witches 〜Far mily〜

えむ

witches


「エイジ、少し上向いて」

「んー」

「もうちょっと上」

 コウイチの指がオレの顎に触れた。首筋が緊張した。

 うっすら目を開けたら思いのほか近くにコウイチの顔があって、思いのほかその表情は真剣で、

「ぅわ」

「コラ、大事なとこなんだからじっとして」

 唇にひやりとした感覚。細い筆みたいなので口紅が塗られている。

 ドキドキしてきた。目を閉じていることにした。深呼吸したかったけどコウイチの指に鼻息が当たったら笑われると思った。オレは息を止めた。


 こんなことなら引き受けなきゃよかった。

 三日後にせまった高校の文化祭。ウチのクラスは何を血迷ったのか女装カフェをすることになった。オレは自宅で兄のコウイチにプロのメイクをほどこしてもらっている。コウイチはメイクアップアーティストの卵なのだ。


「……よし」

 コウイチの指が離れた。

「ぷはぁ」

「エイジ、息止めてたのか? あはは」

 ……どっちみち、笑われるのか。オレはコウイチを睨もうと思って目を開けた。コウイチの大きな手が伸びてきた。反射的に目を瞑ると、あたたかい手がオレの髪を梳(す)いた。すぽんとカツラを被せられ、髪が整えられるのがわかった。コウイチの手が止まり、沈黙が訪れた。

