第26話 疑いの目 実力の先

謁見の間を出て、重く澱んだ空気の中にも、ようやくわずかな解放の気配が漂い始めていた。


「……なんだったのよ、もう……」


長い石造りの回廊へと足を進めながら、エヴァは小さく息を吐く。

踏み出すたびに、騎士靴の革がわずかに鳴った。


昼を過ぎた王城内は静かで、遠くからかすかに聞こえる鐘の音が、帝都の時間を告げていた。


天井は高く、陽の差す窓からは光の筋が差し込み、

白い石の壁にうっすらとエヴァとフェイの影を落としていた。


「……団長って、私が?」


小さく呟いたその言葉に、隣を歩くフェイは相変わらず調子の抜けた顔で答える。


「うん、びっくりだったね。俺も少し驚いたよ」


「“少し”……?」


「あれだけの人たちの前で宣言されるなんて、思ってなかったし」


「その“あれだけの人たち”って、歴代最強の十二騎士団よ? その中にぽんっと入れられて、しかも団長って……!」


エヴァは肩をすくめ、口元を引き結んだ。


「……陛下、何を考えてるのかしら」


「先を見てるんじゃない? まだ形になってない“未来の戦力”を」


その言葉に、エヴァはふと立ち止まる。

石畳に映る光と影の揺らぎが、目の前で交差した。


「未来……ね」


そう呟いた彼女の心に浮かんだのは、あの白き巨影――リィの姿だった。

あの異形を見て、王が“縁”と評したことも。


(たしかに……あれは、普通じゃない。私たちだけでも、手に余るって感じる)


フェイが歩を緩め、少しだけ先を歩いて振り返った。


「ま、気にしてても仕方ないよ。団長なんだから、前向いて歩かなきゃ」


「……気楽な副団長ね、ほんと」


「それが取り柄なんで」


エヴァが呆れたように鼻を鳴らしかけた、ちょうどその時――


「フェイ・オーディン」


響いたのは、低く野太い声。


廊下の先。回廊の影から、圧倒的な存在感が現れた。


そこに立っていたのは――

第六騎士団雷迅騎士団の団長、ガラル・バルド=ゾルド。


石壁を背に、まるで最初からそこにいたかのように佇むその巨躯は、

光の中に溶け込むことなく、影のように圧を残していた。


両腕を組み、虎の耳がわずかに動く。

その鋭い眼光が、まっすぐにフェイを射抜いている。


「……少し、手合わせしてもらえねぇか」


ゴリ、と鳴る拳。

それは挑発でも威圧でもなく、ひとりの戦士としての“挨拶”。


「王の保証があってもな……俺は、この目で見ないと納得できねぇタチでね」


その真摯な言葉に、エヴァは思わず横を向いた。


(今度は……なによ)


「実力がなけりゃつとまらねぇしな。」


フェイは、肩をすくめるようにして立ち止まり、ガラルに微笑みを返す。


一歩前に出て、首を回す。


「いいよ。どこか、静かな場所ある?」


「石造りの円形闘技場がある、そこでいいか?」


「いいよ」


フェイはエヴァに目だけで合図し、

そのまま足を向ける。


(もう……こいつ、なんなのよ本当に)


思わず呆れたような吐息が漏れる。


それでも――


(変な話だけど……なんだか、少し安心したのよね)


