第172話 「炎の雨」

大広間の鉄の扉は閉じられ、あちこちから怒号が響く。


その声を無視しつつ一気に階段を駆け上がり、2階の廊下も突き進む。

そうして、全力疾走のまま城塞のバルコニーへ至るとそこから背後へ叫んだ。


「飛び降りるぞ!」

「はい!」

「……!? わっ、わかりました!」


助走をつけてバルコニーのヘリを蹴り、そのまま空中へダイブ。

眼下には、帝国兵の集団が広がっている。


――すぐ真下へ火精の集合体たる紅竜ドレイク顕現けんげん

俺、ついでイリム、ついでドワーフの戦士がその背に飛び乗る。


「グワアアアァァァァァア!!!」


リンドヴルムの咆哮に、眼下の兵士は一様にたじろいだ。

その隙に、いっきに西へと飛び立つ。


「師匠! 門の兵士は!?」

「今はこちらが先だ!」


そう。

すでに人質の猶予ゆうよがない。


紅竜ドレイクたるリンドヴルムの最高速はおおよそ100キロ、人質のもとまで30秒以上かかる。

そしてすでに、4人の帝国兵たちは手に手に剣を構え、人質を取り囲んでいる。


俯瞰フォーサイト』で視えている。

このままでは間に合わない。

……どうすれば……。


ぐんぐんと加速しつつリンドヴルムは西へ西へ、眼下に広がる森をスレスレに飛んでいく。

そうして、このままでは絶対に間に合わないことが理解できた。


こちらの速度と、向こうまでの距離。

それが『俯瞰』により極めて正確につかめるからだ。


――やるしかない。


俺の『俯瞰』の範囲は現在1キロメートルほど。

だが自由射撃フリーファイアを開始できる地点は50メートルが限界だ。


手にとるようにわかる範囲は、そこが限界だからだ。

手の届く範囲からでないと、銃を握ることはできない。


しかし、いまこの時、その範囲を拡大してみせるしかない。

そうでないと人質が殺されてしまう。


あのドワーフ王の妻子と面識はない。

いうなれば助ける義理はない。


だが、今この時、怯える彼女らを助けることができるのは俺だけだ。

だからやる。

それでいい。


そう決めると、俺の判断は早かった。

やることは至極単純、手を伸ばせばいい、できるだけ遠くまで。もちろんリンドヴルムも全速力で。


『俯瞰』の構成密度をガクンと引き上げる。

脳みそに叩き込まれる情報密度もドカンと跳ね上がる。


脳が処理限界に悲鳴をあげ始めるが、無視する。


俺の思考は、体は、あの2年の修行に耐えたのだ。

こんなものは、あの2年で何度も超えている。


――気付けば眼は、手は、倍以上にまで伸びていた。



そうしてそう。

いまにも、振り下ろされんとする長剣へ向け、最速で自由射撃フリーファイアを開始した。


◇◇◇


ドワーフ王、スラールの妻は、ここで命潰えるのを覚悟した。

しかしそれも仕方のないことだと思った。


2年前、帝国からの命令。


「フローレス島のまれびと、そしてその悪魔をかくまうラビット共を皆殺しにする。聖戦に参加すれば、かの島を領土として認めよう」


50年前の戦に負けて、ドワーフ族はすべて帝国の奴隷身分となった。

決められた地区の決められた洞窟で、命令通り暮らし、命令通り鉱山を掘り、命令通り鉄を打つ。


そんなことが50年。

領土、そう……国が欲しいに決まっている。

自国ふるさとと呼べるものが欲しいに決まっている。


……だが、ドワーフの3大部族のうち、【土の根の民】【岩の根の民】はそれを拒否した。


ラビット達を滅ぼし、フローレス島をドワーフ島に変えることを良しとしなかった。


そうして当然のごとく、彼らは虐殺された。

必要分を残してことごとく。


必要分とはなにか。

それは働けるものであり、今後働く余地のあるもの。

そうでない老人や未熟児、不具者はことごとく燃え盛る溶鉱炉に放り込まれた。


その悲鳴と嗚咽をたっぷりと聴かせながら、帝国はもう一度訪ねた。

即答できなかった【山の根の民】、その長スラールに向けて。


「聖戦に参加するか、否か」と。


彼は……首を縦に振った。

振らざるを得なかった。


なぜなら、彼の9つになる娘は、目の見えぬアカズであったからだ。

長の娘だからと特例で、いままで帝国から寛大なる慈悲の心で許されていた命だった。

その娘は今、溶鉱炉へ投げ込まれんとしている。

彼には本当に……選択肢はなかったのだ。


そうして、彼ら【山の根の民】は聖戦に参加した。


多くを殺し、多くを殺された。

殺したなかにはまれびと、そしてラビットの幼子がいた。

殺されたのはドワーフの戦士達だった。


戦士達は帝国が言うところの【炎の悪魔】とその仲間たちに殺されていった。


だが、ドワーフの考えでいえば、戦場において戦士が死ぬのは当たり前のことだ。

戦士は戦えぬ者の代わりに、殺し、殺されるためにいる。


だから……兵士の揃わぬ隙をついて村を襲い、抵抗できぬ者を虐殺するのはドワーフの戦い方ではない。


あんな戦いには、参加すべきではなかったのだ。

だからこうなるのも、仕方のないことである。


「……お母さん」

「……大丈夫よ」


母は娘をしっかと抱き、せめて1秒でも長く彼女がこの世界にいられるようにと願った。


その姿を見て、親子を取り囲んだ兵士たちがケラケラと笑う。

笑いながら、手に手に長剣を振り上げる。

振り下ろして、命を断つ感触。

その快感、期待に思わず兵士たちの口角が上がる。


劣った種族である亜人種デミヒューマンを駆除するのに、彼らは罪悪感など持ち合わせてはいなかった。

それが人間至上主義である帝国の、一般的な感覚である。

快感まで覚える者は、ごくごく少数ではあるが……。



そして、何度目かになるはずだったその快感よろこびは、何もない中空から突如降り注いだ炎の雨によって阻止された。

剣が飛び、腕が燃え、体を貫かれ。

あっという間に、兵士は兵士でなくなった。

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