一話 お好み焼き

  一話 お好み焼き


 オカン。

 つまり、母親だ。

 男子や女子が最も劣情を抱かないのが、身内の母親だろう。

 俺も自分の母親で処理をしろとか言われたら「無理」と即答する。

 まぁ、何が言いたいのかといえば。

「オカンー、宿題見せてー」

「オカンいうなくそ沙月! ほら、丸写しすんなよ!」

「あざーっす! はい百円!」

「おう」

 オカン、と他が呼ぶから、モテないのではないか、ということだった。

 ちなみに今のやり取りは宿題ノート、一回閲覧につき百円のこと。

 副業だ。

 こんなもんは個々人の復習を主とし、自分でやらなければ何の意味もないのだが。

 やらないと怒られてしまう。

 学生は暇だが多忙、という矛盾した生き物だ。

 俺も、近所に乱立しているスーパーの特売に目を光らせるために忙しい。

 短縮すべきところは裏技を使うのもあり寄りのあり。

「オカンオカン、今日は何かお菓子ないの?」

「オカンいうな! 焼きチョコ。これは二百円」

「買った!」

 副業その二。お菓子の販売。

 男の手作り菓子なんて正直気色悪いが、何気に好評。

 それを見ていた純一が、手を差し出す。

「ほい」

「サンキュ」

 焼きチョコの入った小さな袋を手渡す。

 俺と純一はあんま金銭的なやり取りをしない。

 宿題も無料で貸すし、菓子も渡す。

 ただ、純一はたまに俺を外食に連れていき、奢る。

 二人の間で、無言の約束だった。

「数学」

「ほれ」

「わりーな、いつも」

「いいって。サッカーがんばれよ」

「おうよ」

 こいつが寝食を忘れるほどサッカーに打ちこんでいるのは知っている。

 だから、夢もない俺でも何か支えられないか。

 そう思ったら、フォローに回っていた。

 それだけの話だ。

 右隣にいる純一が宿題に没頭し、俺はぼんやりと宙を見ていると。

 左から引っ張られた。

 史峰だ。

「今日は特売の日ですよね?」

「おうよ、史峰。草薙先生に冷凍唐揚げは頼まれたんだが、このキャベツひと玉五十九円はヤバい。買えたらお好み焼きだ」

「お、お好み焼き……!」

 口元が緩む史峰は、慌てて表情を引き締めた。

「五月頭だしなー。なんか、こう。辛い物食べたいよな」

「辛いものは……激辛は……その……」

「あ、苦手なのか?」

「カレーは中辛まで美味しく食べれます」

 なるほど、だから前に作った藤堂先輩が要求した激辛カレーをプルプルしながら笑顔で食ってたのか。

 苦手なものでも笑顔で食べるアイドルバリの根性は買うけど。

「なんならお好み焼きも辛くするか?」

「……意地悪です、瀬戸君」

「冗談だよ。豚肉に、紅ショウガに、あ、卵も特売だな。天かすはバイト先のうどん屋でもらうとして……後はちくわだな」

「……」

「どうした、そんな目を丸くして」

「よくスラスラと出てきますね、材料」

「数をこなせば頭に入ってくる。花嫁修業でもしてみるか、史峰?」

「遠慮しておきます。女の子のプライドズタズタにされそうだし」

「まぁ、言ってみただけだ。史峰も、米に洗剤入れて洗うなんて真似はしないだろ?」

「……」

「え、おい。何で目をそらす。マジなの? ねえ、マジなの?」

「の、ノーコメントで」