謁見で圧に潰れそうだった心の奥に、

不思議な安定をもたらしてくれる“いつもの調子”。


そうして、フェイとガラルの歩調が重なっていく。




帝都王城、その中枢に秘匿されるように存在する――

十二騎士団専用・中央闘技場。


石造りの円形広場。古代様式の意匠が彫られた壁面に囲まれ、闘技場の中心には太陽の紋章が刻まれている。

頭上から降り注ぐ陽光は、石床にまばゆいコントラストを落とし、戦士たちの影を濃く描いていた。


闘技場を囲むようにして、数段の観覧席と見張り台が設けられており、今そこには静かに数名の団長や副団長たちが集まり始めていた。


一見、私語ひとつない静謐な空間。だがその場には、明らかに通常の訓練とは異なる“異質な緊張感”が漂っていた。


「……やっぱり、来てるな」


第一騎士団天鋼の団長、ライアス・ヴェル=ハルドが観覧席の高台から視線を落とし、薄く笑う。

淡いエメラルドの瞳が、まるで面白い戯曲でも観劇するかのように細められる。


「皆、“保証”じゃなく“実感”を求めてるってわけね」


その隣で、第三騎士団副団長のレーナ・ファン・ルナが穏やかに言葉を継いだ。

風に揺れる銀髪が、まるで舞う月光のように柔らかく光を撫でている。


観覧席のもう一角では、第十二団空虚のヴァリス・クロウ=ネメアが杖を静かに握り、

目を閉じたまま思索に耽るように佇んでいた。


その下方、広場の中央にて――


フェイ・オーディンは、飄々とした様子で立っていた。

陽光に照らされた黒い外套を背から外し、布の下から一本の長物を取り出す。


それは――


「……あれは……刀?」


低く呟いたのは、第七団月影のセリス・アルミナ。

銀と紺の軽装が陽を反射する中、切れ長の瞳にわずかな興味が揺れる。


刀――東方の武器。だがそれにしては、どこか只者ではない“気配”があった。

ただそこにあるだけで、空気が張るような、鋭利な存在感。


フェイはその刀を床にそっと立て掛けると、のびをするように腕を回し、軽く肩を鳴らした。


「んー、よし。じゃ、軽く動いてみようか」


構えることなく、両腕をだらりと下げた脱力姿勢。

まるで闘う意思すら見えない、その無防備な立ち姿に――


「……構えないのか?」


向かいの巨躯が、低く問うた。


第六団雷迅団長、ガラル・バルド=ゾルド。


陽の光を背にしたその姿は、まさしく鋼鉄の獣。

筋肉で隆起した身体を覆う黒と金の戦装。背には虎族特有の荒々しい鬣のような髪、額から突き出た雷紋の刺青が閃光のように揺れていた。


彼の手には、雷槌と呼ばれる大槌が一振り。

片手で軽々と担がれているが、その重量は常人では持ち上げることすら難しいだろう。


「構えてないようで、構えてるんだよ。これでもね」


フェイはそう言って、相変わらず気の抜けた笑顔を浮かべている。

だが――


観ている者たちは、誰もが“何か”を感じ取っていた。

構えぬその姿勢の奥に、重く沈んだ“芯”のような気配があることを。


「なら……構えるぜ、俺は」


ガラルは一歩、前へ踏み出す。

ゴォン――と、地を揺らすような低音が石床に響いた。


その瞬間、場の空気が一変する。


獣のような気迫。

鋭く研がれた殺意を抑え、理性の檻で制御する――武人としての獣性。


「……始めてくれ」


静かに告げるガラルの声。

その手が、雷槌を構え――重さを殺すように腰を沈める。


観客席にいる団長の誰かが、小さく息を飲む。


そして次の瞬間――


風が揺れた。


二つの影が、交差の軌道を描きながら――交戦が始まった。


その巨体から繰り出される雷槌の一撃は、風を裂き、空気ごと地を叩き潰さんとする暴威だった。

踏み込みの一歩で闘技場が揺れ、石床に雷のような衝撃が走る。


だが——


「っとと」


その一撃を、フェイ・オーディンは、滑るように身を躱す。


まるで舞うように一歩を捌き、もう一歩で空間を抜ける。

その動きは無駄がなく、重さがなく、まるで影がすり抜けたかのようだった。


「……っ、速ぇ……」


観覧席のどこかで、誰かが低く唸る。

その声には驚きだけでなく、“理解が追いつかない”という焦燥がにじんでいた。


ただの側転にも見える動作。

だが、動きの“芯”を見れば、それが完全な“見切り”によって生まれた回避だと、誰の目にも明らかだった。


「ほらほら、危ないよ?」


フェイは飄々とした声で軽口を叩く。

だがそれを聞いたガラルは、眉ひとつ動かさず応じる。


「……軽いな。だが、そんなものは“遊び”だ」


再び、雷が走る。


ガラルの大槌がうなりを上げ、二撃、三撃と続けざまに襲いかかる。

だがそのすべてを、フェイは受けない。流さず、打たず、ただ“逸れる”ように回避し続ける。


重さと力を真正面から受け止めることを拒むように、まるで風が岩の間を縫って吹き抜けるような動き。


数合の交錯。


打ち下ろされる雷槌。空を裂く風圧。

それをすり抜ける脱力した身のこなし。


──戦っているはずなのに、“武器がぶつからない”。


闘技場に漂う空気は、不可解な“間”を孕み始めていた。

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