標本僕
気象庁の選定により、僕は今期の
確率的には雷に撃たれるくらいにSSレア級なことらしい。それが最高に幸運なのか最悪に不幸なのかはまだわからないけど、これから一年間は何をするにしても暇を持て余したマスコミに注目されて、その一挙手一投足が標本的行為としていちいち気象庁によって発表されることになる。
同じ超低確率なら宝クジにでも当たってくれればよかったのに。よりによってこの僕が標本僕だなんて。
標本僕ってのは、要はアレだ。気象庁が桜の開花宣言をする上でつぼみの咲き具合を参考にする木、それが標本木。その人間版が標本僕だ。僕のありとあらゆる旬な行動がそれを行う時期の基準として宣言されてしまうのだ。
たとえば、お正月。今年初めてお餅を食べた時に全国的に「餅初め宣言」が発表された。今年の餅初めは初日の出直後で例年に比べて記録的に早い、と世間ではわりと不評だったようだ。そんな朝早くから餅が食えるかって。僕としては別に記録を狙ったわけではないのに、仕方がないが、それが標本僕の仕事なんだと納得するしかない。
わずかに降り積もった雪でミニチュアサイズの雪だるまを作れば「雪だるま建立宣言」が気象庁により発表され、それを待ち浴びていたのか、子どもたちが次から次に小さな雪だるまを作り始めた。
不覚にもインフルエンザに罹患した時は「インフルエンザ流行宣言」が発表。全国区で手洗いうがいを徹底するよう注意喚起が促された。別に僕がインフルエンザに罹ったからって、まるで僕のせいで病気が流行してるように思えてしまう。標本僕だからしようがないけど。
いつもよりずいぶん早く花粉症かなってくしゃみをした時には「花粉飛散宣言」が発令された。僕のくしゃみを皮切りにみんな一斉にマスクを装備して、天気予報では花粉飛散予報が始まった。恨めしそうに標本僕の僕を見つめる花粉症に苦しむ人々。別に僕が花粉をばら撒いているわけではないのに。ただ、くしゃみを三連発しただけなのに。
みんな少ない雪を集めて泥まみれの雪だるまを作り、時すでに遅しかもしれないけどインフルエンザ予防接種を受けたり、花粉症の抗アレルギー薬を買いに走ったり。今年ももうそんな季節か、と僕の一挙手一投足に注目が集まる訳だ。
みんなも知っての通り、標本僕に選ばれてしまってはプライベートなんてなくなってしまう。何から何まで気象庁の標本担当官や暇でしようがないマスコミに四六時中観察されてしまうのだ。
だからと言って悪いことばかりじゃない。
新しいムーブメントを創り出したいアパレルメーカーさんが新作サンプルをたくさん送ってくるのだ。これはうれしい。かなりうれしい。
さまざまなブランドが毎週のように新色の服を送りつけてくれる。僕がこれに決めたって選んで着れば、標本僕が身に付けた「春の流行カラー宣言」ってみんなに知れ渡る。下手なファッション雑誌に特集組まれるよりも宣伝効果があるらしい。残念ながら気に入らずに送り返されたメーカーのデザイナーさんはまた来年頑張ってください。というわけで、この春の流行カラーはオレンジ色にライトグレーのラインが入ったアウターだ。
映画なんかも洋画邦画問わずに見放題、小説や漫画も読み放題だ。試写会に招待されたり、サンプルDVDをもらえたり、電子書籍版を無料でダウンロードできるアカウントがもらえたり。量が多過ぎて視聴する時間がなくなるくらいだ。
「標本僕が泣いた宣言」は「全米が泣いた」に匹敵するほどの集客効果があるキャッチコピーなんだとか。面白かった小説とか漫画も「最新巻読了宣言」ってSNSで拡散されてたちまちベストセラーになる。興味が湧かなかった作品の関係者の皆様、ごめんなさい。しようがないよね、標本僕だもの。
標本僕の評価は何も宣伝効果ばかりじゃない。面白さがまったくわからなかったスマホのソシャゲなんて、悲惨なことに何の宣言も出されず配信開始後たった一ヶ月でサービス終了してしまったりもする。
