海星

五三六P・二四三・渡

第1話


 目の前に黒々とした海が広がっていた。水平線と鼠色の雲の境界から声を聞いたような気がする。港の赤錆びた灯台は、きっと声の主を探しているのだ。「この海はどれぐらい広いの?」と聞いた。姉は「宇宙と同じくらい広いよ」と答えた。村の者はよく姉を嘘つきだと言っていた。


 姉はよく港の入り江に立ち、海の物語を話してくれた。「どうしてそんなに物語を知っているの?」と聞くと、本がよく流れ着いてくるのだという。姉の語った物語の数だけ、本が流れ着いてきたら、港はごみでいっぱいでなるのではないだろうか。そう思ったが、流れ着いた本もまた海で出来ているので大丈夫、とよくわからないことを返された。数十年後、姉を思い、海で出来た本を港で探している。


 姉が『時孕み』にかかったと村の者が噂をしていた。姉が身ごもっていたことが発覚したが、父親がだれか言おうとしない。誰でもないのなら時間に胎まされたのだ。村の者たちはそう言った。姉は時計仕掛けの人魚を生むそうだ。


 海底の映画館の噂を聞いたことがあるだろうか。ある海域で溺れると、死に際に走馬灯のように現れるのだという。上映している映画は一作品のみ。宇宙一長い上映時間であり今も終わっていない。これはきっと人生という名の映画なんだね、というと隣の人に「そうではない」とバカにされた、そんな話を誰からか聞いた。

 

 時計仕掛けの人魚は、時間の流れを動力として動く。時間を川の流れに例えると、人魚の持つ時計は水車の役割を持っていた。だから人魚は時計の針の力を借りて、ゆっくりと動く。時間とは相対的なものであり、人により流れが違う。その流れに逆らわず、人魚は進む。


 海星うみぼし、というのは聖母様のことを表しているそうだ。それと関係があるのかはわからないが、海の中にも星がある。海星同士の間は、実際の星と同じように、近いところでも光の速さでも何年もかかるような距離があった。海星の表面や内部には住人が文明を築いているという。


 ある日、水たまりに人魚がいるのを見つけた。溺れかけていたので、自己満足と分かっていても、家に帰って介抱せずにはいられなかった。金魚鉢で飼うことにしたので、あいさつをする。「よろしくね」すると「よろしくね」と返された。驚いて調べてみたが、オウムの返答のようなもので、実際に意思疎通しているわけではないらしい。


 海星から海星へと移動する潜水艦があった。当然光の速さで何年もかかるので、何百年、何万年の月日を経て進む。人は長く生きても百年程度しか生きられないので、子を産み、何代もかけて進む。「ところで何百年という単位は何を基準に設定されたモノなのだい?」船員の一人が聞いたが誰も知らなかった。


 姉は海へと旅立っていった。姉が人魚になったのか、子供が人魚になったのかよくわからない。ただ村の掟で、時孕みは海へ帰らなければならなかった。それだけだ。村の者たちが姉を抱え、海へ送り出している姿が、今でも瞼の裏に焼き付いていた。


 金魚鉢の人魚が海の音を真似して奏でる。ウミネコの鳴き声や波打ち際の潮が寄せる音。鯨の鳴き声や、うねる海流がこすれる音。大きな音がしたと思ったら、海底火山が噴火する音だった。やがて人間の話声も聞こえるようになった。母親と小さな子供の会話のようだ。「ご近所迷惑だから、水たまりにでも捨ててきなさい」


 海の底へ向かうほど光は少なくなる。そこの住人たちは光以外の存在を頼りにしていた。なので異邦人である人間は疎外感を感じる。だから唯一の光を発している場所に向かって集まるのだという。海底の映画館に。


 海星もまた光を発していない。重力を帯びているだけ。潜水艦内では、羅針盤の針の動きにより海星の位置を探る。その職に就くものは限られており「星詠み」として重宝されていた。彼らはほんのわずかな針の動きにより、星の位置を知り、海図の上に夜空を描いた。


