龍の紋章 〜北を目指して〜

普通のオイル

英雄の旅立ち

 

 ある夜、ヒロは夢を見ていた。


 それは自分が何か得体のしれない強大な敵と対峙している夢だった。


 夢の中で自分は何かとても大切な物を守ろうと必死に闘っていたが、それが何なのか結局分からないままヒロは目を覚ました。



 ーーー



「勘弁してくれよじーちゃん! 本当に家を出てかなくちゃいけないのかよ!」


「そうじゃヒロよ、北へ向かわねばならん。古い言い伝えなんじゃ!」

 

 ラマ王国の農村に住む15歳の少年ヒロ。彼は、この畑しかない地に住む、他の多くの少年と同じように退屈な日々を送っていた。


 しかし、不思議な夢を見た次の朝、ヒロの左手の甲に不思議な模様が現れているのが分かる。突然のことに驚いて祖父に見せてしまったのが運の尽きだった。


「だから言い伝えって何のことだよ! そんなの俺、聞いたことないんだけど」


「なに、知らないじゃと!?」


 こんなだだっ広い田舎で言い伝えを聞かせてくれる人間なんて身内以外にはいない。

 そしてヒロはそんな話を唯一の身内である祖父から聞かせて貰った覚えなど全く無かった。


「あのな、今から300年前のことじゃ。世界を闇が覆い、陽が昇らなくなったことがある。そしてこの闇を祓った人物がいた。そう! それこそが、かの英雄ミハイル様じゃ。これくらい知っとろうが!」


 ヒロはミハイルなんぞ全く聞いたことがなかった。しかも言い伝え自体もかなり漠然としている。


「知らないよ。だいたいじーちゃんが教えてくれなきゃ誰が教えてくれるんだよ!」


「こんのバカ孫は! 親父に教わらんかったのか! まったく、親の顔が見てみたいわい!」


「その見たい顔はあんたの息子の顔だよ! この耄碌もうろくジジイ!」


 ヒロの父親はヒロが小さい時に若くして死んでしまっていた。


「ええい! それでどこまで話したか……そうじゃ! それでミハイル様はこう仰った。また来たるべき災厄の日に合わせて英雄が必要だと。そして最も適性の有る者に紋章が現れると」


「それがこの手の変な模様だっての!?」


 ヒロは言いながらまじまじと己の手の甲を見つめる。確かに規則性はあるが、とてもそんな大それた模様には見えない。パッと見たらミミズだ。


「実を言うとわしもそんな御伽話は信じとらんかった。じゃがこうして現実に現れた以上、信じないわけにはいかんじゃろう」


「信じてなかったのかよ!」


 言い出した張本人が信じていなかった事にヒロは愕然とする。しかし一応の説得力はあった。


 ヒロは自分の祖父はこれでなかなか結構地に足がついていると思っていた。そしてその祖父がここまで言うんだから少し真面目に聞いてやるか、という気になっていた。


「まあ取り敢えずそこまではわかったよ。それなら何で北に行けって事になるんだよ」


「紋章が現れた者は北にきたれよとミハイル様が仰ったからじゃ。理由は知らん。いや~わしも最近物忘れが激しくなってきたがこれだけは覚えておいてよかったわい!」


 訂正だ。全然地に足ついていなかった。やっぱりこのじじい、ボケて適当なこと言ってるだけなんじゃないか。ヒロは訝しんだ。


「というかそれはいいとしてもじゃ! お前もう15じゃろう? このままこんなド田舎で燻ってたんじゃ男がすたるわ! どうせやりたい事も無いなら一度世界を見て回ってこい!」


 訝しんだのが顔に出ていたからか、痛いところを突かれるヒロ。確かにそれを言われると何も言い返せなかった。ヒロ自身特にやりたいことがあるわけでもないのだ。


「わーかった! わかったよ! 行きゃいいんでしょう? 行きゃあ!」


 ヒロはやけっぱちになって言った。


「そしたらアレだよ? 世界を見て回るってことは相当長いこと帰ってこないからね! それでビッグになって帰って来てギャフンと言わせてやるから!」


 それを聞いた祖父はニヤリと笑う。


「おうおう! 言ったな? ならとっとと準備をして家を出ろ。それで当分帰ってくるんじゃないぞ。すぐ帰って来ても家に入れんからな!」


 実際の所、ヒロの祖父は紋章に纏わる言い伝えはあまり信じていなかった。どちらかと言うと、孫をこんな田舎に縛り付けておくのはもったいない、何か外の世界に出るいいきっかけは無いかと考えていたのだ。


