So I throw a stone
訓練が終わった後は基本的にその場で解散し、僕と彼女とで学校を出るタイミングは極力ずらすようにしている。これは僕たちの内密の関係を周囲に気取られないようにするために設けたルールだ。そのため過去に一度も彼女と肩を並べて帰途についたことはない。
ある日、僕は初めてそのルールに抵触した。
初めて彼女を寄り道に誘ったのだ。
すると彼女はつぶらな瞳をさらに丸々とさせて問うてきた。
「急にどうしたの?」
予期していた質問だったのに、つい狼狽えてしまう。他人を何かに誘い出すこと自体、初めての経験だ。こういう時、どうやって本心を誤魔化せばいいのだろう……。
キョロキョロと目を泳がせながら適当な言い訳を並べる僕を、彼女は怪訝な顔をして見つめていた。万事休すかと思った次の瞬間、彼女はふっと息をついて相好を崩した。
「いいよ。いこ」
僕は驚きの余り、しばし間の抜けた顔をしていたと思う。そして思考が現実に追いついてくる次第に、たまらず頬の緩みを抑えることができなくなっていた。
どうして彼女が僕の誘いに二つ返事で応じてくれたのかは謎であったが、ともあれ、僕たちは初めて肩を並べて往来を歩くこととなった。
「どこに行くの?」
道中、そう尋ねてきた彼女に、僕は事前に下調べしておいた甘味処の名前を挙げた。
すると彼女は無表情を保ったまま、俯き加減に、そう、とだけ呟いた。
想定よりだいぶ薄い反応で、たちまち不安に駆られる。別の店の名前もいくつか挙げてみるが、いずれもぼんやりとした反応が返ってくるばかりで、手応えというものがまるで感じられなかった。
「貴方が誘ってくれたんだから。貴方の好きなとこでいいよ」
挙げ句にそう引導を渡されたため、結局最初に提案した甘味処に向かうことにした。
道中の会話らしい会話というと、それくらいだった。
緊張していたせいでもあるが、なんとなく彼女に話しかけづらい空気が漂っていたことも要因のひとつにある。
隣を歩く彼女の横顔は終始、浮かないような、あるいは穏やかに心躍らせているような、総じてなんともいえないようなものだった。それは僕に心のうちを読み取らせる隙を与えなかった。
――本当に彼女を誘ってよかったのだろうか?
複雑な感情のベールに包まれているその横顔を盗み見るたび、得も言われぬ不安が堆積していった。早まったことをしたかもしれないと思うと後悔がよぎり、自分の浅はかさを責めたくなるのだった。
これが明らかな悪足掻きであることは理解していた。
埋まらない15センチの距離。その壁を壊した先に望めるであろう、色とりどりの景色を我が物にしたい。だけど今までの方法では、その壁を取り壊すことは不可能だ。あるいは夥しいほどの時間を重ねていけば、いずれ除去することは可能なのかもしれない。だがそれが何年先のことになるかは分からない。少なくとも自分たちが高校生でいるあいだは難しいだろうというのが僕の見解だ。
壁を壊すために何か別の一石を投じなくてはならない。ただし状況が好転するか暗転するかは投げてみないと分からない。つまり、一か八かの賭けである。
僕たちの関係は綱渡りのように不安定で寄る辺もなく、下手な異物の投擲はかえって溝を広げてしまう結果にもなりかねない。もし僕が彼女との関係が崩壊してしまうことを怖れて現状維持を望むのであれば、このような賭けに出ることは愚策でしかない。そんなことは重々承知している。
だから僕は酷く焦っているのだろう。
彼女が僕の浅ましい本心に気づいてしまうことに。
彼女が『真人間』になるより先に、大嘘つきの僕との同盟の解消を申し出てくることに。
僕はきっと怖じ気づいている。
何より彼女が僕のもとから離れ、他の誰かの手のうちに収まることをこの上なく怖れている。
そうなれば僕は大げさではなく死んでしまうかもしれない。
僕の手足や胴体や頭などは紛れもなく僕自身のものだが、心だけは完全に彼女に奪われている。彼女を失うことは、すなわち心を失うことに等しい。心を失った人間が辿る末路なんて目に見えている。
その愛するものに指一本触れることができない現状が、とてつもなくもどかしい。
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