私にとっての阪神大震災(1995年1月17日)
大木 奈夢
第1話 1995年1月15日土曜日、16日日曜日
あれからもう、25年も経つのですね。
1995年1月15日の土曜日、当時私は完全週休二日制の会社に勤めるサラリーマンでした。
妻と子供二人。上は男の子、下は女の子。共に小学生です。
その日私は、家から二時間程度のところにあるスキー場に、家族揃って出掛けていました。
朝早くに到着し、家族皆でスキーを思う存分に楽しみます。しかし昼過ぎ頃から急に天候が悪化し、午後二時頃には猛吹雪になってしまいました。
雪にあまり慣れていない私は、急な猛吹雪に恐怖を感じて予定を変更し、早めに帰ることにします。
前輪駆動なので前輪にタイヤチェーンを着けて駐車場から出ようとしますが、急な天候の悪化から殆んどの人が帰路についたため、渋滞し駐車場からさえなかなか出られなくなっていました。
1時間位かかって漸く駐車場の出口にたどり着いたのですが、駐車場の出口は坂道になっていて少し動く度に後輪が横滑りをする始末。あわや前の車にぶつかりそうになりました。
前輪駆動だから前輪にタイヤチェーンを着けていれば大丈夫と思っていた私は、現実を目の前にして自身の思い違いを痛感することになったのです。
この状態では後輪にもチェーンを着けなければ事故を起こしてしまう。
渋滞で車が動かない(恐らく積雪、猛吹雪による事故多発が原因と思われます)ことを幸いに、スキー場の管理事務所でタイヤチェーンを売っていないかどうかを尋ねることにしました。
幸いと言って良いのかどうかは分かりませんが、サイズ違いのものが少しだけ残っていたので迷わずワンセット購入することに。サイズ違いは車に積んでいた紐でチェーンを固定することにしました。
四輪をチェーンで固定することができ安心して渋滞が解除されるのを待っていましたが、駐車場の出口から動くことができず約四時間が経過することに。その時、新たな心配が発生したのです。
何気に車の燃料メーターを見て、私は愕然としてしまいした。スキーに来る前に満タンにしていたので安心していたのですが、いつの間にかエンプティ間近になっていたのです。それは当然の成行と言えるでしょう。四・五時間も暖房をフル始動したままエンジンをかけていたのですから。
思わずエンジンを切りましたが、そのまま車に留まることは出来ません。
再び管理事務所に行ってガソリンの無い旨を相談したところ「体育館を無料解放しているので、渋滞が解除されるまでそこで待機して下さい。渋滞が解除されましたら管理事務所が麓のガソリンスタンドでガソリンを購入してきますので、それを販売いたします」とのことでした。
家族で体育館に移動しますが、支給された毛布一枚では流石に寝るまでには至りません。
家族一同寒さに震えながら耐えていると午前四時頃、漸く渋滞が解除されガソリンも手配出来ましたとの知らせを受けました。
早速携行缶一缶約20リッターを購入し、車に補充して帰路に着くことにいたします。
四輪にタイヤチェーンを着けているので私は安心して出発いたしました。
しかし途中には道路脇に突っ込んだ車を多数見ることになります。既に運転手を含め乗員の姿は無く、放置されていました。
暫くはすいすいと移動していたのですが、所々にある放置車を避けるのに時間が掛かり思った以上に手間取った記憶があります。結局自宅に辿り着いたのはお昼頃でした。
その際に途中のサービスエリアで買って食べたお団子の味は、格別だったと記憶しています。
お団子の味は別として、折角の土日なのに私は散々な目に会いました。
私にとっての阪神大震災(1995年1月17日) 大木 奈夢 @ooki-nayume
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