フーコーの女子高生 メタ認知ルビロストシンドローム
旧マグナ・カルタ暦765年。
後の世に夢見戰と呼ばれる二百年続いた第十七代戦争。熾烈を極めた戦いに疲弊しきったウォーデンメリア竜制公国は太古より受け継がれる召喚術を展開した。それは異世界から戦争請負人を召喚する禁忌の法術。
絶対の戦争請負人の召喚により、ガヰヱスガルド機鋼帝國との第十八代戦争の火蓋が切って落とされることとなるとは、まだ誰も知らなかった。ただ一人、隻眼の占い師の少女を除いて。
一方その頃、ショッピングモールのフードコートではそれぞれ別の高校に通う三人の女子高生が好き勝手におしゃべりの花を咲かせていた。
♢
フードコート。それは歴戦の勇者でさえ命を散らす戦いの場なのだ。
ある者は身体を蝕むほどの空腹を癒すため。ある者は弱き意思が付き纏う勉学に勤しむため。ある者は耐え難き孤独を紛らわすため。ある者は絶対の友よ健やかなれと語らうため。
フードコートに集い、満たし、争い、散りゆく。
フードコートは兵どもの夢の跡。
フードコートは戦いの場なのだ。
♢
アンチプロレタリアート派の台頭により、人民は知識と教養があって然るべきとの大前提の下で厳しい言語統制が実施された。そして、すべての言葉に振り仮名付けが禁止され、ルビが消失した。そんな言語の冬の時代、とあるフードコートにて。
「めぐちゃんってさ、実は豚汁派? それとも内緒で豚汁派?」
月見月はぷりぷりしながら言った。
いったい何を言ってるんだこいつって蔑んだ目をして、めぐは栗毛色した長い髪をかきあげた。
「豚汁派だけど、それが何?」
「だよねー。やっぱりそうだ。じゃあじゃあ灯子ちゃんは? 正当豚汁派? それとも隠れ豚汁派?」
質問の矛先がいきなり自分に向けられて、心の準備が整ってなかった灯子は眼鏡を直しながら吐き捨てるようにぶっきらぼうに返事をした。
「豚汁」
「おおっと、イメージと違うわ。灯子ちゃんって意外とアグレッシブ?」
うららかな昼下がり。某ショッピングモールのフードコートはそこそこ賑わっていた。その一角、四人掛けテーブルに陣取るそれぞれ違う制服の女子高生が、三人。
「そう言う月見月はどうなの?」
めぐはフライドポテトを口にくわえて、片肘をついてめんどくさそうに聞いた。月見月はめぐと灯子が座るテーブルにミニ牛丼と豚汁セットを置いて、ポニーテールにした黒髪を躍らせてすとんと座った。
「今さ、豚汁セット頼んだら店員に『豚汁セットですね?』って言い返されちゃってさ。こっちも意地になって、いいえ、豚汁セットですって言ってやったのさ」
「何その店員。教育なってないわー。ネットに晒しあげとく?」
めぐが月見月の話に乗ってきた。だよねー、と月見月は少しだけ嬉しそうに笑う。
またいつものことか。灯子はやれやれとベリーショートの髪を撫で付けるように触れて、カフェオレのカップを傾けた。てゆーか、自分が隠れ豚汁派だったことが驚きだ。
「どっちでも構わない。豚汁だろうが、豚汁だろうが」
しかも隠れ豚汁というパワーみのあるワードセンスがちょっと嬉しい。でもそれは隠す。隠れ豚汁派だし。
「構わなくない!」
めぐはフライドポテトを勢いよく噛みちぎり、その見事な断面を灯子に見せ付けるように突き出した。
「アンチプロレタリアート派のせいで私たちは言論の自由を奪われたの。おしゃべりの自由が死ぬか、あいつらが死ぬか。すでに言葉の戦争は始まってるの」
灯子は眼鏡の奥に光る切れ長の目でめぐを見つめて、つと腰を浮かせ、突き出された食べかけのフライドポテトをぱくりと口に含んだ。めぐの指先ぎりぎりに、灯子の薄い唇が触れるか触れないか。
「そこイチャイチャしてんじゃねーよ。それにSNSで炎上させようにも、店員のネームプレートが読めなかったのさ」
月見月は不貞腐れて豚汁を(あるいは豚汁を)ずずっと啜った。
「読めなかったって?」
めぐが新しいフライドポテトをつまむ。月見月はそれを見届けてからもったいぶって答えた。
「東の海に林と書いて東海林」
「出たよ。謎の当て字苗字。どこをどう捻くれたら東海林が東海林に読めるわけよ」
全国の東海林さんを敵に回す発言をしためぐ。フライドポテトをぱくりと。
「東海林って、東海林さん? 東海林さん?」
灯子が片肘をついてカフェオレを舐めるように飲みながら、どっちでも良さそうな平坦な口調で聞いた。
「だから東海林だってば。東海林だとしてさ、東海林のどの漢字がちっちゃい『よ』を担当してんのさ」
「『ょ』は東海林の『ょ』でしょ」
「それをどうやって発音すんのさ」
「『ょ』」
「うわー、こいつモヤモヤするー! モヤるわー!」
