幕間 密談

 ——隣国・一ヶ月前——


 煌びやかなシャンデリアが会場内をキラキラと照らし、テンポの良い伴奏に合わせ、色とりどりのドレス達が、蝶のようにひらりと舞いながら、楽しげにワルツを踊る。


 隣には、隣国の王家の一人娘である、エメリア・ル・シャルダン王女が、私の側を片時も離れずに、微笑みを浮かべながら会場内の様子を眺めている。


 ……正直、離れて欲しいのだが。

 だが、一国の王女に言う訳にもいかない上に、彼女のお陰で他の令嬢と話さなくても良いこの状況はある意味有り難くはある。


 この地に忍ばせていた密偵からの連絡に、勢い余って来てしまったのが良くなかったかと後悔しているところではある。 ……まさか行き違いになるとは。


 鳥を使用する、古来より続くこの伝達方法だが、今回のような致命的な欠点が起こり得る。  ……そろそろ、別の方法を模索した方が良い頃合だろう。


「オリウェリウス様、少しよろしくて? ……わたくし、二人だけでお話したいわ?」

「……美しい王女と話せるなどと、身に余る光栄です」


 王女は私の腕に自身の手を添えながら、少し、身体を押す。どうやら会場を出て、別室に移動しようと提案しているらしい。


 嫌な予感しかしない。 未婚の男女が二人きりになるなど。が、相手はもてなす態でいるのだから無下にする訳にもいかず、王女に促されるままに移動する前に、チラリと護衛騎士の顔を見た。


 私の意図を察したのだろう。テオは無表情で小さく頷く。


「あら、騎士様は来てはいけませんわ? わたくし、貴方と二人だけでお話したいのですから」


 目敏く気づかれてしまったようだ。舌打ちをしそうになるのを抑え、王女に腕を引かれながら、護衛騎士の横を通り過ぎた。


「……王子。なにも口に含みませんよう」

「ああ、わかっている」


 すれ違いざま、耳元へ囁かれる忠告を聞きながら、こちらも小声で返事をし、会場を後にした。


 徐々に夜会の喧騒は遠のいていく。随分と、奥まった場所へと案内されるらしい。進んで行くほどに柱の装飾が豪奢で繊細なものに変わっていっているようだ。

 ……この先は、王族の居住エリアになるのではないだろうか。


 暫く歩いただろうか? ふいに王女の足が止まった。 部屋で待機していた侍女がドアを開けてくれ、中に入るように促される。


「さあ、こちらへどうぞ? ここはわたくしのお部屋ですのよ?」

「……少しでしたら」


 年頃であるこの王女には、珍しく婚約者がいない。彼女の父である現国王が、より金と力のある者を吟味しているらしく、国内の縁談は軒並み断っているようだ。ここに連れて来られたという事は……そういう事なのだろうな。だが、お互い下に兄弟がいる訳でもないので、そもそも前提として無理な話だと思うのだが。


「うふふ。緊張なさっているの?

 ……大丈夫ですわ? 何も、とって食おうだなんて思ってませんもの」


 黙りこくった私を緊張していると思ったらしく、王女は来賓用のソファに座るように勧めてきた。促されるまま腰掛けると、王女は向かい合わせにあるもう一つのソファへは座らずに、私の隣にそっと腰掛け、ゆっくりと身体を傾けながらしな垂れ掛かってくる。

