声代わり

南沢甲

声代わり

 いつも考える。

「彼女のために自分に一体何ができるのだろうか。」と。

自分がしようとしていることは、ただの自己満足にすぎないのではないのだろうか。もしくは、届ける当てのない、望まれない罪滅ぼしなのではないのだろうか、と。

しかしいつだって同じ結論を出す。

「考えるだけ無駄だ。だって彼女はとうに—————」



 一二月二十三日、来年度から受験生である以上実質最後である冬休みを翌日に控えた僕だけど、まわりからすればクリスマスやお正月といったイベントを含んだ長期休みとしか思えないらしい。どっさりと配られた課題をまるで考慮しない予定を立てる同級生を見ると、さすがの僕も悪態をつきたくなるというものだ。

 「また三学期に。よいお年を。」

 とは言ってもさすがに無粋であるので、口にはしないのだけれど。

 それに、悪態をつきたい相手なら他にいる。今まさに僕の下駄箱の前に立ちはだかるこの女————斎藤乃々にだ。

「————何の用かな。今日は一緒に帰る約束、してないはずだけど。」

「別に帰らなくてもいいから、ちょっとだけお姉ちゃんに付き合ってよ。明日からクリスマスでしょ?飾りつけ、いっぱい買わなきゃ。それにお年賀だってぜんっぜんたりないんだし。だから荷物持ちとして、水樹に付いてきてほしいんだ。」

「……今年はクリスマスは家では祝わない。それに年賀状だって出さない、というか出せない。今年は喪中だろ。……まあ、斎藤には関係ないけど。」

 そう言うと、乃々は申し訳なさそうな、それでいて悲しそうな顔をして、

「あ……ご、めん。そう……だったね、そう……だったよね……。」

と、ぽつりと、静かにつぶやいた。

 僕は俯いたままの乃々の横を通り過ぎて帰った。少し罪悪感もあったけれど、同じくらいの不快感を覚えたから、おあいこだ。そう自分に言い聞かせた。



 斎藤乃々には親友がいた。その人物の名前は吉良瑞希、僕の実の、双子の姉だ。瑞希は僕と違ってすごく活発な明るい子だった。いつも周りに人が集まり、その人たちをすぐに笑顔にしてみせた。もちろん斎藤乃々も、瑞希に魅せられた一人だった。その二人が特に親密になったのはいつだっただろうか。おそらくは小学生のころ、僕が乃々に告白したことがきっかけだったように思う。人生で初めて思いを告げられたらしい乃々は、あろうことかそれを当の姉に相談した。僕を異常なまでに可愛がっていた瑞希は、「水樹の好きな人=私の好きな人」といった図式で彼女を親友として迎え入れたのだ。それからは、よく三人で遊んだものだ。家が近所だったのもあって、まるで本物の兄弟のようにずっと過ごしてきたのだ——

 ———あの日が訪れるまでは。

 ある日の下校時間、突発的に降ってきた雨。瑞希は傘を持ってきていたけど、僕と乃々は用意をしてなかった。気の弱い乃々のことだ、申し訳ないと思ったのだろうか、用事があると言って一人足早に帰ろうとした。しかし瑞希はそんな乃々に傘を半ば強引に押し付けると、

「今日体育で汗かいちゃって、どうせシャワー浴びなきゃだから。二人で使ってよ。」

と少し意地悪そうに言い、そのまま駆けていった。

 言われた通りに二人で帰っている途中のことだった。先の交差点で、天気に似つかぬ煙が立っていた。よくあること——では決してないがありえないことではない。だから僕は特に身構えずにそこに近づいた。でも、何かおかしい。そう思った。絶対にありえない。そう感じた。だって、そんな赤を見るはずがない、と目が。そんな喧騒を聞くはずがない、と耳が。こんな臭いを嗅ぐはずがない、と鼻が。手の震えが、乾いた口が一斉に僕に現実味のなさを、故にあまりにリアルすぎる現実を、突き付けてきた。

