日日項

@ta_mius

第1話 75粒のコーヒー豆

 珈琲が好きだ。


 珈琲の味が好きなのかもしれないし、珈琲が好きな人たちが好きなのかもしれないけれど、珈琲を含む系全体がぼんやりと好きだ。豆について詳しいわけでもないし、淹れ方が上手なわけでもないけれど、東南アジアを旅した時にカンボジアとベトナムでそれぞれ珈琲を購入するぐらいには珈琲が好きだ。


 例えば冬、ストーブのムっとする暖かさの中、その日しなければならないことを思い浮かべながら動きたがらない体と対峙する時、私は珈琲を淹れる。えいやっと体を動かしてキッチンに赴き、冷蔵庫に入っている豆を取り出し、ミルとカップを食器棚から下ろし、ヤカンに水を入れる。ここまでが下準備だ。ここから『珈琲を淹れる』作業が始まる—下準備だの作業だのと宣っているが、これは単に精神的な分類でしかないことは注しておきたい。さて、ヤカンを火に掛ける前に豆に取り掛かる。この工程は少し時間がかかるので、先にヤカンを火にかけてしまうとせかされてよろしくないからだ。一般に珈琲一杯を入れるのに使う豆は8g~13g辺りだそうで、これを粒数にすると60~90粒らしい。かかる偉大な作曲家、ベートーヴェンも珈琲好きで、ちょうど60粒で以て珈琲を淹れていたそうだ。その点、私はきっかり75粒で淹れる。大体このぐらいが10gぐらいだろうと勝手に考えているからだ。袋の豆を2,30粒適当に手で掬い、手のひらで5粒ずつ数えていく。昔は2ずつ数えていたが、遅いし5粒ぐらいなら目視で数えられるのでこうなった。CPUのマルチスレッド化みたいなものだと勝手に思っている。因みにわざわざ豆を数えるのは我が家に秤がないからで、それ以上の理由はない。秤を買うことも考えたが珈琲を淹れる以外で秤が必要になったことがないのでやめた。

 数え上げた豆をミルに入れ、豆を挽く前にヤカンを火にかける。そしてお湯が沸くまでの間に豆を挽く。これが結構重くてうるさい。友人が電動のミルを持っていたがそれもかなり喧しかった。そのぐらい珈琲の豆は硬い。

 豆の硬さを感じながら挽き終えると、ペーパードリップの準備をする。マグカップにドリッパーをのせ、フィルターの横と底辺のつなぎ目を互い違いになるように折ってドリッパーにのせる。

 挽いた豆はまだミルの中だ。お湯が沸いたらまずはフィルターに流す。フィルター自体の臭いを取るためだ。フィルターの臭いが染み出たお湯をさっと流し、挽いた豆をフィルターに入れる。気持ち程度に豆を均し、全体にお湯をまわして30秒~1分ほど蒸らす。時間は感覚だ。数えることもしない。面倒だから。

 お湯は中心から「の」の字を描くように注ぐ。昨今はインターネットでプロのバリスタが珈琲の淹れ方を山ほど公開しているが、結局どれも要領を得なかった。

「おいしく飲めたらええねん。」

そう思うようにしている。

 大体の時、私はブラックで珈琲を飲む。75粒の豆をしっかり使っている気分になるからだ。ちびちび飲むので牛乳が入っていると口の中がだんだんと酸っぱくなってきて口臭が気になってしまうのもある。


 と、尤もらしい理由を述べたが、牛乳と砂糖を入れた珈琲牛乳もたまに飲む。砂糖はうんと入れて甘めにするのが好きだ。さらに言えば、今この文章を書きながら私は甘くした珈琲牛乳を飲んでいるし、口の中は牛乳で酸っぱくなっている。

 牛乳によって口当たりは柔らかになり、舌の上でほっと甘さがほどける。珈琲自体の自己主張は抑え目ながらも、この飲み物の盤石な基礎としてどしっと構えている。それはちょうど、お城の石垣のような存在だ。天守閣は牛乳や砂糖といったところだろう。石垣だけの城跡でも観光には十二分に値するし、天守閣が乗っているのも当時の姿が垣間見れてよい。珈琲もちょうど、そんなところだ。

 すこし脇道になるが、昔、友人が「イタリアでは、『人生は苦いものだから、珈琲ぐらい甘く』って言葉があるらしいで」と言っていた。彼は高校の同級生で、放課後や休みの日に一緒にカフェ巡りをした。そういうのも悪くない、と言いながらブラック派だった私は当時微塵の甘さのない珈琲を飲んでいた。


 さて、兎に角この不思議な飲み物に馳せる思いは、無限遠に達するに能うように感じる。かの国ではどのように飲むのだろうか、あの人はこういった珈琲が好きだったな、と。

 ふと、「これはカフェインに起因するものかな」とも考えたが、それも含めてこの飲み物の持つ魅力だろう。結局、言いたいことは、


珈琲が好きだ。



追記(2022-08-16):

最近は秤を買って、重さを測って淹れるようになりました。

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