標本僕である僕に評価を求めるのも、結局は僕自身の好みの問題になってしまいどっちに転ぶかわからない。まさに諸刃の刃といったところか。
そして、標本僕が受ける最大の恩恵は何と言っても「食」だ。季節ごとの旬な食材が毎日のように送られてくる。農家さん、漁業関係者さん、お菓子メーカーさんから、果ては海外食品輸入メーカーさんも、うちの四人家族では食べ切れないほどの食材を送りつけてくる。あまりに量が多くてご近所さんに配ったりするくらいだ。
僕が標本僕になってからというもの、我が家では食費がまったくかからなくなったって母さんが大喜びしてる。新鮮な旬の食材を前に料理のしがいがあると大張り切りだ。『標本僕の弟を持つ姉』なんてアカウントで料理画像を上げてる姉さんがSNSで軽くバズってる。こっちはネットで標本僕特定されて身バレ顔バレしてるってのに呑気なものだ。
先週は新たまねぎがすごく美味しくて、ツンとしたたまねぎの辛みが香るくせにみずみずしい甘さがあって、かつお節とポン酢をぶっかけておかわりして食べたし。「新たまねぎポン酢宣言」が発表されたくらいだ。
昨日は「新じゃがバター宣言」が発表された。朝一でスーパーの売り場から新じゃがいもとバターが消えてしまったらしい。皮まで美味しいほっくほくのじゃがバターにはよく冷えた牛乳が合うって言っとけばよかったかな。牛乳酪農家さんが喜んだだろうに。
今日は新物の春キャベツが届いたって母が喜んでた。新キャベツは甘みがしっかりしてて歯応えがパリパリで美味しいから、母さんの得意なグレープフルーツとマヨネーズで和えたキャベツサラダになるらしい。「キャベツとグレープフルーツ宣言」が出されるだろうな。グレープフルーツ、買い占めとけ。
そんな世間マスコミの注目を集める標本僕な僕だが、桜の開花宣言が待たれるこの季節に、絶対にやっておかなければならないことがあった。
事と次第によっては、日本中の男たちに勇気を与えることになるか、はたまた絶望の淵へ突き落とすこととなるか。大袈裟に言って日本経済を揺るがす結果にだってなりうる挑戦をしなければならない。
桜の季節。高校を卒業して、お互い別々の大学へ進学することとなる片思いの女子への告白だ。
桜の開花宣言の基準となる標本木がある靖国神社に彼女を連れ出して、標本僕である僕は桜の標本木の下に立った。
大振りな桜の枝にはつぼみが大きく膨らんでいて、気の早い数輪の花が開いていているくらいで開花宣言はまだ出されていない。
マスコミ各社が桜と僕に、標本ボクに注目する中、僕は彼女に告げた。
「これから、別々の大学へ通うことになるから、なかなか会えなくなると思う。だから、今、言っておきたいことがある」
彼女もなんとなく状況を察したようで、少し俯いて僕を上目遣いに見つめてくれた。
マスコミのテレビカメラも朝の情報番組でよく見る気象予報士たちも、ちょっとは気を利かしてくれてるつもりなのか目線は頭上の一輪の桜に向けている。耳はしっかりこちらを捉えているんだろうけど。
「今年の桜はまだ咲いてないけどさ、また来年、一緒に桜の開花を見に来れるような、君とそんな友達になりたいと思う。僕と、付き合ってください」
彼女はほんの少しだけ困ったような顔をして、それでも、桜の花が咲くよりも早く返事をくれた。
「えっと、ごめんね」
ああっ、と標本僕担当官や気象予報士たちがため息に似た吐息を漏らした。
「……来年も友達、じゃなくて、二年後、三年後、それから先もずっと一緒に桜を見る彼氏彼女の関係の方がいいな、私は」
おおっ、と桜の木の下に抑えめの歓声が上がった。
即座に気象庁の標本僕担当官による標本僕の開花宣言が発表された。桜の標本木より一足先に、標本僕である僕に春がやって来た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます