第9話魔の守り2

 暁色の瞳が私を映している。


 押さえ付けられていた右手首は、朱明が合わせに手を移したことで自由になっていた。




「…………………………朱明?」




 加えて、口を塞いでいた手を不用意にも外した彼に、こいつは馬鹿なのかと心配になってきた。しばらく様子を見ていたが、両手を私の顔の横に付いた彼は黙ったままで、何かに衝撃を受けたように動かない。


 這いずったら彼の下から出られそうだが、逃げたように思われるのは癪だ。それに声を出せるから命じるのは簡単。




 だがそれでは面白くないな。




 両手を伸ばして彼の顔を挟むようにすれば、ビクッと驚いたように身体を跳ねさせた。




「どうした?僕を裸に引ん剥くのではないのか?」




 今度はこちらが薄ら笑ってやる。


 どちらが上か思い出させてやらねば。




「う…………………」




 明らかに動揺している。言葉も出せずに、私の手も振りほどくこともせず、どうしたらいいか分からないといった風情だ。


 耳の辺りに触れた手から、人間と同じように暖かい体温を感じる。 




 長いこと固まるようにしていた朱明だったが、ふいにノロノロと右手を動かした。そして私の頬に手を伸ばしてきた。




「………………朱明、君はもしかして」


「………………………」




 半ばからかっていた私だが、朱明のやけに熱っぽい視線に本能的に危険なものを感じた。頬に触れた指が、そのまま動いて私の耳を辿る。


 危険は危険でも、これは…………




「そこまで。水羽、お願い!」




 目をギュッと閉じて呼べば、いきなり天井から水が降ってきた。


 ザバア、と頭から水を被った朱明ほどではないが、その下にいた私まで顔から浴びてしまった。




「ごほっげほっ、み、水羽、派手にやりすぎ」


「ひゃあ、ごめんなひゃい葵」




 ふわふわと波打つ水色髪の幼女が、謝りながら畳に脚を着けた。咳き込んだ拍子に俯せになった私は、魔である水羽に背中を叩いてもらいながら息を整えると上半身を起こした。




「だいじょうぶ?」


「ああ。水羽、拭くものを貰って来てくれ」


「わかった」




 無邪気に返事をした水羽が、少しだけ警戒した様子で部屋の隅に目を向けてから姿を消した。




「……………………………」




 ボタボタと髪から滴を垂らした朱明が、私に背中を見せる形で隅で胡座をかいていた。




「……………………これはおまえの能力の一つか?」


「何言ってるのかな」


「俺を………………はっ!」




 どこか茫然とした様子で私へと振り返った彼だが、私を見た途端口元を手で覆い追い詰められたように壁へと背をぶつけた。




「俺を?」




 濡れた前髪を掻き上げて、鸚鵡返しに問うが、口を引き結んだ朱明は何かに抗うような顔で私から距離を保っていた。


 つうっ、と滴がこめかみを伝って首を流れて襟元の合わせの隙間から胸まで湿らせる。夏の薄手の絣かすり着物が濡れて肌に貼り付いて不快だ。




「ところで朱明、君は」


「く、来るな」




 手をついて、少しだけにじり寄ったら逃げようとする。




「……………まあいい、逃げるな」




 先程の変な雰囲気は何だったのだろう。私も幾分空気に呑まれた感はあったが、もしかすると朱明は私に………………いや、有り得ないか。男を好むようには見えないし、こちらが気を許すように仕向けるのも彼の策かもしれない。




 しっかりしなければ。主従契約を結んだとはいえ私はともかく、朱明には心から芽生えた信頼も好意も無いのだから。「殺してやる」と叫んだ彼を忘れてはいけない。


 油断すれば寝首を掻かれるのは、こちらなのだから。




「…………………おまえは一体何なんだ」




 スッと自らの目元を隠して、朱明は苦しげに息を吐いた。




「早く術を解け。そうでないと」




 言葉が途切れる。


 彼が何を思っているのか見定めたくて、私はその横顔を黙って眺めていた。


 やがて「おかしく、なりそうだ」と消え入りそうな声を拾うまで。




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