 瑞希は、車に轢かれて死んでいた。。


 二がつ十四にち てんき はれ


 きょうはすごくおどろいたことがあった。

みずきが、ののちゃんにこくはくした。みずきはよわむしだから、おんなのこにこくはくなんてできないとおもってた。

ののちゃんもびっくりしたとおもう。だってきょうはバレンタインデーで、おとこのこはこくはくしないひだから。みずきはわたしがすきだとおもってたから、ちょっとさびしい。

でも、みずきがふられてかなしそうにするのはかなしいから、おうえんしようとおもう。



 私は最低だ。だってずっと、水樹くんを利用しているから。私が瑞希ちゃんのふりをして彼に会うとき、彼は少し嫌がる。けれど、でもちょっとだけ、瞳に瑞希ちゃんを映している。その時だけ、私はまた瑞希ちゃんに会うことができる。あの月のように美しくて、水のように輝いている彼女を、私は、この身に宿すことができる。だから私はもっと、瑞希ちゃんに近づかなければならない。髪型や言動だけじゃなく、声帯や顔のパーツの一つ一つまで。そうやって完璧に瑞希ちゃんになったとき、私はやっと彼女に——。



 瑞希が死んだ後のことは、あまりよく覚えていない。でも、直後のことはよく覚えている。やっと、僕は瑞希から解放されるんだ。と思ったことは特にハッキリと覚えている。

 瑞希は僕に対し、姉弟以上の感情を抱いていた。僕は毎日のように、瑞希から愛されて、愛されつくされた。嫌だった、不快だった。でも、それでも僕が彼女を拒絶しなかったのは乃々がいたからだ。瑞希を拒絶することは、必然的に乃々とのつながりを断つことを意味する。どうしても僕はそれが嫌で、瑞希を受け入れ続けていた。

 でも、もう状況は変わった。瑞希がいなくなったことで乃々とのつながりが無くなるかとも思ったが、そうはならなかった。乃々が、瑞希として僕に接するようになったからだ。好きな人が嫌いな人物の格好をするのは何とも言えぬものがあるけれど、これはこれで使いようがある。乃々は瑞希を演じることに相当強いこだわりがあるようだ。であるならば、瑞希が日ごろ「僕としていたこと」も乃々は行う必要がある。いや、行わなければならない。そのために瑞希の日記も読ませてやろう。あれには僕との行為が書き連ねてある。さぞかし参考になることだろう。もちろん、お互いにとって。



 八月一四日 天気 曇り


 今日はママもパパもいなかったから、また水樹と「おゆうぎ」をした。最初は泣きわめいてた水樹だけど、さすがに五年も経てば慣れてきたみたいで、最近はすんなりと受け入れてくれる。今はまだキスとかしかできないけれど、高校生にもなれば、いろいろなことに挑戦してみようと思う。あ、でも乃々ちゃんとはこんなことしないよう、見張っておかなくちゃ。姉弟以外でこんなこと、しちゃダメだもんね。



 瑞希ちゃんの日記を読んだ。これを見せてきたってことは、水樹くんは私と「そういうこと」がしたいということなのかな。どちらにせよ、私は瑞希ちゃんを演じるだけ。だから私は何もヘンなことをするわけじゃないの。だから、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫————。

 


 

 乃々は思いのほか、いや予想通りというべきだろうか、僕の提案に従ってくれた。僕は瑞希が僕にしていたように、乃々を、大好きな彼女を愛した。夢中だった。好きな人とようやく結ばれたのだと思った。一〇年間のありったけを彼女にぶつけた。何も考えられなかった。それほどまでに、我を忘れていた。だから気づけなかった。乃々の体が震えてることに、乃々が、泣いていることに。

「なんで……泣いてるんだよ……。」

 困惑した。乃々は気こそ弱かったものの、泣いたことは無かったからだ。瑞希が死んだ時だって彼女は涙を見せなかった。

「わかんない……でも、止まらないの……。」

 とても瑞希とは思えない、素のままの乃々が、そこにはいた。

 その様子に僕はある光景を重ねた。それはまさに、幼いころ、僕が瑞希にされたときのものだった。自らの体を抱きしめて、肩を震わせ泣く姿。いつも鏡で見ていた己の姿が、同じように再現されていた。

