第7話 「赤い接触」

「――――――ア……」


 腹部が、燃えるように熱い。

 頭部も、酸素が足りぬと刺すように悲鳴を上げている。


 ここは…‥どこだろう。

 力を振り絞りまぶたを開く。

 枝が複雑に絡み合った空洞が見えた。

 樹上から蹴り落とされ、はるか下方の地面に叩きつけられたわけではないようだ。


 大樹の枝々の、どこかに引っかかったのか。

 幸運なのかそうでないのかよくわからない。

 腹部からは今も血が、生命が零れ落ちている。


 死ぬのだろうか。たぶんそうだろう。死んでしまった少女のように。

 彼女は最後までこちらを見ていた。助けてくれ、と。

 俺にもうすこしの実力があれば……自分の身を守るだけの、しょうもない力以上のものがあれば……


 そのまま、意識が途切れるかと思ったそのとき、自分のいる空洞になにか異質なモノがあることに気がついた。


 それは巨大な骨だった。

 生前の姿をそのまま縫い止めるように枝が絡みついている。


 ティラノサウルスによく似た頭蓋骨。

 恐竜の骨……いや、違う。

 そうだ。たぶんアレだ。

 ファンタジー世界ド定番のアイツだ。


 そう気付いた瞬間、瞬きのあとに竜の骨は消えていた。

 代わりに、枝のコブに老人が腰掛けていた。


「お前さん、ずいぶんな様子じゃな」

 老人はこちらを値踏みするかのように眺めている。


 なんだこのじいさん。…………いや、ああ。なるほどな。

 このジジイはアレだ、化身だか仮の姿ってヤツだろう。

 まったく、どうせなら美少女の姿で出てこいってんだ。


「じいさん、あんたドラゴンだろう」

「…………ほう」

 なかなかどうして……と老人は呟くと「いかにも」と答える。


「ようわかったな、人間の分際で」

「ファンタジーの定番なんでな」


「ファンタ……なんじゃ?」と老人は訝しむが、すぐに「お前さんはそうか。まれびとか」となにやら勝手に納得している。


「しかし、無様なもんじゃな」

「……なに?」

「幼子ひとり守れず、自分を守るので精一杯。あげく腹を刺されのたうち転がってこのざまか」

「…………。」


 ふだんなら頭に血がのぼっているところだが、今は怒る気はまったく湧かなかった。どうせすべて事実だ。


「お前さん、なんで失敗したかわかるか?」

 と、せせら笑うように老人が聞いてくる。


「……俺が弱いからだろ」吐き捨てるように答える。


「そうじゃ、大正解」と老人は楽しそうだ。

「――なにせ、敵を殺す力がないからのう」


「…………。」


「そう、相手の男を殺す力があれば、あの幼子は助けられた」

「守るための最良の手段? ……そんなのは相手を黙らせるのが一番じゃ」

「お前さんの元いた世界がどうだかは知らんがな、この世界では常識よのう」


 いっきにそう老人はまくしたてる。


「…………。」

 非常に一方的で、好戦的な考えだ。

 だが、あの場で少女を助けるためには…………。


「――お前さん、力は欲しくないかの」

 ヒヒヒッ、と心底楽しそうに竜の老人は哄笑こうしょうした。


「あの村には今後も、何度でも人攫いは来るぞい」

「そのたびに毎度、敵を殺す力がないせいで助けられる者も助けられず、うじうじと自分の無力さを嘆くのかい」

「そういうのが趣味ならそれでいいんじゃがな。まあ、無理強いはせんよ」

「そういえば、お前さんは腹を刺されとるな。それも力でなんとかできるかもしれんの」


「…………力というのは?」

 一分ほど考えそう口にした。


 うまく乗せられている気がする。だが老人の言うことももっともだ。

 殺す力、というと物騒だが、戦う力とはそういうものだ。


 この老人の言うとおり、あの場で、チクチクと時間稼ぎなどしていたから少女は殺された。

 一気に片をつけられれば、あの少女は助けられた。

 俺が刺されることもなかった。


「興味があるようでなによりじゃわい」と老人は心底楽しそうだ。

「竜というのはな、」といいかけたところで、「どうでもよいか」と老人は言葉を切る。


「精霊術、というのはわかるか?」


 わかるとも言えるし、わからないとも言えるが、とりあえず元いた世界でのファンタジー設定を答える。


「……火なり、水なり精霊の力を借りて、魔法みたいなことをやる」

「なんじゃ、やはりまれびとは博識じゃの」


 ぶつぶつと老人は呟き、そうそれじゃよと答える。


「儂は火精の集合体である炎の竜じゃ。ゆえに、お前さんにそれを操る力を授けることができる」

「……そんな簡単にいくものなのか?」


「…なに、儂はきっかけを与えるだけじゃよ。それをどう使いこなすかはお前さん次第じゃがの。……さて、どうするかの?」


 どうするか。といっても選択肢はないように思う。

 目下、体からは次々と血が失われている。

 痛みがさきほどからないのも逆に恐ろしい。

 これも力でなんとかできるかもしれないというのは、非常に魅力的な提案だ。


 自然と、俺は、


「……頼む」と口にしていた。

 老人は「重畳ちょうじょう、重畳……」と笑いながら、俺の頭に手を当てて、なにごとか呟いた。


 ------------


 気がつくと、老人の姿は消え失せ、代わりに竜の骨が鎮座していた。

 大樹の枝に絡み取られ、縛られた彼の遺骨は、なにも言わない。


 ……さっきのは、夢だったのだろうか。

  死の際にみるという白昼夢のたぐいか。


 どくどくと流れ出る血。冷えていく体。

 なにも状況は変わっていない。


 そりゃそうか。

 そううまい話があるはずない。都合のいい夢をみたのだろう。


 ――ハハハ、と自嘲気味に目の前の竜の骨に笑いかける。

 と、


 …………なんだ?