 ……。

 マジかよ。家庭科仕事しろよ。

「と、ともあれ、買い物はお手伝いします!」

「おう、頼む」



 漫画のような特売の光景というのはどういうものか。

 人が殺到して、人混みが凄くて、まるでモノを売るレベルではないような。

 そんな混雑を思い浮かべるのが多数派だろう。

 けれども、現実はそうではない。

 昼の購買も、特売のスーパーも。

 奪い合いなどなく、恙なく、買い物は行われる。

 特売の店内放送を耳にしつつ、必要な食材はそろう。

 ちなみに、寮母先生の草薙先生は土日以外の朝食を担当してくれている。

 教師の仕事が早く終われば夕食も草薙先生だが、大体は俺が代わりに行っていた。

 少しだがお小遣いももらっている。

「ねえ、聞いていいですか?」

「構わんぞ」

「どうして、家事を?」

「……」

 ……まぁ、気になるよな。

 こいつは遠慮しいだから、一年間言わずに来たのだろうけど。

「俺はだな、他人はどうでもいい」

「はぁ……」

「でも、知り合いはそうでもない。全員アホみてーに幸せになってほしい。でも、そいつらは添加物まみれの加工品で成長期の真っ只中を迎えようとしてやがるんだ」

「あ……」

「だから、だよ。今は大丈夫だけど、その食生活のノックバックはいつか絶対来る。だから、いつもみんな健康でいてほしい。そんだけ」

「……」

「それにどーせなら、美味いもん食わせてやりてーじゃん? だから俺は覚えるし、研究する」

「……。お昼に、言ってましたよね。花嫁修業しないか、って」

「その気になったか?」

「うん。私も、手伝いたいなって思ったの」

「オーケー、生きててよかった! 美少女の手料理食えるなんて!」

「び、美少女ではないです!」

「いいや、美少女だね。お前自分の評価低いみたいだが、謙遜は度を過ぎると嫌味だぞ」

「……は、はぁ」

「よっしゃ、まずはお好み焼きだな。あ、うどん屋に寄って帰るぞ」

「はい!」

 こうして、俺達は料理をするようになった。



 さて。

 とりあえずキッチンに立つ。

 彼女は律儀にもシンプルなエプロンを着けていた。俺はあんま使わん。制服で揚げ物する時くらいか。

「いいか、まず米を研ぐ。残念ながら洗剤の出番はない」

「も、もう……それはいいですから」

「すまんすまん。んで、まずは必要な号数をまぁ一合カップで掘り出していく」

「なるほど。あ、多いですよ?」

「大体でいーんだよ。それに、ご飯がべちゃっとしてたら嫌だろ?」

「……?」

「米が多いと、その分入れなきゃいかん水も増える。だが、水の分量はそのままに、米の分量が多かったら? 自然と吸収する水分は少なく、硬く炊きあがるわけだな」

「べちゃっとしてるのは、水が多いからですか?」

「おう。そのために、炊飯器やガスで炊くやつには印がついてる。でも、注意しなきゃいけないのは新米だ」

「何故ですか?」

「新米は米自体の水分含有量が多い。そのまま炊くと絶対にべちゃっとなる。だから、普通に炊くときは少し水を少なくする」

「な、なるほど」

「まぁ、米の種類にもよるが、ここ福岡で草薙先生の実家から送られてくるのは大体元気つくしだ。こいつは水分が多い。普通に炊くと粘りが出るくらいに。だから、気持ち少な目で炊くぞ」