「っそんなになるなら……!やらなきゃいいんだ!嫌なら!辛いなら!もう演じなきゃいいんだ!瑞希の真似事なんて、もうやめればいいんだ!」

 叫んでいた。心からの言葉だった。もう好きな人の辛い姿を見たくない。ただそれだけだった。

「でも……!私がやらなきゃ、瑞希ちゃんがいなくなっちゃうんだよ!もうどこにも……いなくなっちゃうんだよ……?」

「僕が……いる」

 ふと僕の口から出たのは意外な言葉だった。

「え?」

「僕が代わりになる。どんな時だって一緒にいる。絶対に一人にはさせないから。」

「水樹……くん……」

 大丈夫だ。絶対に一緒だ。だって元々、三人のときからずっと一緒だったのだから。

「あり……がとね……」

「いや、いいんだ。僕のほうこそ酷いことをしてしまった。本当に、ごめん。」

「いいの……。私が望んだことでもあるから。でも今日はとりあえず、帰る……ね。」

「ああ、うん。また明日……」

「うん。また明日。」

 そうやって、その日は別れた。とても、うれしかった。乃々がようやく、僕自身を見てくれたような気がしたから。やっと、彼女の瞳に僕が映るようになったから。今までの彼女は、僕を見ているようで見ていなかったから。目の前にいるのに無視されているようで、とても寂しかった。でも、明日からは違う。僕はやっと、吉良水樹として彼女と向き合えるんだ。

 


次の日、彼女は学校には来なかった。昨日あれだけのことがあったのだ、当然といえば当然だが、なぜか僕は不安をぬぐい切れなかった。学校が終わり家に帰ると、乃々が、吉良瑞希ではない、斎藤乃々がそこにいた。

「乃々、家に来てたんだ。体調は大丈夫みたいだね。ごめん、やっぱり僕のせいだよね。今日学校休んだの。」

と謝ると彼女は

「??何言ってるの?瑞希ちゃん。」

と、ごく普通に、当たり前のように言った。

 一瞬脳が、心が言葉を受け付けなかった。

 だが僕はすぐに全て理解した。ああ、彼女にとって吉良水樹とは何の価値もない存在なのだと。一瞬たりとも、彼女は僕と向き合うことは無いのだと。彼女にとって必要なのは、吉良瑞希だけなのだと。

 悟った瞬間、すべてに諦めがついた。彼女の持ち物からも、彼女が今日欠席した理由の想像がついた。ウィッグに制服にメイク道具……ああ、彼女は僕に演じろというのだ。僕が最も嫌いな女を。その似た顔立ちと声と体格をもって、完全になり切れというのだ。考えてみれば単純な話だ。自分が演じ、それを他人を通して観測するよりも、他人に、それも双子の弟に演じさせたほうがよっぽど正しく手っ取り早い。ただ、それだけの話であったのだ。



 それから、僕は吉良瑞希を演じることとなった。さすがに校内では周りの目があるためできないが、放課後、彼女の家にいる間はずっとそうしていた。鏡を、隠してもらった。あまりの完成度の高さに、鏡を見るだけで瑞希がそこにいるように思えてしまうからだ。でも、乃々はこの姿を気に入ってくれている。僕にはついぞ見せなかった表情を、しぐさを、態度を、この姿の前では易々と見せてくれる。だから僕も、この関係を悪くない、むしろずっと続くようにとさえ最近では思っている。特に彼女は、僕が歌を歌うとよく笑う。生前の姉とよくカラオケにいっていたらしく、そのときのことを思い出すかららしい。思い出す、といっても彼女にとって吉良瑞希はまだ生きているのだが。僕は彼女に姉がよく歌っていた曲のレパートリーを書いてもらった。次に行く時までには完璧にしようと、毎日練習している。そのせいで、最近は喉が枯れ気味だ。

 いつか、もしいつか、吉良水樹として再び斎藤乃々と会える日がくるのではないかと、僕は信じている。わずかな可能性かもしれないが、今はそれだけでもいい。とりあえず、現状僕にできるのは完璧に吉良瑞希を演じることだけなのだ。それだけは、絶対にぬかりのないようにしたい。だから、この喉も、早く治さなきゃいけないんだけど。

 「ったく、いつまで風邪ひいたままなんだよ」

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