 一方ヒロはと言えば、売り言葉に買い言葉で行くとは言ったが、あまり気は乗らなかった。


 今でも祖父一人で出来ないことを手伝っているくらいなのだ。自分が出て行ってしまえばいったい誰が祖父の面倒を見るというのか。


「お前がいなくたって自分のことくらいなんとでもなる。いいから行ってこい!」


 ヒロの心を見透かしたようなその一言が決め手になった。たしかに祖父の言う通り、いい機会だし世界を見に旅に出るのもありかな、と考え始めたヒロであった。



 ーーー



 鬱蒼と生い茂る森の中でヒロは一人愚痴る。


「雨降りすぎ。ぬかるんでてこれ以上歩けん。俺は何でこの山を越えようと思ったんだ? 今すぐあの時に戻って自分をぶん殴りたいぜ……」


 どうしてこんな事になってしまったのか。そんな自問をするまでもなく自分が悪い事を、ヒロはよくわかっていた。


 故郷タリムの町を出たヒロは北を目指すにあたっていきなり大きな壁にぶち当たった。故郷の北側にはティエンガン天を貫く山脈と呼ばれる山々が東西に延々と伸びているのだ。それは文字通り、人の行き来を阻む巨大な壁だった。


 普通、山脈の北側へ行くには、南にある港から船で海に出て大回りしなければならなかった。しかし、ヒロは海路を使わなかった。なぜかと言うと理由は単純、ただ単に気に入らなかったからである。


 ノリノリで出発したというのによく考えたら無理だったので引き返して来ました、となるとなんとも格好がつかない。旅の初めからそんなケチがつくのはふさわしくない様に思えた。

 それにいずれビッグになる男、こんな山くらいどうした、超えてこそ男だろ! という思いもあってそちらを選択したのだ。いや、してしまったという方が正しい。


 つまり、生まれて初めての故郷以外の世界。始まったばかりのひとり旅に浮かれていたのだ。それはあまりにも無謀であった。


 それでも登り始めて4日くらいは持ち前の体力を生かして順調に進んでいた。食料は沢山持ってきていたし、凶悪な獣が出るわけでもない。しかし5日目からは急に天気が悪くなり始め、もうそれ以降はずっと雨であった。


「ああクソ、こんな事なら船に乗って潮風に当たりながらのんびり行くべきだった。なーにが男は超えてなんぼだ……」


 やっぱり引き返そうかと考え始めた頃、木々の間にひっそりと隠れる洞窟の入り口を見つけた。遠くからでは葉で見えなかったが、近づいた事で見えるようになったのだ。


「ちょうどいいとこに洞窟があるじゃん! あそこでこの雨が過ぎるまで休憩しよう、そうしよう」


 中に入ると、洞窟は予想以上に広かった。家一軒は軽く入るほどの広さである。それに床の部分も平らで寝転がれる。これならば数日は快適に過ごせそうだと思いながらヒロは荷物を下ろした。

 ルンルン気分で服を脱いで、絞って、乾かして、とやっていたら不意に気がした。


「!?」


 普通に考えてみてほしい。こんな良い洞窟、先客がいない方がおかしいではないか。そしてもし先客がいるならこう思うことだろう。急に入ってきて自分の縄張りを荒らす奴は一体どこのどいつだと。

 なんでこんな簡単なことすら思いつかなかったんだとヒロは悔やみながら、とっさに武器である枝打ち用の鉈を手に取った。人と同じくらいの大きさの獣ならばそれでギリギリ何とかなるかもしれない。しかし事態はヒロの予想を遥かに上回ってきた。


 


 意味がわからなかった。普通、猫科だとか狼だとかそういう動物を想像するだろう。それが岩なのだ、何度見ても岩。それにとてつもなく大きかった。軽くヒロの倍はあろうかという大きさ、そしてよく見るとそれは人型をしていた。

 状況を把握しようと危険も忘れてまじまじと見つめてしまったのが良くなかった。その岩人間は止まっているヒロにグワッと近づいてくる。


「ッ!?」


 目を瞑って声にならない悲鳴をあげながらヒロは思った。ああ、俺の冒険もここで終わりか。ごめんよじーちゃん、出かけて一週間でお陀仏だよ。こんな不甲斐ない孫だけど今まで育ててくれてありがとう。

 しかしいつまでたっても衝撃は来ない。恐る恐る目を開けるとやはり岩人間は変わらず目と鼻の先にいた。止まってじっとこちらを見つめている。

 恐怖でどうすることも出来ずにいると、さらに驚くべきことが起こった。


「オマエ、ニンゲン?」


「……」


 岩が喋ったことに動揺して、押し黙ってしまったヒロを責められる者はいないだろう。しかし、それを見た岩人間は通じなかったと思ったか、もう一度ゆっくりと聞き直した。


「オマエ、ニンゲン、カ?」


 お、お、落ち着け、ちゃ、ちゃんと答えなきゃ……ヒロはそう思いつつなんとか返事をする。


「あ、ああ、オレ、ニンゲン。あの、なんていうかその、俺のこと食べたりしちゃう? たぶんあんまり美味しくないって思うんだ?」


 緊張のあまり片言になってしまったが、とりあえず自分は美味しくないというアピールする。それを聞いた岩人間は一瞬ポカンとするとクックックと笑って言った。


「イワゾクハ、ニンゲン、タベナイ」


 どうやら岩族を自称するこの謎の生き物は人間を食べたりはしないらしい。ヒロはお陀仏せずに済んだことを神に感謝した。

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