「分かりました」

「研ぎ方は分かるか?」

「多分」

「やってみな」

 彼女はおずおずと水を入れ始めた。

 ……。

「はい、すぐに水を捨てる」

「え? 浸漬させるのでは?」

「それは研ぎ終わってから。無洗米ならそれでいいかもだが、無洗米にしても一回はすぐに捨てること。ぬか臭くなるぞ」

「なるほど……」

 ざばーと水を流し、そして、押し付けるように研いでいく。

「それもダメ。体重掛けない」

「え? でも……田舎の祖父母は……」

「田舎はどうだか知らんが、最近の精米技術は凄くてな。このままやると米が砕けるんだよ。だから、こう……」

 アイアンクローのように全ての指を立てて炊飯釜に手を突っ込み、右回転。

「と、こんな感じ」

「そんなに雑で大丈夫なんですか?」

「問題ない。十回回したら、更に逆回転で十回。そんだけすれば充分。ほれ」

「うん」

 しゃかしゃかしゃか、と米を研ぎ、水を入れて、流す。

「後は水が濁らなくなるまでやりな」

「はい!」

 三回くらいで、濁りは気にならなくなる。

 ……そんなもんだろう。

「よし。後は底の方をタオルで拭いてから、炊飯ジャーに」

「何故底を拭くんですか?」

「濡れてると焦げ付くから」

「ああ、なるほど……」

「その状態で十五分は置いておきたいな。米が水を吸うまで待つんだ。これが浸漬。待つとこは一時間くらい待つらしいが、んな悠長なことをやってる暇は一般家庭にはない」

「ですね。次は、何をしましょうか」

「肉に下味を付ける。まず、とりだし、塩コショウをして放置。んで、その間にキャベツの千切りだ」

 取り出したるは、丸いキャベツ。

 大きい。味が大味でないといいんだが、まぁ、問題はないだろう。

「まず、水洗いして、半分に切る。んで、四分の一くらいにする。そして、ただひたすら細く切る」

「やってみます」

「おう」

 彼女はぎこちないながらも丁寧な包丁捌きを見せてくれる。

 ……うん。問題ないだろう。

「覚えたか?」

「はい」

「後は俺がやろう」

 スピードは慣れてくれば勝手についてくる。

 あっという間に、キャベツが捌けた。

「ネギは小口切り」

「……すみません、それはどういう切り方でしょう」

「輪切り、の方が分かりやすいか? 細なげー野菜を輪切りで切る時は小口切りだ。なるたけ薄く」

「はい」

 地道な作業が始まる。

 初心者にしては上手い方だ。ちゃんと手に気を付けているし、何より忠実に俺の言ったことを守ろうとする。

 いい嫁さんになりそうだ。

「紅しょうがは、塊買ってきたから荒微塵に。ちくわは縦半分にして半月切りだな」

「え、ええっと……」

 紅しょうがは厚めにスライス。そして重ねて、縦、横に切っていけばいい。

 ちくわは縦半分に切った後、そのまま厚めに切っていく。輪切りでもいいのだが、まぁ見栄えだ。

「よし。んじゃまずは、ボウルに小麦粉をふるいで落とす。それが終わったら、適当に出汁の顆粒入れた水と卵。具合を見て、おお、トロっとしてるくらいで。足りなかったら粉を足す」

「は、はい」

「ぶっちゃけふるいの工程は要らんけどな、おおざっぱに作るんなら。んで、ここで塩を振って肉から染み出た水を捨て、キッチンペーパーを押し付けて表面だけでもいいから水を吸収させる」

「……? どうしてですか?」

「臭みが残るんだよ、後味に影響する。んで、作った液体を一人分を別に注いで、今までの材料をそこにぶち込んで。そして、さっくり混ぜる。混ぜすぎんなよ、硬くなるから」

「はい!」

「んで、熱したフライパンに油を敷いて、豚の薄切り肉を放り込む。大体色が変わったらその上にその一人前を流し込む」

「おおお……!」

「ひっくり返す目安だが、周囲に溢れた液体が固まってきたら、だ。おおよそわかるはずだから、まぁ、中火でそこそこ焼けばいい」

「はい」

 そうして、その時を待つ。

 ……そろそろかな。

「やりたいだろ? ひっくり返すの」

「……う、うん」

「ま、リカバリーは可能だから張り切っていけ」

 意外と思い切りよく。

 彼女はフライパンの上のそれをひっくり返した。

「わ、綺麗……!」

「上手くいったな。火通りが心配なら、ここで蓋をして蒸し焼きにするといいぞ」

「じゃあ、蒸し焼きで」

「おう」

 そして、完成する。

 史峰、メッチャ嬉しそう。写真撮ってるし。

「という感じだ。お好み焼きは理解できたか?」

「うん! じゃあ、今度は私が一人でやってみます!」

「ガンバ」

「と、仲間達……う、ううん、なんでもない……」

「古いアニメ知ってんな……」

「父さんが好きなの……」

「そーか」

 お好み焼きを量産していく史峰。

 一階に降りてきて、驚いたのは藤堂先輩だった。

「なぬっ!? 料理できたの、まなちゃん!? 裏切り者ぉ!?」

「いや喜べよ。美少女女子高生の手料理だぞ、いくらすると思ってんだ」

「はっ、そういえばそうか。ねえ、ちょっと顔写真撮っていい? このお好み焼き顔写真付きで販売してくる!」

「や、やめてください! 私のおこたろうを持っていかないでください!」

「おこたろうってなんだよ」

「このお好み焼きの名前です」

 うわぁ、俺がお好み焼きなら自殺してしまいそうな安直なネーミング。

「でもこれ、食べなきゃでしょ? 誰が食べるのさ」

「私が食べます」

「え!? おこたろう、ママに食われんの!? エグくね!?」

「せ、瀬戸君、それは言わない約束じゃないですか!」

「そんな密約交わしてたっけか!? おい!?」

「ふむ、さらばおこたろう。頑張れおこたろう」

「そして嫁が焼きあがったぞ」

「嫁さんなんていうの?」

「ミシシッピ」

「まさかの国際婚!?」

「突っ込むところそこなんですか!?」

 というわけで。

 おこたろう、ミシシッピ、ダンディ吉岡、レミゼラブル、ロンダー君の約五枚のお好み焼きは、全員の腹の中に消えていった。

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