第77話与えられたもの失ったもの2(朱明視点)

「くうう、このもどかしい気持ち!どうしたらいいんだよ!」


「知らないわよ」


「言いたいんだよ!もうなんか全部話して楽になりたいっての!でもあの子の頼みだしさ」


「そう、話してないの。兄さんなりに我慢してるのね」




 複雑に入り組む部屋の配置のせいで、それらを繋ぐ回廊には死角ができる場所があった。


 たまたま聞こえてきた翆珀と白麗の会話に、俺は壁に背を凭れさせた。




「そういう白麗は朱明に話さないのか?」


「話すわけないでしょう。私、あの子嫌いだもの。朱明様も元のあの方に戻れたのだし、このまま黙っていればいいのよ」


「白麗、朱明本当に元に戻ったと思ってる?」




 白麗は答えなかった。


 つまり俺は、傍から見ても分かるぐらい変わったということか。




 俺の何が、変わった?




 自分の思考なのに疑問を感じる。なぜそんなふうに考えるのか、自分でも理由が分からない。




 会話からすると俺の記憶の欠如は、やはりあの娘によって為されたことらしい。


 何のために?




 そこまで考えて首を振る。


 知ってどうするというのだ。知れば後悔するかもしれない。俺は今の自分の置かれた状況に満足している。余計なことを蒸し返して面倒なことになるのはごめんだ。




「兄さんに言われた通り、あの子を守ることはしているわ。嫌だけど、礼だと思ってやってる」


「ああ、ありがとな。俺は朱明から目を離せないからな。なんかあいつ、ぼうっとしてるしな」




 懲らしめるのは後でいい。イラっとした気分を抑えて、壁に後頭部をつける。屋内では翼は邪魔な為背に消していることが通常で、そうしていたら人間とあまり変わらない。




「あんな状態で、本当に記憶無いのかな」


「……………あの子も馬鹿な子。朱明様は記憶が無くても心まで無くしたわけではないわ。それを考えないなんて酷すぎる。許せない」




 許せない、か。それは同意できる。白麗の抽象的な物言いを一笑に伏せればいいのだが、笑えない自分がいた。




 翆珀が、ガシガシと髪を掻いている。




「朱明、どうするんだろう。このまま忘れてやっていけるのか。だってさ、あんなに…………」


「あんなに、何だって言うの?契約術なんかで強制された関係だったのよ。心は引き摺られていただけ」




 契約術?


 何のことだと思った途端に、不快感が湧いてきた。兄妹の言うとおり俺の中の感情にあたる部分は、以前のことを覚えているということか。


 止めておけと頭では思うのに、心では何かに急き立てられているようで落ち着かないのは、つまりそういうことなのだろう。




「言ってること矛盾してないか?引き摺られたって偽物だったってこと?あの子が死にかけた時、白麗も見ただろ。朱明が動揺してたの。この世が終わりかけても平気な顔してたのに、あんな顔初めて見たよ」




 自分の覚えていないことをベラベラと。自分だけが皆に騙されているような気分だ。




「兄さん」




 咎める白麗の声から逃げるように足音が近付いてきた。




「まあ、しばらく温かく見守ってやってもいいな。思い悩んで気にしてるくせに素知らぬフリしてるあいつを見るのも面白いしさ。そのうち教えてくれって頼んできたら気分いいし、あ、でも姫さん結婚するんだって……………なああ?!」




 角に立っていた俺を見つけて、翆珀が語尾を高くして後ずさった。




「朱明、き、聞いてた?いつから?」


「……………………」




 腕組みをして考えを巡らせる俺に、翆珀は一人焦っている。




「あのさ、これには理由があって」




 前言を撤回しよう。内心舌打ちする。




「俺は記憶が抜けている。それは人間の娘のせいで合っているか?」


「え、あ、うん。契約術を解くと、その間の記憶も無くしちゃうとか…………」


「あの娘、魔の血を引いているのか?」


「えっと、女王の子孫だから」


「女王?」




 そういうことか。




「最初から…………話そうか?」




 しまった、という顔をするのは、どうやら俺にではなく口止めした娘に気が引けるかららしい。




「いや…………」




 軽く溜め息をつき、壁から背を離す。




 自分で思い出さなければ意味がない。あの女の力のせいだというなら、思惑通りに操られているのと変わりない。


 夢にまで出て来て、よくも散々な目に合わせてくれる。




「どうする気だよ」


「翆珀、あの女の力は俺よりも上だと思うか?」


「それは………………あ」




 何かに気付いたように大きく目を見開いた奴だったが、すぐにニヤリと笑うのを横目にする。




「誰があの女の思い通りになるものか」


「葵です、朱明様」




 ゆっくりとした足取りで近付いた白麗が、そっと口を開いた。




「あの子の名です」




 頷くと、翆珀が「思い出してもキレんなよ」と小声で付け加えた。


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