電子ジジイは死んでしまった


 笹山電吉ささやまでんきちが死んだ。


 おじいちゃんの訃報を受けたのは夏休みに入って一週間目。そろそろ本気を出してきた夏の暑さから逃げるようにエアコンの効いたリビングでゲームをしていた時だ。


 夏休みの家族旅行の予定は急遽変更された。通夜と葬式のために母の実家へ一週間ほど行くことになる。県を五つも跨ぐ大移動だ。


 おじいちゃんの葬式だと言うのに変な話だけど、小学四年生だった僕は何か新しい冒険が始まる予感に胸がドキドキした。


 二年半ぶりの母の実家。港のすぐ側だが近所にコンビニもあるそこそこ栄えた漁港町。海が広く望める高台に祖父の家はある。


 母も母の姉妹たちも葬式の手筈でやたら忙しそう。かと言って小四の僕に葬式の手伝いなどできるはずもなく、何もやることがなくてエアコンの効いた奥の座敷で持ち込んだ携帯ゲーム機で一人遊んでいた。


 結局、昨日までの夏休みと変わらないじゃないか。


 電吉おじいちゃんには申し訳ないが、周りに友達もいなくて遊び場も知らず、これは退屈な夏休みの一週間になるな、と半ば諦めかけていた。その時だ。


「ねえ、スーファミのエミュで遊んでるの?」


 冒険の予感は突然やって来た。


 葬式らしく黒い服装に身を包んで深みのあるアニメ声で、たしか将来は声優になるとか言ってたような、従姉妹の笹山南萌ささやまみなもが予感を連れて僕の前に舞い降りた。




 僕の心臓はドキドキと暴れっぱなしだ。


 漁港の匂い、船の音、親戚の家という慣れない環境。ただでさえ非日常の夏休み期間に訪れた特別な一週間。おじいちゃんの葬式が醸し出すどこか神聖な儀式感のある雰囲気に包まれて。


 まるで異世界に紛れ込んだみたいな空気感だ。


 ここはおじいちゃんの葬式が舞台の異世界。僕は異世界に転生した勇者の小学四年生。異世界転生勇者に付き物は、そう、アニメ声が素敵なヒロイン。


 僕の目の前に舞い降りた一人の女子中学生。小学四年生の僕からすれば、礼服っぽい黒の装いの中学三年生はとてもおとなびて見える。


 前に会った時は従姉妹の南萌姉みなもねーちゃんもまだ小学六年生だったはず。僕は小学一年生で、従姉妹のお姉ちゃんに女の子だって意識はまったく持っていなかった。手を繋いで、もらったお年玉でコンビニへお菓子を買いに連れてってくれたものだ。


