幕間 専属侍女の出立

 主がいなくなって久しい部屋で、貴女を守れなかった私は、誰に聞いてもらうでもなく、後悔と懺悔の言葉を呟いています。


 どうしてあの日、私はお側にいなかったのでしょう。目を離したばっかりに、貴女は……


「お嬢様……」


 口から零れ落ちた言葉は小さく溶けて消えていき、室内は、再び静寂に包まれていきます。ここは私が守るべき筈の、幼くも可愛らしい、小さな女の子が過ごしていた部屋でした。


 貴女がいなくなったあの日から、お屋敷は時間が止まったままのよう。ご当主様方や使用人達、それに、私自身も……


 ※


 お嬢様は……いいえ。あの子だけではありません。ご当主様方一家は、皆お優しい方達ばかりでした。使用人達にも分け隔てなく接して下さり、それを受けた使用人達も、ご当主様方に親愛の気持ちを持ちながら勤めていたのです。

 このお屋敷には、不思議と身分の垣根など無いかのように感じられて、貴族といっても名ばかりの家柄でしかない私にさえも、皆様気さくに接して下さっていたのです。


 私の父は庶民の出であり、元は武術で名を馳せただけの冒険者だったのです。偶々立ち寄ったこの国で、魔女討伐の志願に名乗りをあげ、武勲をたてた父は、現王様から男爵の地位を賜る事となったのです。それがキッカケでこの地に根を張り、終の住処とする事になったのが始まりでした。


  我が家は貴族を名乗ってはいますが、血筋も何もあったものではありません。元は平民ですもの。お上品な暮らしは性に合わないからと、父は早々に、私の兄に家を継がせたくらいでしたわ。


 私が十四になると、貴族の世界に触れる為……まあ、箔がつくからと父は言っておりましたけれど。昔、父がお世話になった侯爵様のお屋敷で働かせて頂く事が決まったのです。そこで私は、心から生涯お仕えしたいと思えるようなお方に出会えたのですわ。 ……もちろん、ルルお嬢様の事です。


 初めてお会いした時は、まだお嬢様が三歳の頃でした。本来なら幼児とは言ってもまだまだ赤子と同じくらい手がかる筈なのに、どこか拙いながらも、自分に関わる事を率先してやるようなしっかりとした所がありました。けれど、それに反してわざといたずらをしては、私の反応をチラチラと伺いながら、楽しそうに抱きついてくる年相応の愛らしさがありましたわ。


 ですが、五歳になって少し経った頃でしょうか。お嬢様の性格がある日突然変わってしまい、まるで下町のおば様のような喋り方をするようになってしまったのです。ギョッとして見つめ返すと、慌てて子供らしい喋り方に言い直すのがまた、更に私の不安を煽りました。まさか……私の知らない所で、心に負荷を負っていたのでしょうか……?


 庭師のトムじいに相談した所、彼が言うに『子供はある日突然変わるもの。変に気にせず適度に見守れ』と言っておりましたので、なるほど確かにそうだと思い、深く疑問に思うのを辞め、そっと見守ることにしたのです。


 それでも、やはりお嬢様の根っこの部分は変わっておらず、ご当主様方と同じく、私達のような使用人に分け隔てなく接する優しさが、そこにあったのですわ。

 

 彼女に心惹かれる気持ちを、私はきっと止めることなど出来なかったでしょう。年齢を感じさせないお嬢様と同じ時を過ごすうちに、まるで友人のような、姉妹のような不思議な繋がりを感じたものでしたから。 ……けれど。


 お嬢様は攫われてしまったのです。


 犯人は、お嬢様のお爺様である、前侯爵様なのだと、彼女の拙い筆跡で書かれたメモが見つかったのですが、彼の方が拘束されてから分かった事は、お嬢様を攫った犯人ではなかったという事だけでした。


 ですが、前侯爵様が別の犯罪に手を染めていたのが発覚したのです。当初、私達使用人には、どの様な罪だったのか詳しく教えて頂く機会がなく、不安が不安を煽り、一時は侯爵家も終わりかと大騒ぎになったものでした。


 今では騒ぎは収束し、やはりご当主様がなんとかして下さったのだと、皆安心して過ごしておりますわ。


 なにせ、ご当主様夫妻は真っ当なお人柄ですもの。それに、これは後々説明して頂いたお話なのですが、その”事件”の発覚が異様にに早かった事と、現役を退いた者の犯行で、現当主様とは関係のない事。それに魔女との戦いでの功績があるお陰で、前侯爵様を王城の地下へ投獄し、生涯幽閉の身にする事で全てが解決したのだとわかった時は、お屋敷に勤める皆はホッと胸を撫で下ろしたものです。


 けれど、いくら正当な理由があろうとも、通常なら、もっと重たい処罰が下される筈ではないでしょうか。 ”事件”とは、所持するだけでも違法となる、聖灰に関わる事だったのですから。 ……それこそ領地の没収や、爵位の降格等、貴族にとって屈辱となるような処罰が。


 もちろん今回のように何事も無い方が一番良いのですが、なにやら裏があるような気がしてなりません。


 ……それにしても……お嬢様を攫った賊ども……ッ!! 必ず息の根を止めて差し上げますわ……!


 相手はきっと複数犯でしょう。手際が良すぎますもの。あのお屋敷の中で、誰にも気づかれずに攫うだなんて絶対に不可能ですわ。


 お嬢様が攫われた当時、側にいた青年が、共に攫われたそうなのです。

 一時は彼が実行犯ではないか?  と警備隊から疑われていたようですが、その彼が勤める商会の同僚と主人の証言で、気弱で度胸の無い彼には到底無理だろうと判断されたようでした。


 彼は平民でしょうから、生かしておいても足手纏いになるだけですもの。きっと誘拐犯どもに、口に出すのも憚られるような方法で惨殺されているに違いありません。

 可哀想な事ですが、こればっかりは仕方のない事ですわ。


 ……さあ、そろそろお暇しましょうか。


 お嬢様の机の上に、お勤めを辞める旨をしたためた手紙をそっと置き、決意を胸に主の部屋を出て行きます。


 ——お嬢様。


 私が必ず、貴女を見つけだしてみせますわ。 ……きっと、知らない場所に連れて行かれて不安に苛まれているのでしょう。怖くて、苦しくて、泣いていらっしゃるに違いありませんわ。


 どうか……今しばらく待っていてください。

 あなたを攫った不届き者達は、私のもつ加護の力で、全員血みどろになるまで殴り続けますから。それから逆さ吊りにした後、生まれた事を後悔するような目に必ずあわせてみせますわ。


 ……さあ、目指すは隣国です。

 どうしてか、貴女がそこにいるような気がしてならないのです。


 それでは、怪しい場所を片っ端から訪ね、潰して参りましょうか?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る