第60話その涙(朱明視点)
板の張り出したテラスのような所で仰向けになって涼んでいる娘を見つめる。
「暑い…………」と、ぼやく彼女が太腿まで晒した脚を水に浸し、服をだらしなく乱して異様に色香を振り撒いている。
「何て格好だ」
瑞々しい肌は眩しく、柔らかそうな脹ら脛にいっそ歯を立ててやろうかと思った。
「君だって、暑いものは暑いだろ?」
横に座る俺の方を向いた葵は、俺が何を思っているかなんて予想もつかないだろう。
「暑さぐらい調節しようと思えばできる、魔力で」
「いいね、羨ましい」
板床に転がるこの子供のような人間。だが、か弱そうな外見だけで判断してはならないことはこの目で見て理解した。女王の血は確かに受け継がれている。いや、もしかしたら女王以上か。
「俺を従わせているおまえが言うな。魔を指先と言葉だけで殺せるおまえがな」
「ああ、まあちょっとだけでも触れないとできないけどね」
水巴の時のように簡単にできるとは思わないが、葵の指が俺に触れて一言唱えるか、もしくは主として俺に死を命じれば………
水巴が自壊する様子に戦慄しなかったと言えば嘘になる。
横になる葵の頭へと押さえ付ける風に装って手を置くと、気持ち良さそうに自らの頬へと導いてくる。
「ああ、君の手は冷たくて気持ちいいな」
火照った頬の熱さを手に感じて、彼女への警戒よりも触れたいという欲が勝っているのに苦く嗤う。丸一日意識の無い葵を命令通りに抱えて過ごしたのだ、今更何だというのだ。
「………………僕は万能じゃない。水羽を殺せても、元のあの子に戻すことはできなかった」
話す声が弱々しいのが暑さのせいだけではないことに、ようやく気付いた。両手をついて葵を囲うようにして見下ろすと、きょとんとしている。
「平気なふりをしているのか」
「え、ふりじゃないから」
ふりじゃないなら、感情を出せないだけか。
「…………………誤解しないでよね、僕は水羽を殺せてホッとしたんだ。あの子があの子じゃなくなるのは嫌だったから…………だから、悲しい気持ちは湧かない」
不自然に笑う葵を見ていたら、もどかしいと感じた。
「朱明、手出しせずにいてくれてありがとう。本当は君、凄く強いんだろ?なのに僕に任せてくれたのは分かっていたよ。水羽は僕の家族だから自分の手で葬り……………」
頬に置いた手を滑らせ、口を塞いでやる。
「泣かせてやろうか?」
「ふ、う?」
「おまえの澄ました顔が、涙でぐしゃぐしゃになるのを見てみたい」
「ふあ?!」
そうだ、泣かせてみたい。この娘の心の内を暴いて全てを見てみたい。
「俺が従順でいると図に乗るなよ。いつも偉そうにしやがって」
俺は水巴の秘密を教えてやった。果たしてどんな顔をするか。
「なぜ水羽は………………」
そう言いかけて葵は口を閉ざして床へと目をやった。しばらく考えるような素振りを見せていたが、次に俺を見上げた途端にポタリと頬を滴が落ちていった。
「本当に、家族だったのか」
「言っておくが、あの魔は見た目と違って俺よりもかなり長く生きていた。近い内に寿命を迎えていたのが少しばかり早まったに過ぎない」
ポタリポタリと透明な滴が深淵の瞳から零れていくのが綺麗だった。引き寄せられるようにして、その滴を唇と舌で掬い取る。
僅かにしょっぱい味を含むと愉悦を感じる。
「泣いたな」
ガバッと身を起こした葵が顔を背けた。慌てて手をやって確かめているが、益々赤い頬は隠しきれていない。
「葵、こっちを向け」
羞恥を浮かべた顔も見たい。
強引に顎を掴んでこちらに向かせようとした。目を反らして抵抗を示す横顔に顔を近付ける。いつもよりも、か弱い表情の葵は女にしか見えない。どうかしてやりたくなる。
試しにこのまま唇を奪ってやろうか。
「………………朱明、僕に背中を向けろ」
「は?」
いきなり命じられた通りに身体が動いた。舌打ちしていたら、コツンと背に彼女の頭が凭れた。
「ふ…………………う……………」
嗚咽が後ろから聴こえて、背がじわじわと濡れていく。
これは葵が隠している彼女らしさの一部だろう。
腹に手を回して泣きじゃくる娘が、甘えるように身体を背にピッタリと寄せる。
その手を握りながら、俺はいつ葵を拐ってしまおうかと考えていた。
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