フライドポテトをもぐもぐやりながら、じゃれ合う子猫たちのような月見月と灯子にめぐは言ってやる。
「モヤるって、あんたの『富士見月見月』って名前だって立派な初見殺しネームじゃん。初めて名前知った時モヤったわー。どこまで苗字でどこからキラキラネームなのよって」
急にモヤり攻撃の対象が自分になってしまい、月見月は牛丼を食べるのも忘れて慌てて反撃する。
「モヤりませーん! フジミツキミヅキちゃんは全っ然モヤりませーん! gif動画くらいモヤりませーん!」
「gif、がどうかしたの?」
話を反らそうとしてるな、と直感するめぐ。あまりに必死で可哀想になりそっち方向に乗ってやる。
「うん、うちのお兄ちゃんネット詳しいからさ、gif動画ってギなのかジなのか聞いてみたのさ」
「どっちでもよさそうだけど、どっちなの?」
「gif動画って実はgif動画って読むんだってさ。スッキリしたわ」
全然スッキリしないめぐと灯子であった。かえってモヤり指数が上がってしまう。
「もはや魑魍魅魎レベルね」
「何が魎魑魅魍なのさ?」
「魅魑魎魍でしょ?」
「魑魍魑魍だよ?」
「魅魑魅魑」
「魎魎魎魎魎」
「文字数違うじゃん」
めぐと灯子がまたイチャつき始めた。
「もう、ふざけないで。正当豚汁派としては、すべてはルビ禁止令を制定したアンチプロレタリアート派が悪いと断言したいの!」
「アンチプロレタリアート派と言えば」
相変わらずテンション低めの灯子が腰を浮かせて力説する月見月の肩に手を置いた。
「『僕の僕になりなさい』って台詞の使い所が難しくてモヤったわ。アンチプロレタリアート派に使ってやりたい台詞よ」
「何よ、そのトゲのついた鈍器みたいな台詞は」
ボーイッシュな灯子は眼鏡越しの目力でめぐのつっこみを黙殺する。
「僕の僕の僕って単語の代わりに下僕って言葉を使用したら事なきを得たけど」
「そのパワーワードはどんなシチュエーションで使う台詞なのさ」
「知りたい?」
「う、やめとく」
月見月の追撃も灯子には及ばなかった。にっこり、切れ長の目を細めて灯子は満足げにカフェオレに口をつける。
「下僕で思い出したけど、こないだ下僕のパパと茨城の大洗に行った時に……」
「きっ!」
めぐの隣のテーブルに座ったくたびれた中年サラリーマンが突然叫んだ。思わず身体を震わせて言葉を飲み込んでしまっためぐ。月見月も灯子もびくっと隣のテーブルを凝視する。
「いばら、きっ!」
中年サラリーマンはもう一度言い切った。相当後退した乱れる前髪を斜めに整えて、三人の女子高生の方をちらりと見もせずに冷めきったかけうどんを力なく啜る。
「何で平日の午後にサラリーマンのおじさんがフードコートでうどん食ってるのさ」
月見月がささやくような小声でめぐに耳打ちした。
「茨城でも茨城でもどっちでもいいじゃん。県民風情がフードコートで何してるのよ」
全茨城県民、いや、全茨城県民を敵に回しためぐ。
「まさか、アンチプロレタリアート派の県民?」
灯子が切れ長の目でじっとりとサラリーマンを見つめて言った。
「妄想の中で、僕の僕にしてあげる」
「灯子、あんなおっさん相手に腐っちゃダメ!」
「灯子ちゃんがお腐れ様になっちゃう!」
めぐと月見月が暴走を始めた灯子を抑えた。ふと、我に返ったように切れ長の目で大きく瞬きをした灯子は、こんな腐りかけの自分に真正面から向かい合ってくれるめぐと月見月に静かに告げる。
「こんな狂った世界でも、ルビを呼び出す方法がたったひとつだけあるの思い出した」
めぐと月見月が顔を見合わせる。この狂った世界を救うたったひとつの冴えたやりかたって?
灯子はとうとうと謳うように透き通った声を紡いだ。
「我が右手は銀雪、我が左手は烈風。御魂の契約に基づき、絶対零度の枷となれ!
灯子は右手を高く振り上げて、左手を薄い胸の前に掲げて謎の呪文を唱えた。
「ルビが……!」
「振られた……!」
灯子の言霊にルビが舞い降りた。アンチプロレタリアート派により虐げられ歪められた歴史の中、清らかにどす黒い少女の力によって、今ここにルビが復活したのだ。
しぃん、と静まり返るフードコート。まさに絶対零度の枷がすべてを凍て付かせたように。
眼鏡を外して白い両手で顔を覆い尽くし、細い身体をぷるぷると震わせて、灯子は消え去りそうな声でささやいた。
「ワタシヲ、コロシテ……」
「もういい、もういいよ。灯子」
めぐが灯子の震える肩を抱く。
「灯子ちゃんは立派に戦ったよ」
月見月も灯子とめぐを抱き締めた。
♢
フードコートの三人組、彼女たちのアンチプロレタリアート派との戦いはまだ始まったばかりだ。
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