第139話 「あなたのことが、好きでした」

包囲を抜けた。

あの大剣使いの異端狩りは、ラビット狩りに夢中になっている。

その隙きと、群れの薄いところを縫って、なんとかあの大軍を抜けたのだ。


呼吸はバラバラで、みな満身創痍。

だがみんな生きている。

五体満足だ。

付いてきた浜辺の勇者ラビットたちも欠けることはなかった。


俯瞰フォーサイト』も限界まで広げ、危険に備える。

大軍はここより南西100m。

そして範囲600mにそれ以外の敵はいない。

ひとまずわずかの休憩はとれる。

5秒か、10秒か。


「みなさん、回復やコルカの葉を」

「ああ」


アルマの指示でみなそれぞれ、自身に必要な処置を施す。

回復のポーションであったり、噛むエナジードリンクであったり。

その間も俺は警戒を緩めず、600mの監視を維持する。

大軍は、いまだ100m地点。


……ドーム状の爆撃が放たれるたび、小さなひとだけ倒されていく。

それだけで頭が狂いそうになるが、だが。

俯瞰フォーサイト』を緩めるわけにはいかない。


泣き言をいう余裕はない。

ちぎれ飛ぶ彼らの小さな手足を感知できる。

だがそれを耐えなければいけない。

この、死地を脱するには。


「……みなさん、それではがんばりましょうね!」


アルマはこのパーティのリーダーとしてみなを克己こっきした。

喝をいれた。

あえて明るく振る舞った。

ほんとうに頼りになる、俺たちの頭目リーダーだ。


「ああ、そうだなアルマ!」

「はい! 師匠さん!」


アルマと目が合う。

綺麗な翡翠ひすいの瞳。

さらさらとした透き通るような金の御髪おぐし

トカゲマンなんか、アルマの髪を貰って大喜びで、お守りだとかなんだとか。


トリートメントのCMに出られるぐらい……いや。

彼女に敵う女性など、はたして故郷の世界にいただろうか。

それは当然、ここは夢と希望のファンタジー世界で……、


「――アルマ! 危ない!!」


ユーミルの叫び声。

絞りだすかのような。

ふだんは使わない箇所から無理矢理発声するかのような。

その声が言い終わるのと、目の前でアルマが崩折れるのははたして同時だったのか。


ついで耳をつんざく轟音、あるいは銃声。


気がつけば、あたりは闇に閉ざされていた。


------------


彼我ひがの把握に一瞬手間取る。

しかし『俯瞰フォーサイト』を維持した俺には正確に状況が飲み込めていた。


仲間を包むように、土のかまくら。

アルマがとっさに足元へ投じた防御の薬瓶ポーション

暗闇の理由はわかった。

即座に『灯火』を灯し、闇に灯りを投げかける。

そして。


「アルマ!」

「アルマさん!!」


急いでみなで呼びかける。

大事な大事な仲間へと。

みなのリーダーへと。


「……はあ」


アルマは、お腹に手をあて横たわっていた。

そこからは壊れた蛇口のように赤い液体があふれている。

急いでカシスが彼女の背に手をまわし、楽な体勢にする。


ザリードゥが必死に『治癒ヒール』を重ねている。

手を当て、何度も何度も。


「…………。」


溢れる血は止まった。

しかし、ザリードゥの表情は険しい。


アルマは、お腹にあてた手で二度三度、そこをさすった。


そして静かに笑った。

とても乾いた笑いだった。


「みなさん……そして、特に師匠さん」


「大事な、大事なお話があります」


------------


「なんだアルマ……そんなのまず怪我を治してからだな、」

「師匠さん」


強く、気高い瞳に貫かれ言葉を失う。

彼女の眼差しにはヒトをヒト足らしめるものが詰まっていた。


「いいですか」

「あっ、ああ」


「この世界は、近いうちに閉ざされます」

「……えっ?」


「北のまれびと、原初はじまり原罪まちがい

 彼女の領域が……やってきます」

「……そうなのか?」


「フラメルの計算式によれば、4年。

 いいえ、恐らくそれよりも早く」

「……。」


「この大陸は、世界は。永遠の冬に閉ざされます」

「……それじゃあさ」

「はい」


「俺たちはもう、死に絶えるしかないのか?」

「……いえ」

「俺たちは……そう、まれびとは」

「……師匠さん」


積もりにつもった感情で、どうにかなりそうだった。

今までの思いのすべてを彼女にぶつけていた。


「ただ殺されるためにこの世界にばれたのか?」

「いいえ」

「ただひたすらに苦しめられるためにこの世界に喚ばれたのか?」

「いいえ」


アルマは、つよく強く、首を横に振った。

