海を見た

神崎玲央

第1話

コバルトブルーのその瞳に、僕は海を見た。

僕は、まだ見ぬ海を見た。

綺麗だと思わず漏らした僕の言葉に君が頬を赤らめる。小さく、その金色が揺れた。


君は感受性がとても豊かでころころとよく、表情を変える。君が笑う度、涙を流すその度に、色を変える双眸に僕は幾度も魅了されていった。そう、今日も。

映画、良かったねと笑う君の腕の中にはパンフレット。ほんのりと赤くなった目尻の端には透明な滴が浮かんでいる。

滲むその青色に、僕は思わず目を奪われた。

綺麗だと溢しそうになったその言葉を寸前のところで飲み込んだ僕に、君はその頬を綻ばせてもう、またなの?と口にする。

「あなたまた、見惚れてたでしょ」

ごめんと呟く僕に君はにっこり微笑みながらその首を横に振る。そして少し、恥ずかしそうに

「良いの」

良いのよと声にして僕の手を、握った。


すっかり遅くなっちゃったねと携帯の明かりを灯した君に、そうだねと僕は言葉を返す。

「ご家族、心配してない?」

私は一人暮らしだから何も問題ないけどと続いたその言葉に僕は大丈夫だよとそう返す。

「そっか」

それなら良いんだけど、そう笑う君の唇から白い吐息が、漏れた。

「寒いね」

「寒いねぇ」

そう言って2人で笑い合う。眩いイルミネーションの光が君の瞳に反射した。


僕の住んでいる街に、海はない。

海はない、のだけれど。決して近くにない訳ではなく、電車で1時間とちょっと行った先にその青は広がっている。

だから決してこの街の人にとって、海が遠い存在という訳ではないのだけれど、それでも。僕は生まれて23年一度もその青をこの目にしたことがない。


だからこそ僕は、その瞳に海を見る。その瞳を通して海を、見ている。

広がる赤に夕焼けを、滲んだ橙に朝焼けを。

揺れる青に波を、浮かぶ白に雲を、覗く黒に夜を。僕は、見ている。

その度に僕は目を奪われ、そしてその度にあぁこれなら、これほどに美しいのなら、仕方がない。仕方がないんだろうなあと小さな諦めを生んでいるのだ。

「ねえ、今度海に行こうよ」

そう言って君が僕に笑う。今度行ってみようよと僕に微笑みかける。その小さく細められた青に、僕はぎゅっと手に力を込めた。

「海はね、だめなんだ」

「だめ?」

「そう、だめ」

行けないんだと答えた僕に君はどうしてとその金色を揺らす。

「約束だから」

「約束?」

そう約束と僕はその言葉を繰り返す。

「父さんとの、約束なんだ」

「…お父さんとの?」

「うん、そう」

小さい頃からのね、約束、そう言って僕はそっと目を伏せた。

「どうして海に行っちゃだめなの?」

「さぁ、どうしてだろう」

「理由は、知らないの?」

「うん、知らないんだ」

「…そっか」

そっかぁと呟く君の顔はどこか不服そうだ。そんな君に僕は小さく微笑みながら

「男手ひとつでね」

「うん?」

「男手ひとつで、ここまで僕を育ててくれた父さんが、唯一僕と交わした約束なんだよ」

「唯一?」

「そう、唯一」

唯一、と君はもう一度その言葉を口にすると

「…そっかぁ」

それじゃあ、守らなくちゃねと言って優しく僕に微笑んだ。


「わざわざ送ってくれてありがとう」

遠回りさせちゃってごめんねと君が小さく、眉を下げて笑う。気にしないでと返した僕に君は少し悪戯っぽく微笑んで

「あんまり遅くに帰って、お父さんのこと心配かけちゃだめだよ」

なんてね、とそう言葉を続けた。あははと声を溢した僕に君は小さく背伸びをするとそのままちゅっと音を響かせる。

唇に広がった柔らかな感触に、思わず一瞬目を大きくさせた僕に君はえへへと声を漏らす。そして

「今日はありがとうね」

大好き、そう言ってくるりとその背中を僕へと向けた。

たったと足音を響かせながらマンションへと消えていくその金色に、少しずつ小さくなっていくその背中に。僕は目を伏せながら、ぽつり。

「…ごめんね」

と小さくそう呟いた。


コバルトブルーのその瞳に、僕は海を見た。

その瞳を通して僕は、見た。

綺麗なその色にいつも、思い浮かべるのその姿。写真でしか、見たことがないその姿。

その瞳を通して僕は、まだ見ぬ海を探してる。

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海を見た 神崎玲央 @reo_kannzaki

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