★第一章★ 星の魔女(3)

 人生初の星間飛行はすこぶる順調だった。

 ……つい、さっきまでは。

 ――高度一〇〇〇〇キロメートル。外気圏に突入。ようやく宇宙が終わる。一面が蒼く染まる星を眼下に捉えつつ、熱圏ねっけん界面を通過。

 ――高度八〇〇キロメートル。熱圏に突入。惑星の極点付近を彩るカーテン。ゆらゆらと漂うオーロラを眺めつつ、中間圏界面を通過。

 ――高度八〇キロメートル。中間圏に突入。コーヒーゼリーに垂らされたクリームみたい。夜光雲やこううんの幻想的な光景に感動を覚えつつ、成層圏界面を通過。

 ――高度五〇キロメートル。成層圏に突入。高度による寒暖差が激しい。身に沁みる寒さを我慢しつつ、対流圏界面を通過。

 ――高度一二キロメートル。対流圏に突入。真っ白な雲が手に届きそう。ふかふかの見た目に思わず癒されつつ……これが、いけなかった。

「シホっ! ブレーキ! ブレーキっ!」

 グレイにしては珍しく悲鳴に近い声。おかげでシホは我に返った。

 しまった。癒されすぎてぼんやりしてた。

 現在、シホとグレイが搭乗している法器は星間飛行中の標準速度のままだ。

 そしてその速度ゆえ、ごつごつとした地表がぐんぐんと迫っている。

 ついさっきまでふかふかに癒されていた自分が一層恨めしい。

「わわわわわっ! 操作盤コントロールパネルオープンっ!」

 その声に呼応し、シホの手元にぼんやりとした光を放つ半透明のパネルが浮かび上がる。と同時にそこに刻まれたボタンを素早く操作。制動領域スポイラーフィールドを急速展開する。法器の正面に巨大な魔法陣が出現し、空気を捉え、抗力を発生させる。衝突した空気が一気に圧縮され、霧を生みだし、それが白い尾となってシホの周囲を包む。

「操縦は得意なんじゃなかったっけ?」

 ごうごうと空を切る轟音の中、シホの右肩に乗ったグレイが耳元で囁く。

「だってっ! こんなの初めての体験だもんっ! ……それより今話しかけないでぇぇぇっ!」

 急速に発生した空気抵抗で不安定に揺れる法器。シホは法器のグリップを強く両手で握り、今にもバランスを崩し失速しそうな機体を寸でのところで、安定させる。

 跨った法器から絶え間なく訪れる衝撃にシホの華奢な身体が揺れる。それに耐えグリップを握りしめるシホの息は荒く、みずみずしい頬は熱を帯びて紅に染まっている。

「シホ、なんだかまるで……」

「……えっ? なーーにーーっ!?」

「……いいや。この有事の真っ最中にボクが悪かった。なんでもない。忘れてくれ」

 暴風の只中のせいでその失言はシホの耳まで届かなかったようだ。即刻、グレイは邪念を振り払う。

 …………

 ようやく呼吸が落ち着いてきた。実際はほんの数分の出来事だったはずだが、シホには何十時間にも感じられる長い長い戦いだった。

 あれだけのトラブルに見舞われながらも、シホはなんとか持ちこたえ、法器を安定飛行させることに成功。かくして――シホの操縦テクニックの高さは証明されたのだった。自ら招いた窮地から、危機を脱するという間抜けな実績によって。

 しかし、安定した着陸をするには、いささか速度が速すぎる。

 着陸の目標地点が迫っていた。

「ふう。一時はどうなるかと思ったよ。まだ少しスピードが速い気もするけど……」

「大丈夫。目標地点からは少しズレちゃうけど、あとは地表付近で距離を稼いで減速すれば――」

 そのつもりだった。

 予想外のトラブル(自分のせい)を克服した上での、完璧な着陸計画。星の魔女シホの目を見張る法器捌き。後世に語られる新人魔女の武勇伝。そうなるはず、だった。

「山だね」

 正面に迫る目標地点を見ながらグレイが言った。

「……うん」

 シホは笑顔を張付けたまま、凍り付いていた。

 …………

 眼下には人工的な建造物が密集している。建物の窓の隙間からは科学的に作られた暖かな光が漏れだしているのが見えた。恐らく、この惑星の人間の住宅なのだろう。

 グレイは少し顔を上げて考える。

「……うん。この高さならボクはもう平気かな。先に行くとするよ。シホ、いい旅を。健闘を祈っているよ」

 そう言うとグレイはシホの肩からひょいと夜空へと飛び出し、くるりと優雅に空中回転。そのまま重力に身を任せ、地上へと吸い込まれていった。

「えっ!? ちょっ、ちょっと! グレイってば! ズルいーっ!」

 山の中腹へと突き進む爆走ロケットに取り残されたシホの抗議の声は誰にも正しく聞き取れなかっただろう。ドップラー効果というやつだ。

 そうしている間にも、緑豊かなお山はどんどんどんどん大きくなり、シホの視界を埋め尽くしていく。

「いゃああぁぁぁぁぁぁぁぁっ! お願い止まってえぇぇぇぇっ!」

 シホは法器のスロットルグリップを思いっきり逆回転。エンジンが高出力で逆噴射し、噴出した青白い熱線が闇に包まれた森を明るく照らし出す。

 ――ぞぞごごぞごごぞごごごごっ! ……――ずぅぅ……ん――! ……!

 木々の枝が絶え間なく重奏を奏で、最後は山に重低音が響きわたった――。

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