告白ドラゴンスープレックス
竜が卵から孵った。
それも、よりによって僕の自転車の前カゴの中でだ。
厄介なことになりそうだ。僕は途方にくれた。こんなところを誰かに見られたら、校則違反の無届自転車通学がバレてしまう。
校舎の裏山。生い茂る木々のせいで視界が遮られる旧部室長屋の一角。枯葉が敷き詰められて鳥の巣状態になったカゴの中に、澄んだ紫色した竜の仔が一頭。卵の殻の中から首を伸ばした竜の仔は、ぷかっとあくびをして金色の目で僕を見た。
野生の竜が打ち捨てられた人間の建築物に卵を産んだ事例があるって、何か自然史系の雑誌で読んだことがある。森に違法廃棄されたピックアップトラックの荷台を巣にしてしまったアメリカモスドラゴンとか、幽霊が出ると噂される郊外の廃病院に群れでコロニーを作ったブリテッシュペンドラゴンとか。こいつは、色合いからして日本固有種のコムラサキヒメリュウだな。
それにしても、高校の裏山にまだ野生の竜が棲んでいたとは。生まれたての竜の仔なんて初めて見た。
竜の仔は自分が出てきた卵の殻をパキパキと噛み始めた。食べる気だ。乳白色と薄紫のまだら模様の卵の殻は食欲旺盛な生まれたての仔竜にあっという間に食べ尽くされ、コイツは満腹になったのか、僕を見上げて「キイ」と鳴いた。
そういえば自然ドキュメンタリー番組で観たことがある。竜の仔は生まれてすぐにインプリンティングする。最初に見た動くものを親だと思い込む、鳥類の雛に見られるあの刷り込み現象だ。
長い首に不釣り合いなトサカの生えた頭をふるふると振って、薄紫色した背中の翼でパサリと羽ばたき、竜の仔は僕を見つめてもう一度「キイ」と鳴いた。
ほら。厄介なことになってきたぞ。竜の仔のくりっとした金色の瞳に僕の顔が映っている。ナウ・インプリンティングってとこか。
竜は基本的に寿命が尽きるまで死なない生命力が強い動物だ。自動車と事故を起こしても怪我をしないほど強靭な肉体を持ち、そして病気とも無縁の生命構造をしているとか。自然ドキュメンタリー番組が言ってた。その寿命も人間以上に長い。だから繁殖スピードは恐ろしくゆっくりで、長い生涯に産む卵の数もごく少数なはず。個体数の少ない種類の竜の卵が発見されるなんてレア中のレアなケースだ。それをよりによって、僕の自転車の前カゴに産み落としてくれるなんて。
さて、僕をその生まれたての脳みそにインプリンティングしているコイツをどうしようか。
「津島くん。何してるの?」
と、考えあぐねている僕に、不意に背後からこっそりと呼びかける低い声があった。うわっ。早速誰かに見つかってしまったか。僕は竜の仔を背中で隠すような格好で慌てて振り返った。そこに立っていたのは、クラスメイトの羽藤笑子。
「何って、帰ろうとしてただけだよ。羽藤さんこそ、こんなとこで何を?」
羽藤笑子は名前の通りによく笑う子だ。いつもの可愛い笑顔で、女子の割に背の高い彼女は僕の背後を覗き込もうと爪先立ちで背伸びしてる。背伸びのせいで僕よりも背が高くなっているんじゃないか。合唱部でもよく響くアルトの声で僕を飛び越えて背後に話しかけてくる。
「ふうん、こんなとこに自転車を隠してるんだ。津島くんって自転車通学組だっけ?」
「そこは見なかったことにしてくれると嬉しいんだけど」
生まれたばかりの竜の仔を見られまいと変に身体をねじって前カゴを隠す僕と、何故かぐいぐいと前に乗り出してくる羽藤さん。
「えー、どうしようっかな。口止め料としてたい焼きでも要求しちゃおうかな?」
そんなので良ければ何匹でも食べさせてやるし、羽藤さんとのたい焼きデートもしてみたいけど、それは今じゃない。
「駅前のたい焼き屋にはまた今度行くとして……」
「キイ」
しかし、僕の代わりに竜の仔がたい焼きデートの返事をしてしまった。前カゴから這い出て僕の背中をよじ登り、長い首をしならせて大きなトサカと金色の大きな目をひょいと覗かせる。
「何、この子」