 大きな波が水族館を襲った。魚たちは逃げ出したが、年に一度ほどもどっててきて、ガラス越しの人の姿を思い偲んだという。「僕はその話は好きじゃない。考えた者が、人間が好きすぎることがにじみ出ている」卵から生まれた我が子は八本の足を動かしながらそう言った。


 海底の映画を見飽きた者は、やがて席を立ち黄泉の国へ旅立っていく。そんな中、映画を最後まで見たいと思う者が現れた。映画館に畑を作って食料を自給し、同調するものが集まり国を作った。邪魔で映画が見えないと言ってきた人が現れ、戦争が起こった。


 潜水艦内に娯楽は少ない。だから船員たちは星詠みの周りに集まり、彼の語る星の物語を聞きに来る。星詠みは常に一人しかいなかったが、代によって個性があった。星を人に例え、語る者。海星に住む住人のことを語る者。ただ星の動きだけを語ってる者。彼らの話に船員たちは時に喜び時に涙した。物語はすべて羅針盤が語ってくれるというが、ただのほら話かもしれないし、そうじゃないかもしれない。


 ふと金魚鉢の人魚が人の言葉ばかりを再生するようになった。それに交じり、ソナー音もきこえてくる。どうやら潜水艦の中のようだ。彼らは何代もかけて、海を旅しているようで、想像もつかない世界だった。彼らの語る物語にぼくは聞き入った。


 よく見ると映画館は満席だった。右を見ると、八百屋の奥さんがいた。左を見ると村に駐在している男がいた。瞬きをすると、ふと村が波に飲み込まれる景色が瞼に移った。


 羅針盤が魚影の動きをとらえた。「あれは時計仕掛けの人魚の群れだ」星詠みは言った。捕まえようと一人の船員が言ったが、星詠みは首を振った。「昔一時期船内で飼っていたことがあるそうだ」厳かに語る彼の口調に、船員たちは息をのむ。それでどうなった? と聞くと星詠みは答えた。「私の爺さんの仕事をとられた」


 戦争により映画館の中の文明は数えきれないほど滅び、数えきれないほど芽吹いた。やがて安定期に入ると映画館の国達は手を取り合い、内部にまた映画館を作った。今日もまた映画が上映される。その映画はナレーションから始まる。「海底の映画館の噂を聞いたことがあるだろうか」


 金魚鉢の人魚が姉弟の話を語り始める。ぼくはこの弟に会いに行きたいと思った。「私は物語を声真似しただけにすぎません。私はこの物語に出てくる姉ではないです」人魚はその言葉を真似したようだ。


 時の流れに沿って海を泳ぐ人魚たちの行く先は様々だ。最も大きいといわれる海星を目指す娘がいると思えば、伝説にしか存在しない海の底を目指すものもいる。あなたはどこを目指している? と並んで泳ぐ人魚に聞くと、「海よりも大きな星を探している」と答えたので首をかしげる。詳しく聞くとその星はこの世界を裏返して出来ているのだという。


 映画館は鯨の眼球の裏にある。そのせいか鯨の瞳は光っていた。やがて鯨も死を迎える。いや、もうすでに死んでいるのに気が付かず、化石となりながら泳いでいたのかもしれない。屍肉を目当てに生き物たちが集まってくる。気が付くと鯨は映画館のなかにいた。観客たちは騒ぎ立て、祝杯を挙げたり、悲しんだりしている。画面を見ると、すでにエンドロールが流れ始めており、間に合わなかったと鯨は悔しがった。


 数年後ようやくぼくは姉弟がいたであろう港を見つけたので、金魚鉢を手に持って向かった。その村は大波によって沈み、新しく町が建て直されていた。灯台の光が海暗いを照らしていた。押しては引く波打ち際の音が、人魚の発する音と区別がつかなくなる。灯台の根本に、一人の老人が座っているのを見つける。ぼくは金魚鉢をその人に渡した。老人は手に取ると、海を見つめて言った。「この海はどれぐらい広いの?」人魚は「宇宙と同じくらい広いよ」と答えた。人魚が発した潜水艦のソナー音が、町に響き渡った。

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海星 五三六P・二四三・渡 @doubutugawa

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