 香水だろうか? 甘い花の香りがふわりと広がった。


「……お前たち、もう下がって良くってよ?」


 侍女達は深々と礼をすると退出して行った。

 扉に隙間を作らず、しっかりと締めて。


「オリウェリウス様、最後に会ったのはわたくしが十の時だったかしら? ……ステキな殿方に成長されましたわね?」


 柔らかな手をしっとりと私の胸に這わせ、エバーグリーンの瞳が覗き込むようにこちらを見上げる。自信に満ち溢れた目だ。彼女は自分の美しさを分かっているのだろう。


 その瞳の主を静かに見つめ返し、諭すように話しかけた。


「……エメリア王女。私には婚約者がおりますので。過度な密着は如何なものかと」

「まあ……でも病弱な子よりも、健康なわたくしの方が良いのではなくて?」


 口の端を上げ、挑発的に笑う王女に淡々と言葉を返す。


「いえ、彼女を裏切るわけにはいきませんから」

「……そう。貴方、信用に値しそうね? 色香に惑わされないのは良いことですわ」

「エメリア王女?」


 それまでの色気を纏った雰囲気は、まるで幻だったのかのように消え去り、王女は私からスッと身体を離したのだ。


「もう大丈夫そうね? ……うふふ。試すような真似をしてごめんなさい?  先程の侍女達、少し前まで扉の前でこちらの様子を伺っていたのよ?  父はわたくしと貴方を、どうしても一緒にさせたいみたいだから」

「……そうなのですね」


 やはり、な。どうやら嫌な予感は当たっていたらしい。 ……私達が会場を抜ける際、彼女の父である国王の、打算的で下卑た顔が視界の端に見えたのだ。


「ええ。貴方も薄々感づいていたのではなくって? この城は、隙を見せたら最後、甘い蜜を吸い尽くし破滅に追い込む者ばかりがいますのよ?」

「……成る程。ですが安心しました。貴女は信用出来る方のようだ」


 ふいに緊張が解ける。ほっとしたからだろうか。口の中がカラカラに乾いているのに気が付いた。飲む気は無い。だが無意識に、先程侍女が置いていった紅茶に目がいってしまう。


「あら、お茶は飲まない事ね。媚薬が入ってますわよ?」

「……」

「わたくし、父の指示で、この機会に貴方を籠絡するよう言われておりますの。けれど、生憎貴方に興味はありませんのよ?」

「そ、うでしたか……」


 まさか力技でくるとは。

 この国には、あまり長居をしない方が良さそうだ。


「父は建国祭にかこつけて、貴方を一週間は拘束するつもりでいるようですわ? ……わたくしがひとこと言って、解放して差し上げましょうか?」

「よろしいのですか?」

「ええ。その代わりと言ってはなんですけれど、貴方のご友人にリヴィドー家の嫡男がいるでしょう? 彼の方、紹介していただけるかしら?」

「アルを、ですか?」

「ええ。前にお忍びでそちらに来た時に、偶々お姿を拝見しましたの。胡桃色の綺麗な毛並みに、まるで女性のような整ったお顔立ち。それに、スラリとしたあのお姿。一目見たときから忘れられませんでしたのよ? ……彼の方こそ、わたくしの理想の殿方ですわ」


 王女は頬を染め、ウットリとした表情で瞳を潤ませている。当時のアルの姿を思い出しているのだろう。

 だが、アルは侯爵家の跡取りだ。彼女の提案は現実的ではないだろう。


「ですが、アル……いえ、彼は嫡男ですし、エメリア王女と婚姻した場合、後継がいなくなってしまいます」


 聞かれる事がわかっていたようだ。王女はニヤリと笑った。


「あら! その時は、わたくしか、貴方の子を後継として送り込めばよろしいのではなくて?  まだ現侯爵夫妻は若いのですし、猶予はありますわよ? それに、二人以上産めばいいのだから何も問題なくってよ?」

