兄妹が役者志望なお話

花枯

第1話 そりゃあ、お兄ちゃんとキスできると思って……

 その瞬間、自分が自分ではなくなる。

 喋り方も立ち振る舞いも感情も、名前や性格さえも、佐山さやま凛太郎りんたろうという高校二年生とは別人に変化するのだ。


「あの、ゆいさん?」


 セリフは凛太郎の口から出るが、彼の言葉ではない。また言葉を受け止める相手も唯という名前ではない。

 本名は佐山里奈りな。高校一年生で凛太郎の実の妹である。

 しかし里奈も今は完全に、伊藤唯という人物になりきっていた。


悠馬ゆうまくん……。ごめんね、急に呼び出しちゃって」

「別にいいよ。用事もなかったし。それで、話って何?」


 すると里奈は真っ直ぐに凛太郎悠馬の目を見つめた。

 ほのかに頬が朱色に染まり、上目遣いする大きな瞳に凛太郎の視線も吸い込まれる。ごくりと唾を飲み込んだ。

 胸がそわそわする。凛太郎ではなく、悠馬としてドキドキしているだけだと信じたい。


「……好きです」


 たっぷりと時間を使って、その一言を振り絞った。

 これは今度の演劇で使う台本のラスト。恋するヒロインの告白シーンである。その一言に、今までの台本の全ての想いを込めて里奈はセリフを吐いた。

 いや、今の里奈にとっては本物の感情であり、本物の言葉だ。セリフと捉えてはいけない。


 張り詰めた想いが零れるように里奈の目尻には涙が溜まる。

 私情は挟まない。全身全霊で凛太郎も応えた。

 目の前にいるのは妹ではない。凛太郎悠馬のクラスメイトで、密かに想いを寄せている女子だ。


「ぼ、僕も! ……その、ずっと前から……好きでした」

「ほんとっ⁉」


 パッと里奈の表情が晴れる。胸の前で祈るように手を握る。


「う、うん! でも、信じられない……。こんな僕を、本当に唯さんが?」


 そうだ。僕はずっとクラスの空気みたいな存在で、地味で人見知りで、告白されるなんて夢のまた夢のような出来事。

 だから、素直にその言葉を受け入れられない。


「私ね、ずっと悠馬くんのこと見てたの気づかなかった? 休み時間とか、授業で発表してる時とか……いつ話し掛けようかなって、いつも考えてたの」

「……」


 凛太郎悠馬は恥かしくなって俯く。けど里奈の温かな手が凛太郎の顔をもう一度、上げてくれる。


「悠馬くんのこと、大好きだよ」


 里奈も気恥ずかしそうにしながらもはっきりと、言葉を、想いを伝えた。

 そして里奈の方からギュッと腕が回される。ドキッと心臓が高鳴る。

 と思えば、すぐに解放されて再び二人は見つめ合う。


「……」


 そのままお互い想いに引き寄せられるようにキスをする……感じで暗転して、エンディングに切り替わるまでが、この台本のシナリオだった。

 もちろんキスなんてするわけもなく、する振りをして終わり……のはずだった。


「……ッ⁉」


 しかし里奈はそのまま本当に凛太郎と唇を重ねた。なんだったら、そのまま舌を入れて来そうな勢いだった。


「おい、何すんだよ!」


 すぐさま里奈の肩を掴んで無理やり距離を作った。


「何ってキスだけど?」

「なんでキスすんだよ!」

「だって、ここは普通キスする流れでしょ! お兄ちゃんもちゃんと最後までやってよ!」


 十分、台本では最後までやったはずだが? このまま暗転して終わりって流れだろ。


 だが、里奈は不服そうに頬を膨らませる。


「もう少しチューしてたかったのにぃ……」

「なんだって?」

「なんでもなーい。もういいよ、どうせこの役、私じゃないし」

「はぁ⁉ お前、この伊藤唯って役じゃないのか⁉」


 さっきのとは一転変わって、まさかの告白である。


「うん。そうだよ」

「じゃあ、なんでこんな練習させたんだよ」

「そりゃあ、お兄ちゃんとキスできると思って……。それにいつだってヒロインや主人公は演じられるようにしとけって言ってるの、お兄ちゃんじゃん?」


 本命が前者だというのは問いただすまでもなく分かりきっていた。

 だからこれ以上の追及は無意味と知り、大きな溜息が洩れる。


「じゃあ、本当は何役なんだ?」

「女子生徒A。セリフは一個だけ」

「モブもモブじゃねえか!」

「ひっどーい! そんなこと言うお兄ちゃんなんて大っ好きなんだから!」


 そこは嫌いって言うところでは?

 しかし、本役と言えるほどに里奈の演技はよくできた。セリフも役作りも完璧に里奈の中で出来上がっている。


 だが、凛太郎は大事な事を一つ忘れていた。


「本当は、ヒロインをやってって言われてたんだけど辞退した」

「ヒロインを下りたのかよ」

「だって、お兄ちゃん以外の相手とキスの振りとか抱きしめるとか、演技でも嫌!」


 そう、佐山里奈は、重度のブラコンであり、本気で凛太郎のことを愛しているのだった。

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