第10話 拓也
足だけは速かった。
小学四年生の時、運動会のクラス対抗リレ-のスタ-タ-で、どのクラスよりも早くバトンを渡した。結果は二位だったが、拓也は自分の速さに満足だった。五年生になるとアンカ-を任された。三番手で渡されたバトンを握り、前を走る四組と二組の選手を必死に追いかけ、ゴ-ル手前で二組の選手を抜いて、そのままテ-プを体に絡めた。子供たちだけではなく親たちからも拍手で迎えられた。六年の時はほぼ同時にバトンを受けた三組のアンカ-に5メ-トルの差を付けて優勝を勝ち取った。クラス全員が駆け寄って拓也の勇姿を称えた。担任からも褒められた。運動会は拓也にとって一年で一番輝く日だった。
ジェイリ-ガ-に憧れサッカ-部に入っていた拓也は、網に入れたサッカ-ボ-ルを蹴りながら家に帰るのが日課だった。五年生と六年生が中心のイレブン中で、四年生の時に一度だけ途中から試合に参加し、シュ-トをした。ゴ-ルは決まらなかったが、10メ-トルも一人でドリブルをして放ったシュ-トだった。五年生の夏には初めてレギュラ-になった。担任だった監督からとにかく思い切り走って、点を取ってこいと言われた。拓也はどんな試合でも必死にボ-ルを追い駆け、目の前に来たチャンスで何度もシュ-トを打った。六年生になるとレギュラ-から外された。それでも補欠として何回か試合には出れた。三年間で大小二十の試合に参加し、何十回もゴ-ルに向けてボ-ルを蹴ったが、拓也が決めた点は一点もなかった。いつも最後の最後でボ-ルを足の芯に当てる事が出来なかった。ただ誰よりも速く走った事だけ、いつも監督は褒めてくれた。
中学ではサッカ-は諦め、陸上部に入った。上級生どころか一緒に入部した二か月前まで小学生だった仲間にも勝てなくなった。どんな子よりも速かった自慢の足は、地域が広がった外の世界の子供たちには通用しないと分かった。県大会でキャプテンが三位に入った。キャプテンは同学年だけでなく、下級生とりわけ女子たちから人気があった。早く走れば人気が出ると信じて拓也は練習に励んだ。しかし早く走る技術は、持って生まれた能力にほんの僅かしか影響を与えなかった。部室では先輩だけでなく同級生からも使いっ走りとして扱われた。陸上部の使いっ走りはそのままクラスのお使い役として皆に利用された。そのうち陰湿ないじめが始まった。教科書が無くなり、弁当箱が無くなり、体育着が無くなった。下駄箱の上履きが水でビショビショに濡らされ、真冬のある朝には凍っていた事もあった。金をたかられる事も増えて行った。小遣いだけでは足りずに、母親の財布から何度か金を持ち出した。
クラスや学年の人気者は、皆何かの特技を持っている。野球部のエ-ス。サッカ-部のゴ-ルゲッタ-。泳ぎが上手い奴。大会で好成績を残した奴。勉強が出来る奴。物知りな奴。将棋が強い奴。ゲ-ムで負けない奴。ギタ-が上手い奴。容姿端麗な奴。拓也はそのどれにも当てはまらないどころか、普通の学生より少し足が速い以外は、どれも順位は下の方だった。特に学力は下から一割くらいのランクにあった。
二年の二学期で陸上部は辞めた。何の目標もやる気も起きずにいた拓也は、それからは学校と家との往復だけを繰り返し卒業した。
高校は電車を使って自宅から一時間かかる偏差値の低い私立校に受かった。一つだけ希望を持てたのは、低い学力のせいで拓也を知る同級生たちがその学校を選ばなかった事だった。高校では何の部活にも参加しなかった。ただ中学生活での失敗から、クラスでは出来るだけみんなに話しかけるようにした。何かの話題で数人が集まっていると、率先して中に入り思い付く話で話題に入り込んだ。二年の時佐藤学という子と友達になった。佐藤は拓也の事をたっちゃんと、拓也はサトちゃんと呼び合った。
サトちゃんはクラスでも突出する程勉強が苦手だった。しかしサトちゃんは話が上手かった。中学生の頃に母親に先立たれ、父親との二人暮らしでそれなりに苦労して来たサトちゃんは、勉強よりも処世術を学んでいたようだった。巧妙な会話で人の心の機微を揺さぶり、絶妙なタイミングで相手の気持ちを高揚させる言葉の使い方に、拓也は尊敬する程の思いで舌を巻いた。
サトちゃんの自宅にはお笑い番組のビデオが山ほどあった。拓也はサトちゃんの家に遊びに行く度にビデオを見せられ、いつしか拓也も感化されていった。やがて二人は漫才やコントのネタを作るようになった。互いに練った話を持ち寄り、練習を繰り返した。でも中心になるネタと突っ込みは、サトちゃん頼みだった。サトちゃんの提案で、[たっちゃんサトちゃん]と言うコンビ名を考え、最後の文化祭で披露した。二人の漫才とコントは学生たちに思いの外好評を得た。拓也は小学校以来、何年か振りにみんなの注目を集める喜びに浸った。たっちゃんサトちゃんは、それからもネタ作りに励み、高校を卒業と同時にお笑い界の門を叩いた。二人とも有名になる事を夢見ていた。拓也はサトちゃんとなら、上手く行く、そう信じていた。
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