春の魔物

えむ

春の魔物

 自分が自分でなくなってしまうような感覚に陥ったことがあるかい?


 うつ病とか解離性障害とか、「自分が自分でなくなる感覚」が主症状の病気もある。

 けれども、そんな精神の病気に罹っていなくても「自分が自分でなくなる感覚」を抱くときは誰しもあるものだと思ってる。


 誰がどのくらい「自分が自分でなくなる感覚」を抱くものなのかはわからない。

 ただ、僕は多分、その感覚に陥りやすい傾向があるようなんだ。

 僕はそれを「春の魔物」と呼んでいる。


 例えば……そう、まず思い出すのは、志望校の合格発表を見た帰り道。

 不合格だったらそりゃあ自分が自分でない感じにもなるだろう。

 でもね、僕は合格していたんだ。

 それなりに喜んで、友人たちともおめでとうと言い合って。

 なのに、来春から通う憧れの学校からの帰り道。

 横断歩道で、突然「自分が自分でなくなる感覚」がやってきたんだ。

 真昼間なのに、急に視界が暗くなった。

 冬から春にかけての時期によくある晴れの日。まだ肌寒いけれども雲ひとつない晴天だったのに。

 暗転していく世界。それとともに、悪寒のような鳥肌のような皮膚の違和感が足元から脳髄まで駆け上がってくる。

 音声にならない叫び声のような、耳栓をしているから聞こえないけれども腹の底で誰かが叫んでいるような、切羽詰まった焦燥感にかられる。

 僕のそばを行き交う人たちの息遣いや携帯電話で話す声が、聞こえなくなったと思ったら今度はやけに大きく聞こえる。うるさい。黙れ。苛立ちで脳が沸騰しそうだ。

 何か大事なものがどんどん薄まっていくような感じがする。現実感というのだろうか。確実にここに存在している、という感覚がなくなっていく。

 心臓は文字通り早鐘のごとく打ち、喉の奥にゴルフボールでも詰められたかのように呼吸が苦しくなる。吸気は細いストローでタピオカを吸うようだ。呼気は喉仏を震わせてゼエゼエ言っている。

 言葉にならない恐怖感が押し寄せる。

 恐怖と不安におしつぶされて、理性の回転数がどんどん鈍くなっていく。

 それなのに、わけのわからない自問だけは次々と頭に浮かぶ。


 なぜぼくはここにいるのか?

 ぼくは何者なのか?

 ぼくはだれ?


 とてもじゃないけど歩き続けることなどできなくなって、横断歩道の途中で立ち止まる。

 もう二度と、ここから動くことができないんじゃないかとすら思う。

 どうやってここから移動すればいいんだろう?

 誰に動かしてもらえばいいんだろう?

 さっきの自問がさらに強くなる。


 ここはどこなのか?

 なぜぼくはぼくなのか?

 ぼくは何?


 次の瞬間に、狂人となって倒れ伏してしまいそうな恐怖。

 それなのに、叫び声すら、助けてというヘルプすら表現できない、かなしばりのような状態。


 必死に「助けて」と叫ぼうとしていると、

 プァ、プァー!

 ヒステリックな警告音が三半規管に響いた。

 自分が自分でなくなるだけでなく、ついに言葉すらなくしてしまったのかとさらに焦る。

 しかし、それは車のクラクションだった。

 信号が変わっていたのだ。

 僕は慌てて駆け出した。

 さっきはあれほど「もう動くことなどできない」と思い込んでいたのに、足はすぐに動いた。



 ……僕は、似たような体験を、なんども繰り返してる。

 いつも同じ時期に。

 冬から春への変わりめだ。

 だから僕は、あの、発作のような「自分が自分でなくなる感覚」を、「春の魔物」と呼んでいる。

 なぜ、突然「自分が自分でない感覚」がやってくるのかはわからない。

 冬から春にかけては環境変化が多くてストレスが強くなる時期と言われているけれど、別に環境が変わらないときにも、「春の魔物」はやってきた。


 僕は、わからないなりに推測している。

 「春の魔物」は、僕の中の僕。

 僕の中の僕が、僕にささやくのだろう。

 これでいいのか? と。

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春の魔物 えむ @m-labo

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