その動きだけで、今はだいぶ苦しいだろうに。


「あなたなら止められます。

 ……いえ、あなただけが止められます」

「……。」


「氷の魔女は……私の推測では精霊術師です」

「……それは」


アスタルテから告げられ、そして決して漏らすなと言われたことだ。

だが、その秘密をここで守る意味を俺は見い出せなかった。


「どうですか、当たりでしょうか?」

「ああ、そうだ。アスタルテから聞いた」


そう俺がひとつの秘密をこぼすと、アルマは心底嬉しそうに笑った。


「ふふふっ、なあんだ。私も結構、天才でしたのね」

「そんなの当然だろ」

「ふふっ、あははっ……」


アルマはお腹を抑え、口のはしから赤いものをこぼしながら笑った。

本当に素直に笑った。


「師匠さん」

「なんだ」


「魔女の侵攻、冬の侵食からこの世界を守ってください。

 あなたには、そのチカラが備わっている。

 まれびとの精霊術師として、破格のチカラが」

「……でも」


「ええ、そう。

 この世界には、救いがたく弁明すらできない醜悪さが確かに在ります。

 師匠さんの故郷、進んだ文明ではすでに解決済みであろう問題があたりまえに残っています」

「……いや、そんなことはないよ」


故郷の世界でも。

新世紀で科学文明ですべてが最先端で最適解で合理的で。

価値観は今がぜんぶ正解で正しくて。


……そうした幻想まぼろしを信じた矢先に様々な矛盾たいりつが待っていた。


「そんなに簡単シンプルじゃ、なかったよ」

「そうですか」


アルマはまたしても笑う。

無理をして笑う。

今このときも激痛に苛まれている自身の身体を無視して。

そんな彼女を見るのは耐えられなかった。


「そうですね。後は……」


アルマは遺言ともとれる話を始めた。


フラメルの遺産はみけに継がせること。

今回のような超遠距離からの狙撃に耐えられるよう、全員が上級の『矢避けアヴォイド』を準備すること。

その他こまごまとしたことをみなに伝えた。


------------


「これで……必要なことはすべて……。いえ……」


アルマは、師匠さんこちらへ、と呟いた。

その言葉を聞き漏らすまいと、彼女の口元へ耳を近づける。


「最後に……余計な話をしていいですか……?」

「いや、余計な話なんてないだろ? アルマの言葉は全部大事だよ」


そう。

この先輩冒険者にして魔術の師が、語る言葉に無駄なモノなどあろうはずもない。

耳をそばだてて集中する。


「あなたのことが、好きでした」

「……えっ」


唐突に。

完全に不意打ちだった。


「最初にお目にかかったときから、一目惚れってやつです」

「……そうなのか?」

「あの指輪……そういう意味にもなっちゃいますかね?」


あの、俺を守ってくれた破格の指輪。

矢避けアヴォイド』『防護プロテクション』そして『大治癒グレーターヒール

あの指輪には、尋常ならざる想いが詰まっていた。


「もしかして、その……アレも?」

「好きでもない男性に、あそこまで距離を許しませんよ」

「そうか……いや、そうだな」

「そうですよ」


彼女はたびたび神出鬼没で距離感皆無であった。

あのゼロ距離遭遇エンカウントは彼女なりのアプローチだったのだ。

ひどく不器用で、ひどく極端ではあったけれど。


「覚えていますか……フラメル邸の夜」

「ああ」

「私……照れくさくて……なかなか言い出せなくて」

「そうだな」

「ようやく勇気を振り絞ろうとした矢先、お兄様の邪魔が入って」

「……アレはアルマが大事だからだよ」

「そうですかね」

「そうだよ」


アルマは、そうですね、そうでしょうね。

そんな呟きを口にした。

残る呼吸で、ひと言口にした。


「イリムちゃんに先を越されちゃいましたけど」

「えっ」


「アルマさん!ごめんなさい!!」


イリムがアルマを抱きとめる。

血だらけの彼女を抱きしめる。


「イリムちゃん、止めてくださいな」

「――でもっ!!」

「まあ、イリムちゃんにはたぶん敵わないかなぁって……だいぶね、最初の頃から……」

「……でもっ!」

「イリムちゃん」

「……アルマさんっ!」

「師匠さんを、最後まで守ってあげ……」


そうして、アルマはそれ以上言葉を紡ぐことはなかった。

息を吐くことはなかった。


「……アルマさん?」


そうして、

そうして。


彼女の呼吸は、だんだんと静かになっていった。

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