アデレナお嬢様はさらにやってみたい

宇部 松清

第1話 お嬢様、悪役令嬢になる

「イルワーク、私やってみたいことがあるの」

「承りましょう」



「巷ではどうやら『悪役令嬢』というのが流行っているらしいわ」

「まさか悪役が脚光を浴びる時代になるとは。世も末でございます」

「いつの時代も魅力的なダークヒーローって存在するものなのよね」

「そのようでございますね」

「人は自分にないものを求める生き物だから、私のような正義令嬢が悪役令嬢に惹かれるのも無理からぬ話なのよ」

「ちょっとよろしいですかお嬢様」

「何かしら」

「いま少々耳慣れない言葉が飛び込んできたように思うのですが」

「何のことかしら」

「正義令嬢、と」

「それがどうかしたの?」

「お嬢様はいつから『正義令嬢』になられたのでしょう。というか、そもそも『正義令嬢』という言葉そのものを聞いたことがないのですが」

「イルワーク、辞書に載っている言葉だけがすべてじゃないのよ。言葉は生き物なの。絶えず進化し続けるのよ」

「さすがでございます、お嬢様。なんとご立派になられたことか」



「そんなわけで、私、悪役令嬢になろうと思うんだけど、ひとつ問題があるの」

「本当にひとつだけなのか、よしんば本当にひとつだとしても根本的な部分なのではないだろうかという不安がよぎりまくって現在3周目にさしかかったところなのですが、何でしょうか」

「悪役令嬢って、そもそも何なのかしら」

「そうらおいでなすった。いま、私の中のもう一人の私がそんなことを呟きました」

「あなたの中のあなたについては、あとで良いお医者様を紹介してあげるわね」

「お心遣い感謝いたします」

「そんなことよりも」

「はい」

「悪役令嬢よ。本物の令嬢は身近にごろごろ存在していてもどれが悪役に該当するのかさっぱりわからないのよ」

「そもそもお嬢様はなぜ『悪役令嬢』にご興味を持たれたのですか? もしかして私の私室に……?」

「あなたの部屋に何があるのか知らないけれど、先日、マデリーンが持ってきた私のコートのポケットに小さな本が数冊が入っていたの。一体誰がこんないたずらをしたのかしら」

「成る程、マデリーンメイド長ですね。あの野郎」

「どうやらそれは、私が憧れてやまないはるか遠くの神秘の国日本の本らしいの。どうにか表紙に書かれている文字だけは訳したものの、内容まではさすがにお手上げだったわ」

「表紙部分だけは訳したのですね」

「とりあえず、その表紙と挿絵の情報だけでいま会話をしている、というわけよ」

「よくぞそれだけの情報で『巷では悪役令嬢が流行っている』と言えましたね」

「何事も言ってみることが大切なの。本当に流行っているかは疑問だったけれど、私の中で流行っているのだから、嘘ではないわ」

「おっしゃる通りでございます」


「して、お嬢様」

「何かしら」

「その本、というのは……」

「まずはこれ。『乙女ゲームに両親を殺された俺が悪役令嬢に転生したから、この世にあるすべての乙女ゲームを内部から崩壊させる!』」

「……」

「それから、これ。『サバゲーしかやったことのない俺が転生したのは乙女ゲームの悪役令嬢?! ミッション:破滅ルートを回避して、軍に入隊せよ!』」

「……」

「あと、もう一つがこれ。『夫婦揃ってトラックに轢かれたけど、何がどうして俺だけ悪役令嬢に?! ~嫁がヒロインなんて聞いてない!~』。すべて同じ作者の本よ」

「……」

「どうやらこの作者は、男性が悪役令嬢に転生する、っていう展開がお好みらしいわ」

「そのようで……ございますね」

「どうしたのイルワーク。何だか顔色がすぐれないわよ?」

「気のせいでございます」

「気のせいかしら。青を通り越して真っ白になっているけど」

「大丈夫でございます」

「なら良いけど。イルワーク、あなたそういえば日本語が堪能だったわね」

「はい。父方の祖父の叔父の従妹の嫁ぎ先にいるメイドの実家で飼っている土佐犬のベルモルトのトリマーが日本人でして、その縁で学んだのです」

「それは果たして縁と言えるのかしら」

「どのような縁も縁でございます」

「まぁ良いわ。とりあえず、あなた日本語がペラペラだから、この本を私に音読してちょうだい」

「音読……でございますか」

「そうよ。悪役令嬢になりきるためには、まず知ることから。敵をよく知ることが大切なの」

「いつの間に敵になったのかわかりませんが……。しかし、音読。ラノベの音読とは少々ハードルが。しかもこのラノベ、ただのラノベでは……。しかし、このイルワーク、お嬢様のためならば……っ!」

「どうしたの、イルワーク、顔がおかしな色になっているわよ?」

「だ、だだだ大丈夫でございます」

「あなたがそこまで動揺するなんて珍しいわね」

「動揺などどどどどど」

「大丈夫? ちょっとバグってない?」

「お嬢様、いつの間にそのような言葉を」

「私も日々進化しているのよ」

「さすがでございます」


「それにしてもイルワーク、あなたやっぱりちょっと変よ」

「そ、そんなことは……」

「もしかしてこの本に何か秘密が?」

「いえ、そんなことは!」

「もしかして、これ、あなたの本だったり……?」

「ギクッ!」

「リアルで『ギクッ』って言う人を初めて見たわ。成る程、あなたの本だったのね」

「その通りでございます。申し訳ございません、お嬢様に隠し事をするなんて、執事失格でございます」

「良いのよ、イルワーク。執事失格なんてことはないわ」

「ありがとうございます、お嬢様」


「しかしイルワーク、あなたこれ、どこで買ったの? 日本の本なんてこの辺の書店には置いていないのに」

「え? いいえ、これは

「どういうこと?」

「これは、送られてくるのです」

「送られてくる? どういうこと?」

「それは献本ですから。のですよ」

「え? これ……、あなたの本なの?」

「ええ、私の書いた本でございます」

「えっ、じゃあこの『入輪いるわ阿久あく』って、あなたのことだったの?!」

「むしろそこで気付かないお嬢様の方が奇跡でございます」


「じゃあ、今夜から寝る前のお話はこれでお願いするわね」

「かしこまりました。自分の書いた激甘エピソードを読み上げるという苦行、胃に穴をこさえる覚悟で臨ませていただきます」

「その意気よ。毎晩しっかり学べば、私も立派な悪役令嬢になれるわね」

「お嬢様」

「何かしら」

「間違いなくお嬢様は、既にもう立派な悪役令嬢でございます」

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