よその旅

いちばん遠くて近い場所(ゆずばぁの旦那さまとポーズくんのお兄ちゃん)

「はじめまして……だよね?こんにちは。道に迷ったかな?」

そう声をかけてきたのは、優しい笑みを浮かべている幼い顔の青年だった。

「はい……気付いたらここにいて……」

でもここで目覚める前のこと、何も覚えてないんです。と言うと、

そうなんだ。まあぼくもなんだけどね。と彼は微笑みながら答えた。


「本当に何も覚えてないの?自分の名前は?」

そう聞かれて思い出そうとするも、何も思い出せない。

「何も考えないでぼーっとしてたら、案外思い出すかもよ?」

そう言って、彼はどこに行くでもなく歩き出した。



白くてぼやぼやした曖昧な空間を二人で歩き続けて、いったいどれくらいの時間が経っただろう。

やっと景色が少しはっきりとしてきた。

「ここは……?」

「どこだろうね。知っているような、知らないような……不思議な感じだ」

森の中にある小屋のようなものがぼんやりと見えた。

彼はこの曖昧な空間を楽しんでいるようだった。

俺には彼の気持ちが全く理解できない。

なぜこんな状況で呑気にいられるんだろう。と少し苛立ちさえ感じてしまう。

「中に入ってみようか」

そう言うと、彼はその小屋のようなものの扉をゆっくりと開けた。



「なかなかキレイな家だね。小さいけど、なんだか落ち着くなあ」

「そう、ですね……」

さっきよりも、すごくこの家が身近に感じる。

中にいるのだからあたりまえかと思いつつも、なんだか少し……

言葉では表せない、なんだか不思議な気持ちだ。

「もう少し中を見てみようよ」

そう言って彼はどんどん奥へと進んで行く。

慌てて追いかけようとすると、ふと目が止まった。


「この写真……」

何も思い出せないのに、なぜか見ていると胸がぽかぽか、ひりひりする。

特に目に止まったのは、写真に写っている4人のうちの一人――

「――ポーズ」

「ポーズ……父さん、母さん……?」

一気に記憶が戻ってくる。

脳みそがパンクしそうなほどにいろいろなできごと。


ポーズが初めて喋った言葉は「お兄ちゃん」だった。


家族四人で行った海。ポーズはすごく怯えてた。


なんでもない日常。朝ご飯を食べて、ポーズに勉強を教えて、母さんの家事を手伝って、昼ご飯を食べて、ポーズと昼寝して、帰ってきた父さんの肩を揉んで、四人で夜ご飯を食べて、家族四人でベッドの上ぎゅうぎゅうで眠る。

そして――……

真っ赤な水溜まりができるほどの血の上で力なく横たわる両親。


自分に容赦無く斬りかかってくる大人たち。


経験したことの無いような痛み。


泣きじゃくる愛しい弟の姿。


あぁ、そうか、ここは、地獄か。

己の弱さを見せつけられる。

父さんと母さんを守れなかった。あともう少し早く行っていれば。

ポーズを泣かせてしまった。もっと自分が強ければ。

後悔と懺悔。それしかできない。それしか……


「もう、休んでいいんだよ」

ふと、優しい声が聞こえた。


「お兄ちゃんだからって強がらなくていいんだぞ!!」

――母さん。

「完璧な生き物なんていないよ」

――父さん。

「兄さん……ぼくは強い兄さんがすきだ。でも、弱い兄さんもすき。完璧だったら、きっとぼくは兄さんのこと、すきじゃなかった。

おやすみ、兄さん」

――ポーズ………


「ここは地獄じゃない、天国だよ。君はもう十分頑張ったんだ。今はゆっくり眠るんだ」

聞き慣れない、でもとても安心する声が、じんわりと耳に馴染んでいく。

とても心地よい鼓膜の震えを感じながら、俺は眠りについた。あの懐かしいベッドの上で。



「ゆず……ぼくは、彼の役に立てたのかな……」

「ゆず……ぼくは、彼を少しでも幸せにできたのかな……」

「ねえ、ゆず……」



「いつになったら会えるの……?」

君がいない天国なんて、地獄と同じだ。

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