 おそるおそる目を開けると、コウイチがじっと見つめていた。

「……キスしたくなる」

 びっくりした。時が止まったかと思った。

「……って男子たちに言われそうなメイク、完成」

 なんだよ、驚かせんなよ。

「ったくもー……」 

「エイジ、見てごらん」

 コウイチにいざなわれるまま目の前の鏡を見ると、

「わ……」

 鏡の中にはキョトンとした表情のわりとかわいい女の子がいた……ってオレだけど。そしてオレの横には口元に自信に満ちた笑みをたたえるコウイチ。

「エイジ、どう?」

「ん……」

「あれ? かわいくない?」

「んー。オレが言うのもなんだけどさ」

「うん」

「……かわいい、と思う」

「よかった」

 コウイチはくしゃくしゃとオレの頭をなでた。カツラ越しだけど。コウイチはオレの肩に手を回し、

「なあ、さっきホントにキスされると思った?」

 ドギマギする心を抑えてつっけんどんに返した。

「んなわけないだろって言いたいけど、ちょっと思った」

「エイジ、やらしー」

 なんでオレが。

「だってさ、メイクアップアーティストってゲイ多いんでしょ」

「うわー、偏見ー」

 と言いながら、コウイチはカウンターの向こうのキッチンに向かった。

「エイジだってかわいい子がそばにいたら、キスしたくなっちゃうだろ」

「そばにいるだけじゃ、ならないと思う」

「エイジはまだまだ子どもだなー」

「なんでそうなるの……しかも兄弟なのに何言ってんだよ」

「だからエイジは子どもなんだよ」

「は?」

「あのね、兄弟だとか男同士だとか、常識とか世間の目なんて本気で恋すると吹っ飛んじゃうの」

 コウイチは、そういう恋をしたことがあるんだろうか。頭の中に靄がかかったみたいになった。

「エイジ、もう一度鏡見てごらん。九割の男子がキスしたくなるようなかわいい女の子になってるよ」

 鏡の中のオレは、悔しいけど本当にそのくらいかわいい女の子になってた。

「やっぱ女子どもとは違うなー。アイツら、盛ることばっか考えやがって」

 クラスの女子に教室でメイクされたときは少女マンガの登場人物みたいになった。もちろん、ネットでネタにされる類の少女マンガだ。

「女の子たちも呼べばよかったのに」

「えー? いいよ」

 女子どもはコウイチにメイクを教わりたがっていたけど、家に来させるのはなんとなく嫌だった。

「小森クンたちまで廊下に追いやっちゃって……」

「あ、忘れてた」俺は慌てて声を張った。「おーい、小森ー、ユキオー、入っていいぞー」

 小森とユキオが「なんだよー、やっとかよ」と言いながらリビングに入ってきた。二人しかいないくせにやたらガヤガヤとうるさい。

「ごめんねー、待たせて。今コーヒー淹れてるから」

「あっ、いえいえ、お兄さんは悪くないです」

「どうぞおかまいなくっ」

 コウイチに調子よくぺこぺこしていた小森とユキオ。ふたりは俺を見て絶句した。

「え、マジで……」

「まさか、コレ、エイジ?」

「指差すな。コレって言うな」

 シッシッと手で追い払うふりをした。

「ちょっと待て。君はそんなことをする子じゃない」

 秀才の小森の目がマジだ。

「そうだ。おしとやかで可憐なイメージが崩れる」

 お祭り男のユキオも腕を組んでウンウンと唸っている。

「勝手にオレの性格を構築するなよ」

「オレって言うな」

「女の子らしくしゃべれ」

 コイツら、あとでしばく。

「しっかしすごいですねお兄さん。あのやんちゃ坊主のエイジをこんな美少女にしちゃうなんて」

「やっぱ本格的に学んでる人は違うなぁ」

「クラスの女子のは塗ってるだけだけど、お兄さんのはなんていうか、もう化粧じゃないかも」

「そだな、まるで魔法」

「お兄さん、ヤバい。魔法使いじゃん」

「あはは。魔法使いか、嬉しいな」

 カウンター越しにコウイチの笑い声。

 小森とユキオは俺に向き直ると、

「つーかさエイジ、俺たち締め出してどうすんだよ。メイクの仕方わかんないんじゃ女子たちにドヤされるよ」

「そうだよ、変遷のプロセスが分かんなきゃさ」

「うるせーなー、恥ずかしかったんだもんよ」

 オレたちがやいのやいのとやっていると、

「一応動画撮ってたよ。使う?」

 コウイチがスッとスマホを取り出した。

「マジですか!」

「さすがお兄さん!」

 隠し撮りかよ、というオレの叫びは小森とユキオの歓声にかき消された。

「練習のときは撮っとくんだよ。俺も勉強になるからね」

「努力家なんですねぇ……」

「この弟にしてこの兄上……遺伝子の無情だな」

 小森もユキオもコウイチをうっとりと尊敬の眼差しで見つめている。

「……さっさと学校戻るぞ」

 オレは玄関に向かった。

「エイジ、コーヒー飲んでいきなよ」

「そうだよ、せっかくお兄さんが淹れてくださったんだから」

「俺はいただいてから行く」

 背中に言葉が当たるだけで、誰もついて来なかった。


 五分ほどすると、小森もユキオもやって来た。

 学校までは徒歩十分。近所じゃなければ家でメイクしてそのまま学校に戻るなんてできない。不審者扱いされてしまう。それでもオレはさらにでかい伊達メガネをかけ、顔を半分隠すようにマフラーを巻いた。

 メイクのテクニック、コーヒーが美味かった、イケメンなのに優しい……小森とユキオはオレを挟んでコウイチを賞賛した。たまに胸がチクチクしたけど、それはコウイチへの羨望とかじゃなくてさっきのメイク中のやりとりを思い出していたせいだと思う。


「エイジ、お前最近”兄ちゃん”って呼ばなくなったね」

「あー」

「別にいいんだよ。兄のプライドが傷つくとかそういうのないから。でもなんでかなって思ってさ」

「んー。なんとなく」

「かっこつけてんの?」

「そ、そんなんじゃ……」

「ま、いいけど。ただ……ちょっとさみしいかな」

「は?」

「俺はいつでもエイジの兄貴だよってこと」


 メイクされてる最中って逃げられないんだよな。

 だから、コウイチは言ったのかな。

 いつでも兄貴だ、って話も。キスしたくなる、って冗談も。

 ずるいんだ、兄ちゃんは、いつも。

 オレがどんな気持ちになるか知りもせずに、好きなことを言う。



 文化祭当日。

 オレは再び化粧を施されさらにメイド服を身に纏わされていた。

 クラスの女子たちのメイクは格段にレベルアップしていた。小森とユキオはコウイチからメイク動画を送ってもらっていたからだ。あいつらいつの間に連絡先交換してたんだ。

「ねえ、滝川くん。今日お兄さん来るってホント?」

 女子のクラス委員・島本ジュンコが肩をつついてきた。

「ああ、そろそろじゃないかな」

「メイク教わったお礼言わなきゃだから。来たら教えてね」

「別にいいよ、そんなの……」

「照れないでよー。来たら絶対教えてよね!」

 背中をバンと叩かれた。

 廊下が少しざわめいた。女子の歓声が聞こえた。カーテンで作った間仕切りから覗くと、やっぱり。コウイチが教室にやって来た。

 一応、迎えに出る。

「お。エイジ」

「おう」

「メイドさんか。似合ってるじゃん」

 コウイチがぷくくっと吹き出した。

「笑うなよ……」

 もう少し文句を言いたかったがコウイチの後ろから来た男に目を奪われた。

 コウイチより背が高くてコウイチよりがっしりしててコウイチの侍従みたいに斜め後ろからついて来てる。

 コウイチは振り返り、

「トウマ。ウチの弟」

 トウマと呼ばれた人は、頷くように会釈した。俺も同じような会釈を返した。

「コウイチ。そちら、お友だち、だよね」

「桜井トウマ。俺とタメだよ」

 そう言ってコウイチはテーブルについた。

 トウマさんは、コウイチとは全てが対照的な人だ。コウイチは長めの茶髪だが、彼は短い黒髪。コウイチはおしゃれなニットとパンツルックだが、彼はラフな長袖Tシャツにジーンズ。コウイチの優しげな目と口元とは逆に、キリッとしていて少し怒ってるみたいな表情。