 竜の巨大な骨と、それを縫い付ける乾いた木の枝の中から、なにか不思議なものを感じる。目には見えないし、音も聞こえないが、暖かい熱を感じる。


 ……さきほどの老人との会話を思い返す。


 精霊術、火精、操る力。

 この、見えも触れもしないなにかが、そうなのだろうか。

 老人は言っていた

 腹を刺されとるな、力でなんとかできるかもな……と。


 力の使い方も、魔法の術も、老人は教えてくれなかった。

 気付いたら彼は消え失せ、ただ精霊の存在を感じられるようになっただけだ。


 眼前の竜の頭蓋骨、その窪んだただの穴でしかない瞳を見つめる。


 ……ここからなんとかしてみろ。

 そう瞳は語りかけていた。


 -----------


 精霊を扱う、精霊術。


 元の世界のゲームやマンガではあまり採用されないマイナーな魔法だ。

 少ない知識で必死に思い出す、彼らはどう不思議な力を操っていたか。


 ……とりあえず、近くに来てもらわないといけないだろう。

 竜の骨や枯れ枝に潜んでいる火の精霊を、手の届くところに呼び寄せなければ。


「こちらに……きてくれないか」


 と喋ったつもりだったが口から漏れたのはヒュー、ヒューとかすれた音だけだった。

 もうあまり時間は残されていないのだろう。

 しばらく、念を送るように頼み込んでいたが火精がこちらに寄ることはなかった。

 むしろ、頼めば頼むほど舐められているようだ。


 ……ん?

 舐められているようだ?

 なんでそんなことがわかるんだ?


 冷静になって、それから改めて精霊を観察すると、確かに馬鹿にするような空気を感じ取れた。


「…………。」


 さきほどまでのなんとなくそこにいるような……というレベルではなく、はっきりと彼らの存在を感じ取れる。

 舐めて、格下にみて、だから言うことなんか聞かないし、お前のことなんか認めない。

 ……そんな人が最近いたじゃないか。


 ガルムさんだ。

 カジルさんは彼を「狼混じりは弱い奴が嫌いで、だからお前が気に入らないんだ」と。イリムも「ガルムより力は私のほうが強い!だから私のほうが正しい」と。

 もしかすると、火の精霊というのは彼のような性格なのでは?


 ――頼み方を変えよう。


 こちらに来い、と強い念を送る。

 腹の痛みも、殺された少女への無念も、あの男への怒りも。

 すべてを念に変えるつもりで、ただただ精霊へと命令する。


 しばらくすると、周囲の火精がそわそわとしだした。

 こいつはいいんじゃないか、よさそうだ。そんな空気が伝わる。

 そうして、辺りの精霊はすぐ近くに集まってきた。


 ……よし、まずは第一段階はうまくいった。


 ここからどうするか。

 まずは腹の怪我をどうにかしないとここでゲームオーバーだ。

 出血は今も続き、自然に止まる気配もない。


 力が使えれば、なんとかなるかもなという老人の声を思い返す。


 火の力でこの傷を……そうか。


 なるほどね、……やはりあのジジイはいい趣味してやがる。

 やるべき事は決まった。


 指先に意識を集中し、周囲の火精に強く命令を下す。

 ボッ、と火花が迸ったかと思うと、空中に小さな炎が揺れていた。


 第二段階、クリア。


 あとはこれで、出血を止めるわけだ。

 ひとしきり乾いた笑いを堪能たんのうしたあと、思い切って傷口に炎を押し当てた。


「――――――フゥーーーーッ!!!!」


 泣きたくないのに涙が零れる。

 ばたばたと震えだす足を無視しひたすら傷口を焼いた。


 数秒か数分か、意識が飛んでいたらしい。仰向けに転がっていた。

 痛みにこらえつつ体を起こすと、傷口は塞がり出血は止まっていた。


 第三段階……クリア。


 とたんにガクガクと体が震えだす。

 次は……この体の寒さか。

 失われた血液、すなわち体温に加え、いまの荒療治で失われた体力。

 これをなんとかしなければならない。


 熱は、エネルギーだ。食事によるカロリー摂取だって乱暴にいえば熱の獲得だ。

 さきほど、暖かい熱を帯びながら竜の骨や枯れ枝に潜んでいた火精たちを思い出す。


 ……自身の体を、優しく温める。

 ほどよく暖かな熱を帯びた火精を、体中に巡らせるよう命令を下す。

 本来は燃え盛る炎の化身である火精にだ。


 これは、たぶん、一歩間違えれば全身発火で焼身自殺になるな。

 慎重にいこう。

 ゆっくり、時間をかけて、体の末端からじょじょに、メインの腹部の傷まで巡るように。


 寒さが少しずつ薄れ、逆にぽかぽかと暖かい。

 一瞬、髪の先端が焼けたようだが、そんなことで動じるのも面倒になっていた。

 強烈な眠気が襲ってきて、まぶたが強制的に閉じてくる。


 抗おうか、どうしようか。どうでもいいか。

 このまま寝てしまおうと決め目を閉じる直前、視界の端の竜骨は確かに笑っていた。

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