に座っていたんだけど、遅れた人が来ると席を取られちゃって、どんどん端っこに移動してる人いるじゃん」

 「えぇ~、分かんない」

 「分かんない?」

 「どこが可哀そうなの?」

 「だってさぁ、今全員揃ったじゃん・・・って言うか、二十人の筈なのにその人だけ席が無くって・・・」

 「二十一人いるって事?」

 「二十一人いるじゃん」

 「あいっ、よろしくっ」と言って、調理スタッフがフグのから揚げの大皿をカウンタ-に出した。

 「えぇっ、店長に話した方がいいよ。一人分足りないって事じゃない?・・・ちょっと見てくる」

 そう言って同僚は大皿を両手に持って個室に向かった。久保川も二つの皿を持ち、後に続いた。

 から揚げをテ-ブルの空いたスペ-スに置きながら、同僚は上目遣いで人数を数えた。

 久保川も皿を置きながら、奥にいるその人物に目をやった。

 空になった皿をまとめて同僚と久保川が厨房に戻って来た。

 「二十人だったよ」

 「うそぉ~、奥の方にいた人は見た?」

 「奥にいた人?」

 「最初は座っていたんだけど、遅れて来た人たちが来るとどんどん席取られちゃって、それで色んな席に移動してみんなの肩抱いたり、背中を叩いたりしてたんだけど、みんなは無視してるの」

 「えぇ~気が付かなかったよ~」

 「なんか見ていて可哀そうでさぁ。席取られちゃうから全然飲んでないし、食べられないし、そして全員のところに行くんだよ。両手広げて二人の肩に手を当てて・・・こうして・・・バンバンって、二人の顔を覗き込むようにして・・・でも肩抱かれている人たちは無視、完全無視なの・・・で・・・その人が私の近くに来た時、ちょっと顔を見たら、泣いてるの・・・ボロボロ涙流して泣いてるの・・・でも、笑ってるの」

 「なんか変じゃね?」

 「変でしょっ、頬っぺたびしょびしょになるくらい涙流してて、鼻水も垂らしてて・・・でも、なんだかすごく楽しそうで、すごく嬉しそうで」

 「でも無視してるんでしょ、みんなは」

 「そう。完全無視」

 「同窓会とか、三十年振りとか言ってなかった?」

 「言ってた」

 「三十年経ってもイジメてるのかなぁ。私だったら死んじゃう。耐えられない・・・って言うか、参加しないよ」

 「・・・うん・・・でも本当に嬉しそ~な顔で・・・顔ぐしゃぐしゃにして泣いたりするんだけど・・・こうして頷いて、体を揺らしたりして・・・その後また笑うの・・・泣きながら笑うの・・・喜んでいるの・・・すっごく嬉しそうで楽しそうなの・・・だから逆に・・・」

 「やっぱ変だよ、その人」

 「変なんだけど、だから逆に可哀そうになっちゃって・・・」

 カウンタ-に生ビ-ル二つとサワ-が四つ用意された。

 「もう一回見て来ようっと」同僚がトレイに飲み物を乗せて部屋に向かった。カウンタ-にはすぐ徳利が三つ用意された。久保川もトレイに乗せて部屋に運んで行くと、同僚が空になった皿やグラス、ジョッキをトレイに乗せながらきょろきょろと辺りを伺っている。そして久保川を見て、首を傾げた。

 二十名はさらに盛り上がって、校歌を歌い始めた。久保川は皆の邪魔にならないよう徳利をテ-ブルに置いて、男を探した。男は小川の後ろに中腰で座り、固く目を瞑り皆に合わせて歌っている。そして何度も何度も頷きながらゆっくり立ち上がり、出入り口に向かって歩き出した。そして開いている襖の前で向きを変え、腕で涙を拭いながら皆に向かって深々と一礼をした。二十名は誰も男の方を振り返らない。久保川は騒ぎ続ける一同とは対照的な男の様子をずっと見続けた。やがて男は頭を上げると、充実した表情でにっこりと笑みを浮かべ、静かに出口から去って行った。

 それからの個室の賑わいは、通路を隔てた厨房の中まで聞こえる程だった。その後久保川は男の姿を見かける事はなかった。


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