 コウイチはメニューを眺め、

「へえ。思ったよりちゃんとカフェしてるじゃん。女装の子たちもかわいいし」

「おかげさまで」

「俺はアイスティー、と……」

「オレンジジュース」

 トウマさんの声は思ったよりも柔らかかった。

 バックスペースに戻ると島本が弾丸のように飛び出して行って、コウイチにペコペコと礼を言い始めた。

 女子たちはあれやこれやとさえずっている。

「えっ嘘、あれが滝川くんのお兄さん?!」

「めっちゃかっこよくない?!」

「ウチの卒業生らしいよ」

「特待生で大学行けるくらい成績良かったのにメイクの専門学校行ったんだよね」

「そうそう、もう伝説の先輩だよ」

 こんなのは言われ慣れてる。陰口でも、面と向かっても。

「でもさあ、ちょっとゲイっぽくない?」

「わかる。イケメンすぎて、ね」

「一緒に来てる男の人、恋人だったりして」

「お似合いかもー」

 顔が、体が、熱くなった。普通にしてなきゃ、落ち着こう……。

「ちょっとやめなよあんたたち」幼なじみのマナミの声。「エイジのお兄ちゃんがそんな気持ち悪いののわけないじゃん」

 腹の中で、小さな風船が割れたような感覚。

「そろそろ、交代だよな」

「あ、エイジ……」

「着替えてくるわ」

 教室を出る前にコウイチのテーブルをチラリと見ると、女子たちを押しのけ小森やユキオをはじめとする男子どもが群がっていた。「お兄さん、彼女さんと来るかと思いましたー」「小森くんの彼女を紹介してよー」「こいつにそんなのいるわけないじゃないですかー」などと軽口を叩き合っていた。


 着替えを済ませて化粧を落とすと、俺は校庭へ向かった。

 ひと気の少ない部室棟の前で、水道を全開にして水を頭からかぶった。犬のように頭をブルブルと振って水気を飛ばしていると、

「何、こんなとこで青春してんの」

 マナミが腰に手を当てていた。

「……なんだよ」

「エイジ、許してあげなよね。あの子たちも悪気があって言ったわけじゃないんだからさ」

「もうやめろよ」

「だからごめんって」

「お前のことだよ」

「え?」

「ゲイだったらダメなのかよ。気持ち悪いのかよ」

「え……ちょっと、エイジ?」

 俺はどこに向かうでもなく駆け出した。 

 

 コウイチはいつもそうだ。

 俺の気持ちなんて考えない。

 メイク専門学校に入学が決まったコウイチに、一度聞いてみたことがあった。


「……コウイチはさ、なんでメイクアップアーティストになろうと思ったの」

「目の前でさ、みんなが綺麗になってくのってなんか嬉しいじゃん」

「えぇ? そういう理由?」

「いけない?」

「いけなくはないけど……成績だっていいのに、もったいないじゃん」

「成績が良かったら大学に行かなきゃいけないって決まりはないだろ?」

「そりゃそうだけどさ」


 そうやって、いつだって自分の好きに生きてさ。

 何言われたって平気にしててさ。

 走っても走っても苛立ちは止まらなかった。

 頭の中はモヤモヤしたままなのに、心臓はバクバク言う。息が切れる。


 校舎の影から、コウイチが出て来た……トウマさんと一緒に。肩を並べて。

 

 やっぱり、そうだ。

 トウマさん。見たことあると思った。

 コウイチがたまに家に連れて来てる、友達。

 俺に会わないように、親にもに見つからないように、連れ込んでる友達。

 

「ダメだってば。隣の部屋、弟がいるから」

「お前が声を出さなければいい」

「無理だって……」


 あの時の声と、違うから。

 低くて男らしい声だったのに、オレンジジュースを頼んだ声は見た目に寄らず柔らかかったから。


 隣の部屋の弟は、帰るまで声を殺してた。

 玄関が開いた後、窓から覗いてた。

 コウイチに送られ、門から出ていく後ろ姿は、トウマさんだ。


 コウイチがこっちを向いた。

「どした、エイジ。怖い顔して」

「別に」

「女の子は、気まぐれだね」

「女の子じゃないし」

「ほんとだ、魔法、解けちゃったね」

 頬に触れようとする手を払いのけた。

「反抗期かな。恥ずかしいでしょ、こんなとこで兄弟ゲンカなんて」

 また、肩に手を回された。コウイチは細身なのに力が強い。

「エイジ、知ってる?」コウイチが耳元で囁いた。「魔法使いはね、英語でwitch」

 知ってるよ、と身をよじったが離してくれなかった。

「witchは女性形も男性形もない。エイジをかわいい女の子にできる俺はwitchなのかな」

 トウマさんと目が合った。彼は視線をそらさず、俺は目を伏せた。

「エイジ、せっかくの文化祭なんだから楽しみな」

 強い腕から解放された。

 コウイチは猫みたいにスルリとトウマさんの横へと戻った。

「エイジ、ゆっくり帰っておいでね」

 ふたりの魔法使いは「文化祭」と描かれたごてごてしたアーチをくぐって去っていった。

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