 それがもう目の前にいるのは大人の女の人だ。温かくて柔らかい手で僕の手を引っ張って、しれっと二人で葬式の準備を抜け出す。


 そのまま一緒に手を繋いで歩き、すぐ近所の、おじいちゃんが働いていた笠子崎かさござき漁港市場の真ん中を突っ切っていく。


理来りくくんはRPG得意だよね?」


 謎の決め付け。南萌姉ちゃんは大人の人たちが働く漁港市場を堂々と歩いていく。見たこともない余所者で、小学四年生の僕はこの市場では特に目立つ。


「普通に遊ぶくらいだよ」


 異世界転生勇者ってこんな気持ちなんだろうか。僕は異物だ。大人の人たちがじろじろ見る。


「じゃあ手伝って。この世界が壊れるのをあたしと一緒に防ぐの」


 ますます異世界転生勇者だ。南萌姉ちゃんはようやく僕の方を振り向いてくれた。大人っぽいシャンプーの香りが魚臭い市場の通路にふわっと漂う。


「意味がわかんない」


「大丈夫。おじいちゃんが教えてくれる」


 自信あり気に頷いてショートボブの前髪を揺らす。南萌姉ちゃんはまるで自分自身に言い聞かせてるみたいだ。


「おじいちゃんって、電吉おじいちゃん?」


「そうよ。電吉おじいちゃんはね、この辺の子どもたちに電子ジジイって呼ばれていたの」


 漁港市場の一角、笹山商店と看板が掲げられたブースに僕を引き摺り込む。


「電子ジジイ?」


「この辺の少年少女探偵団のボスみたいなものよ」


 南萌姉ちゃんはキョロキョロと注意深く辺りを見回して、と言っても隣の魚屋さんが訳知り顔でニコニコ見送ってくれてるが、後ろ手に事務所っぽい扉を閉めた。


「ここが電子ジジイの秘密基地よ。作戦本部と言ってもいいわね」


 驚いた。漁港に水揚げされたお魚を売ってる商店のはずが、事務所にはゲーミングPCが何台も並んでいて、しかもどれも稼働中だ。青白くフィンフィン光ってる。


「何これ? 電子ジジイの秘密基地って?」


「電子ジジイは電脳サブリメイションしたの。病気で死んじゃう前に電脳世界に自分をコピーして、そしてたった一人でこの世界を守ってる」


 電脳サブリメイション。たしか、2030年頃に確立された電子技術だ。擬似人格ストラクチャーとも言われている。AIによる人格外部記録で、まるで本人と会話しているかのようにAIが返答してくれるシステム。電吉おじいちゃんがネットの世界に自分のコピーを残したって?


「詳しくは電子ジジイに聞いて」


 南萌姉ちゃんは事務椅子に座ってくるりと僕に背を向けた。それが合図のようにゲーミングPCたちがピカピカと明滅して、真っ黒だったディスプレイに光が灯る。ゲーム画面のようだ。


「おじいちゃん?」


 そのディスプレイの点滅が、説明のしようがないけれども、何ともおじいちゃんっぽかった。新感染症対策で二年以上直接会うことはなかったけど、ビデオチャットで何度も何度も喋ってるからわかる。このPCの中におじいちゃんはいる。まさしく電子ジジイだ。


 画面のゲームはレトロ感たっぷりのRPGのフィールド上だ。ドット絵がけっこう細かく色使いもきれい。僕の携帯ゲーム機で遊べるスーファミのゲームレベルだ。


 ゲーム画面に一人、デフォルメされたドット絵のキャラクターが現れた。ドットで構成された文字が画面に並ぶ。ご丁寧にピコピコ音付きで。


『おお、勇者理来よ。よくぞ来たな! 遠かったろう。新幹線は楽しめたかい?』


 ドット絵のゲームキャラクターがまるでディスプレイ越しに僕を見ているようだ。その喋り方は、まさしくチャットの時のおじいちゃん。


「そのキャラが電脳サブリメイションした電子ジジイよ」


 事務椅子にあぐらをかいて座る南萌姉ちゃん。黒いスカートから白い太ももがちらりと覗く。僕は目のやり場に困り、ただディスプレイのおじいちゃんキャラに注視するしかなかった。


『いやあすまんな。おじいちゃん、死んじまった。もっとネット対戦したかったな』


「おじいちゃんなの? このPCのハードディスクにいるの?」


 思わずディスプレイに話しかけてしまう。それくらい普通におじいちゃんな話し方だ。


『おお、そうだよ。さすがにメモリーが足りずに何台も並列処理させてるがな。南萌に頼んだんだ。なかなかやるぞ、この子は』


 南萌姉ちゃんが事務椅子の上で肩をすくめて見せる。


『もっと話したいが、事態は急を要する』


 ゲーム画面が切り替わった。僕と南萌姉ちゃんっぽいドット絵のキャラクターが登場し、魚市場っぽいエリアの事務所っぽい小部屋にいる絵が見えた。


『南萌と一緒にこのゲームをプレイして、世界を破滅から救ってくれんか?』


「電子ジジイがいろいろヒントをくれるの。でもあたしじゃさっぱり。この町が舞台になってるっぽいけど、あたしレトロRPGやらないからわかんないのよ」


 この町は僕にとっては異世界だ。おじいちゃんの葬式にやってきた転生勇者みたいなものだ。僕だって何が何だかさっぱりわからない。


 電子ジジイは秘密めいた言葉使いで僕と南萌姉ちゃんに言う。


『まずは北の祠へ行くがいい。家の裏山の作業小屋だ。そこに財宝を隠してある。おじいちゃんのへそくりだ。それで装備を整えるんだ』


 南萌姉ちゃんがぴくっと反応した。何かを思い出すように右上を睨みつけて考え込む。心当たりがあるのか。


「南萌姉ちゃん、行ってみようか?」


 僕は携帯ゲーム機を取り出して、南萌姉ちゃんはスマホを用意して、電子ジジイのゲームの一部をダウンロードした。これでいつでも端末から電子ジジイとお喋りできる。


『さあ行け、勇者理来よ。勇者南萌よ。電子ジジイと一緒に世界を守るのだ!』


 夏休み。おじいちゃんの家。おじいちゃんの葬式。久しぶりに会う大人びた従姉妹。すべてが僕にとって特別な世界だ。


 ここは異世界。僕は転生勇者。ヒロインは南萌姉ちゃん。とっておきの一週間の冒険が始まろうとしている。

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