第2話「集団催眠療法(マスヒプノセラピー)」

 杵塚浜之助の一族は、勤勉な弁護士一家だった。



 両親も親族も、学歴重視、遊びよりも勉学、弁護士こそ幸福になる第一歩であると信じてやまない生き物だった。



 だから浜之助は、どこか別の惑星から取り寄せた別種族なのだろう。


 そうでもなければ、プロゲーマーになるという夢を、抱きはしなかっただろう。



 浜之助が初めてゲームに接したのは十歳の時だった。



 塾で授業の予習をしていると、近くの席に座っている生徒が筆箱の大きさの物を熱心に触っていたのだ。



 浜之助が気になって生徒の手元を見ると、そこにはディスプレイいっぱいに映る夢の世界が広がっていた。



 色彩豊かな景色、印象的なキャラクター、目にもとまらぬアクション。


 それを生徒が操っているのだと気づいた時、浜之助は胸が高鳴るのを感じた。



 耳元で心臓が脈打つのが聞こえ、握りしめた手の平には滴るほどの汗が流れる。


 だからその生徒が浜之助の様子に気が付いても、浜之助は画面に目が釘付けだった。



「やってみる?」



 生徒がそう言った時、浜之助は目を輝かして勢いよく頭を縦に振った。



 それが、浜之助がプレイする初めてのゲームとなった。



 それから浜之助は手伝いで得たお小遣いを必死に溜めて、ゲーム機とソフトウェアを購入した。


 反対されると分かり切っていたので、両親には本を買うための資金だと偽っての購入だった。



 浜之助は様々なゲームに触れた。


 RPG、アクション、格闘ゲーム、シュミレーション、ストラテジー、アドベンチャー、シューティング、どれも浜之助に素晴らしい体験をさせてくれた。



 中学生になると、浜之助はアーケードゲームに手を出し、ゲームセンターにも通うようになった。



 だがそれがまずかった。


 ゲームセンターで知り合いに姿を見られ、人づてで両親の耳にそのことが入ってしまったのだ。



 両親の追及と、叱責はすさまじかった。


 ゲームセンターは不良のたまり場だと信じて疑わなかったし、ゲームは脳に悪影響だと確信していたので、裏切られたように感じたのだろう。



 浜之助が必死に勉学へ支障をきたさぬようゲームをすると言っても、両親はひとつも認めてくれなかった。



 その後、ゲーム機は二度と使えぬように浜之助の目の前で壊された。



 浜之助はそんな両親を憎み、自分の境遇を呪い、勉強をしなくなった。



 昼間はなけなしの金でゲームセンターに通い、朝と夜だけは寝食をするためだけに家へと帰った。



 もちろんそのことは両親に伝わり、浜之助は毎日叱られてばかりだった。



 だから両親が浜之助を監獄のような全寮制の高校に入れようとした時、浜之助は家出することに決めたのだ。



 浜之助は両親の財布から幾らかのお金を盗み出し、遠くに逃げた。


 逃げてどうするのかと言えば、ゲームをしていた頃の夢であるプロゲーマーという職を目指すつもりでいた。



 けれども世間はそんな逃避行をする浜之助に優しくはなかった。


 住むにしても身元は明かせず、十分な資金もない。


 お金だけは稼ごうとバイトの面接に行っても、身元不明の高校生など雇ってはくれない。



 浜之助が今日明日食べる物にも困っていた時、年齢不詳・身元不詳・条件不要のバイトを見つけることができた。



 それは、催眠療法の被験者になるという怪しものだった。



 それでも浜之助に選択肢はない。


 恐る恐るながらも、応募し、見事面接で採用されることとなったのだ。



「催眠療法というのに聞き覚えがあっても、詳しく知らないものが多いだろう。まずは説明しておこう」



 浜之助は他の被験者と共に疲労予防のタブレットを、変わった味の水で喉に流し込み。


 催眠療法のためのゆったりとしたリクライニングベットに座っていた。



「催眠療法は潜在意識、無意識ともいう本人には自覚できない意識を、書き換えるための施術方法だ。記憶を新しい、良いイメージに書き換える。つまり悪い記憶をプラスのイメージに変える方法なんだ」



 先ほどから被験者を前にして、博士と自称する胡散臭い瓶底眼鏡を掛けた白髪と白髭の男が演説を行っている。



「更に今回は集団催眠療法という新しい施術を行うため、君たちに集まってもらった。個人の催眠療法との違いは、集団の力によって集団的無意識を共鳴させ、一つのイメージに書き換えることだ。大丈夫。記憶自体は改変されない。術後はきっと生まれ変わったような、朝露を吸い込むような清涼感を感じることができるだろう」



 博士の会話の内容を半分も理解できる人間は少ないだろう。


 それ以前に、話を聞かず転寝している者が大半だった。



 それにしたって寝ている人数が多い。


 つられて浜之助も寝てしまいそうだ。



「更に脳波の恒常性を監視する集団相互監視によって、脳細胞の活性状態を維持する方法を、私は発見した。これならば例え一度脳死に至ったとしても、他の誰かの脳によって脳細胞の死、ネクローシスを防ぐことができるようになった。脳を活かすための相互監視、相互制御こそがこの催眠療法の神髄なのだ」



 脳死、という物騒なキーワードに、話を聞いている者は戦慄した。


 この実験は、そんなにも危ないものなのだろうかと、周囲はざわめいたのだ。



 そんな状況では、辞退者が出ない方が不自然なものだ。



「あの、やっぱり不参加にさせてもらっていいっすか?」



 浜之助の隣に座っていた大学生くらいの金髪の男性が手を挙げ、博士に向かってそう言った。



 博士は説明を一時中断すると、金髪の男性の顔を不思議そうに見つめた。



「何故なのかね? これはチャンスでもあるのだよ。君たちは限定的な半不死となれるのだ。できれば私が変わってやりたいところだが、私は実験を観察しなければならない。残念なことだ」



 博士は大仰に肩を落とすと、次のようにも話した。



「だが心配しなくともいい。幾ら不安があったところで、冷凍睡眠状態では恐怖というものを感じない。快適な睡眠の後、君たちは新生するのだよ」



「れ、冷凍睡眠? 何言ってるんすか!? 冗談じゃないっすよ!」



 金髪の男性は勢いよく立とうとしたが、足がもつれて再び座る。



 気づけば、金髪の男性と浜之助以外は、全員眠りこけているではないか。



「なん、だよ。頭が、朦朧として」



 浜之助は何とか意識を保とうと頭を殴りつけるが、その腕を博士に握られた。



「ダメだよ。ダメダメ。貴重な脳のサンプルを傷つけるような真似はしないでくれ。君たちは大事な実験用具なのだからね」



 既に金髪の男性も項垂れるように眠ってしまっている。残っている浜之助も、もう間もなく瞼が落ちてしまうだろう。



「それでは古い自分にさようならと言いなさい。目覚めたら、新しい自分にこんにちはと言うとよいよ」



 浜之助は耐えることができず、その重い瞼を閉じてしまった。

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