意外にも羽藤さんはそれほど驚かず、ニコニコした笑顔をさらにくしゃっとさせて竜の仔に手を伸ばした。竜の仔は羽藤さんのはしゃいだ声にびっくりしたように僕の首にすがりつき、鋭くも柔らかい爪を突き立ててくれる。それを追いかける羽藤さんの細くて長い腕。ふわっと彼女の制服の袖が僕の頬をくすぐった。
「きれいな紫色。生まれたの?」
「うん。どうやら裏山に棲んでるコムラサキヒメリュウが僕の自転車のカゴに卵を産んだみたいなんだ」
見つかってしまったからにはもう正直に言うしかない。それに羽藤さんの笑顔の前ではどんな嘘も無効だ。
「竜の赤ちゃんなんて初めて見た。かわいいね。で、津島くん、この子どうするの?」
それだ。もしも誰にも見られなかったら、竜の仔を山に放して逃げるって手もあった。たとえ刷り込み現象で僕を追ってきたとしても自転車で全速力で走れば振り切れただろうし。それに山でも海でも砂漠でも、食物連鎖の頂点に君臨する最強生命体の仔だ。どこでも親なしでも生き抜けるはずだし。
それでも、羽藤さんに見つかったってのが大きい。目撃者は消すか。いやいやまさか。僕としては、男として、彼女にいいところを見せたいじゃないか。せっかく羽藤さんと二人きりでおしゃべりするチャンスなんだし。
「キイ」
ああ、おまえもいたな。竜の仔は羽藤さんの指先を鼻で突いて小さく鳴いた。
「どうしようか?」
「希少動物保護条例ってあるでしょ? もし刷り込み現象済みだったら、個人でも竜を保護飼育できるはずだよ。市役所に届けを出さなきゃなんないけど」
「羽藤さん、詳しいね」
「そりゃ、まあね」
羽藤さんは僕の首にしがみついている竜の仔の鼻先を細い指で柔らかく撫でた。竜の仔は彼女の指の匂いを嗅いで、これは食べ物じゃないと判断したのか、じゃれつくように透き通る紫色のトサカを擦り付けた。
「人間に懐いちゃった竜の仔は動物園とか、大学の研究機関に預けるって選択肢もあるけど、やっぱり僕が飼わなきゃダメかな」
「どうだろ? この子もすっかり津島くんを親だと思ってるみたいよ」
「そのようで」
指の匂いを嗅ぐのに飽きたか、竜の仔は羽藤さんから逃げるように僕の背中に張り付いて、でもやっぱり彼女に興味があるのか、長い首だけは羽藤さんの方に向けていた。
「白と薄紫のきれいなまだら模様の卵だったからね。やっぱり翼も薄紫色してる。きれいなコムラサキね」
羽藤さんは低い声で笑って言った。そんな彼女の言葉が僕の猜疑心にちくりと突き刺さった。そうか。そういうことか。竜が自転車の前カゴに卵を産むなんておかしいと思ったよ。
「ちょっと待て。羽藤さん、君が犯人か」
「ええっ? な、何のこと?」
あきらかな動揺を見せる羽藤さん。
「卵の殻はさっきコイツが全部食べちゃったんだ。一欠片も残さずに。なのに何故、君は卵の色を知っているんだ?」
「それは……」
口籠る羽藤さん。
「君は卵の色を知っていた。つまり、君が僕の自転車に竜の卵を置いたんだな」
「……はい」
羽藤さんの笑顔が消えて、しゅんとして背の高い身体が一気に小さく見えた。
「裏山にコムラサキが棲んでいるのは前から知っていたの」
自分が呼ばれたと思ったのか、コムラサキヒメリュウの仔は僕の頭によじ登り彼女へ長い首を伸ばした。
「竜探しの探検してたら山の中で卵を見つけたんだけど、あたしじゃ竜は飼えないから。あたしんち犬がいるし。津島くんならきっと育ててくれるって思って」
「僕が自転車をここに隠してるって知ってたの?」
「うん。知ってた。でもまさか、こんなに早く孵化するとは思わなかった」
「こいつ、どうする?」
「あたし、津島くんと一緒にこの仔を育てたい!」
羽藤さんは顔を赤くして、きっぱりと言い切った。竜の仔はそれに応えるように差し出された彼女の指を甘噛みした。
そうですか。そう言う作戦か。
笑子さんの真っ赤な笑顔を見てたら、希少動物保護条例とかどうでもよくなった。
「餌代、協力してくれよ」
「もちろん!」
「で、竜の仔って何食べるんだろ」
「あたし知ってるよ。卵の殻」
「マジか。安っ」
竜の仔はお腹空いたと言うように、また「キイ」と鳴いた。
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