「……成る程。 ……それは素晴らしい考えですね!」

「うふふ。そうでしょう?」

「わかりました。必ず彼を紹介致しましょう」

「その言葉、しっかり聞きましたわよ? それともう一つ。お話したい事がありますの。 実は……」



 ーー

 ーーー※



 王女との密談を終え、用意された客室へと戻ると既に護衛騎士が待機しており、彼は私が無事だとわかると、強張っていた表情を和らげた。


 それから、王女との話を彼に聞かせると、怪訝そうな顔をしながらも彼なりに疑問に思った事を私に聞いてきたのだ。


「……そうですか。王女とそのような話を。 ……アルベルト様はこの事、ご存知では……」

「ないな」

「……流石によろしくないのではないですか?」

「仕方あるまい。だが、これも悪い話ではないとは思わないか? アルには婚約者がいないのだから」


 今に至るまで、私と共に、ずっとルルの行方を探してきたアルには、実は未だに将来の伴侶となりえる相手がいないのだ。

 まあ、爵位や財産目当ての令嬢達の毒牙にかかってこなかったのは利点であったともいえるのだが。


 アルの両親も、息子の意を汲み黙認している。娘が見つからない焦りからか、夫妻は少し窶れてしまっており、その様子を見るのをいつも忍びなく思う。


 ……まだ、彼等には、ルルが見つかったとは伝えてはいない。まあ、あり得ないとは思うのだが、万が一、人違いだった場合の事を考えると、ただでさえ心労を抱えているであろう彼等にぬか喜びをさせてしまう事になる。期待を持たせておいて突き落とすような、残酷な真似はしたくはない。


「それに、隣国の王女と婚約したならば、こちらにも恩恵がくるだろう? 経済はあちらの方が豊かなのだから」

「それもそうですね。 ……まあ、彼の方、物凄く怒るでしょうが」


 淡々と、興味無さげに返す彼の思っている事は手に取るように分かる。これは……


「自分には関係ない。またそんなふうに思っているな? その時は同席してもらうぞ? テオは私の護衛騎士なのだからな」

「……私など、恐れ多い」

「逃げるのはだめだぞ?」

「…………」

「無言もだめだ」

「…………チッ」

「ははは。貴方でも舌打ちをするのだな。 ……それともう一つ。エメリア王女の命により、我が国の伯爵家である、スカーレット家の二人を拘束し引き渡す事となった。恐らく、かの家の成功を妬む者が悪戯で通報したのだろうな。警備隊が別邸を調べた所、地下で大量の白骨死体が見つかったそうだ」


 死体、という物騒な単語が出ても、相変わらず表情を変える事なく、テオは口を挟む。


「そうですか。では、パール商会……でしたか?  後ろ盾を無くしてしまう上に、不祥事の余波を受けるのですから、苦境に立たされるでしょうね」

「いや、王女は“秘密裏に引き渡せ”と言っていた。内々で処理をして、スカーレット家の後釜にまんまと入るつもりなのだろうな。あの王女、なかなか食えないお方だぞ? ……それと、この話にはまだ続きがある。スカーレット家の地下室の床には、血で描いた紋様の跡が残っていたそうだ。おそらく、なんらかの儀式をしていたのだろうな」

「儀式……」


 テオの顔色が変わった。


「それは……まるで……」

「……ああ。魔女がかつて行なっていた儀式に似ているな」

「……ですが、彼女はもう、この世には……」

「そうだな。だが、同じ能力がある者が存在しているのかもしれぬ。 ……もしくは、未だ捕らえられていない、母親の方かも、な」


 テオは眉間に深いシワを寄せて目を瞑る。なにかを考えているようだが……どうしたのだろうか?

 酷く、苦しそうだ。


「王子……私は、その異能者に会いたいのです。私なら、わかります。当時、現場に居合わせていましたから」


 初耳だ。この護衛騎士は、異能者と対峙した事があるらしい。


「そうだったのか。テオも、父王と一緒に魔女討伐の場にいたのだな」

「……はい」

「ならば、急いで戻らねばな。王女からの承諾は得たのだから、とにかく、これで帰れる。 ……明日の朝、すぐにここを立つぞ! スカーレット家の二人を拘束せねばならぬ。 ……気を引き締めていくぞ」

「……御意」


 護衛騎士の忠誠を誓う所作を見て頷きながら、私はもうまもなく会えるであろう、長年探し続けてきた愛しい婚約者に、思いを馳せたのだ。




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