第13話 資格

「はぁぁぁ~~~~」


 マリアナ海溝のごとく暗くて深いため息を吐いた僕は教室で、自分の机に突っ伏していた。


 今は放課後で、ガタガタと椅子を引く音を鳴らしながら、クラスメートがそれぞれの目的地へと足を運び始めている。もちろん、約一週間ほど口をきいていない冬知屋さんも例に漏れず、教室をとっくに後にしている。黒野ももう教室にはいない。


「はあぁぁ~~~~~~」


 ため息が止まらない。ため息をすると幸せが逃げると言うが、本当は幸せが逃げたからため息をするのではないか?


 そんなどっちでもいいことを考えていないと、辛くて頭がおかしくなりそうだ。


 やっぱ、今村との一件が原因だよな。


 あの日、僕はコテンパンにされた。まあ、そこよりも僕は冬知屋さんを危険な目に遭わせてしまったことに責任を感じずにはいられないのだ。


 どうして守ってやれなかったのか。もっと他に方法がなかったのか。


 いや、あったんだ。僕がもっと早く決断して行動に移していれば、冬知屋さんに嫌な思いをさせずに済んだに違いない。


 あああぁぁぁ。冬知屋さん優しいから絶対気を遣っている。気を遣ったゆえに最近、距離を取っているんだ。


 いや、でもその考えはあまりにも自分中心的で、楽観視していないか。女の子一人満足に守れないダメ男と思われているかもしれない。その可能性はある。というか、そっちのほうがありそうだ。


 ぐあぁぁぁ。いやだぁぁぁ。

 頭がいくつあっても抱え足りない。


 だせえ。あの日の自分の情けない姿がリフレインして、僕を苦しめる。


 机がカタカタ震えるほど、顔面をめり込ませ、う~んと唸っていると、後ろから小鳥のさえずりのようなか弱い声音が聞こえてきた。


「あ、あの……芦谷君……どうかしたんです……か……?」


 ん?誰だろ?と頭に疑問符を浮かべて、振り向いてみると、そこには千花さんらしき女の子がいた。


「え、えっと……千花さん……で合ってるか?」


「は、はい……千花羽衣ちはなういです……」


 千花さんだと自信を持てなかったのは、まあ普段からクラスメートのことをあまり気にしない僕の性格のせいでもあるのだが、主な理由はいわゆるイメチェンをしていたのだ。


 ツインテールだった髪はセミロングくらいの長さに真っすぐおろされていて、前髪がヘアピンで留められており、以前より明るい印象に。


 そして最も変化がわかりやすかったのは、メガネをかけていないことだった。


 元々、顔が整っていたのか。ちょっと手を加えただけでこんなにも印象が変わるんだな。冬知屋さんも美少女なのだが、千花さんはどちらかというともう少し可愛さにリソースが割かれている感じだ。


 なるほど、黒野の言うとおりだったってわけか。あいつやるな。


 僕は座っている椅子の向きを千花さんの方へ向け、姿勢を正した。


「イメチェンしたんだね。似合ってると思う」


「あ……ありがと……変えたの一週間くらい前だけど……」


「あ、ご、ごめん!最近ちょっと取り乱してて気づかなかった」


 一週間前ってあの事件の時ってことか。あのとき、ていうか今もだけど、冬知屋さんのことで頭がいっぱいだったもんな。我ながら好きすぎだろ。呆れるほどに。


「ふふっ」


「どうかした?」


「いや、芦谷君ホントに紗希ちゃんのこと好きなんだなって思って」


「うぐっ!?」


 思わぬところから図星を吐かれて、変な声を出してしまった。


「ど、どうしてそれを!?」


 千花さんはスローペースで無気力なオーラを纏わせて、次々と言葉を投げかけてきた。


「そんなの見てればわかるよ。一日だけだけど、教室で紗希ちゃんとすごく仲良さそうにしてたし。かと思えば、次の日から今まで全然口きかなくなるし。それでね。この一週間、芦谷君ずっと冬知屋さんのこと目で追いかけてたよ。もう傍からみてもバレバレ。ちょっと面白かったくらいだもん」


「穴があったら入りたい気分だよ」


 そんなに見てたのか僕!?不躾に見ないように見ないようにと強く意識していたはずなのに。ってそれって結局冬知屋さんのこと意識してるじゃないか。アホだな。


「それで?今も紗希ちゃんのことで悩んでたんでしょ?」


 諭すように次を促されたので、僕は自然と声にできた。


「まあな」


 千花さんは純粋な光を含んだ瞳でこちらを視界に捉える。


 そして、僕は気になったことを直接ぶつけてみる。


「千花さん、冬知屋さんと仲良さそうだな」


「うん。今村君にいじめられた次の日に紗希ちゃんが声を掛けてきてくれてね。昨日は助けてあげられなくてごめんって何度も謝ってきてくれたの。悪くないよって言ってるのに、絶え間なく心配してくれて、その流れで、よく話すようになったの」


「そうだったのか」


 冬知屋さんやっぱり優しいんだな。僕のことはからかうけど。いや、からかっていた……か。あぁぁぁ!この事実ももう過去の思い出なのかぁぁぁ!あの時に戻りたい、切実に。


「それで?何があったの?」


 千花さんは感情を表に出すのが得意ではないのか、表情を変えずに疑問を呈してきた。


 そして僕はあの日のことを極力全部話すことにした。(冬知屋さん個人の事情に関することは伏せておいた)


 あらかた話し終わってから、千花さんが一言発した。


「芦谷君は青春してるね」


「まるで他人事だな」


「んー。だって私は恋とかわからないし……」


「そうなのか?」


「そうだよ。好きな人はできたことないし、今もいないよ」


 確かに自分から恋路に走るようなタイプには見えないかも。でも、イメチェンした現時点での見た目なら言い寄ってくる男子も多そうだけどな。黒野とか黒野とか黒野とか。


「でもね。それでもわかるよ。芦谷君が紗希ちゃんのこと大切に想っているのは」


 千花さんは確かな温もりをもって僕の悩みに接してくれた。


「それはそうなんだけどさ。僕の近くにいたら冬知屋さんが不幸になるんじゃないかと思うと、踏み込めないんだよ」


 だが、素直に首肯はできない。これは僕の気持ちではなく冬知屋さんの幸せで判断しなければならないからだ。


「そんなことないよ。紗希ちゃんは芦谷君と仲良くなる前から芦谷君の話ばっかりしてたの。遅刻してたとか寝ぐせついてたとか居眠りしてたとか……」


「あら探しじゃないか……」


 僕にかかわりを持つ前から、からかうネタ集めしてたのかよ。そりゃあ、勝てないわけだ。


「だからね。芦谷君が紗希ちゃんに構ったら不幸になるなんてことないんだよ」


「でも、実際あの時、冬知屋さんをひどい目に巻き込んだんだ。冬知屋さんを泣かせてしまった。そんな僕は許されていいわけがないんだ。冬知屋さんの隣にいる資格なんて僕は持ってないんだよ!」


 気づいたら、語尾が少し荒っぽくなってしまった。これは千花さんにというより、自分の言い分が自分の不甲斐なさに突き刺さり、どんどん感情が高ぶってしまったのだろう。


「ご、ごめん。いきなり声を荒げちゃって」


「う、うん……別にいいよ……」


 十秒ほど気まずい沈黙が流れ、何か言おうかと僕が口を開こうとしたとき、千花さんが呟くようにそっと考えを漏らした。


「資格ね……そんなの持ってなくて当然だよ」


「え!?」


 千花さんの意見に驚きを隠せず、頭に結構な数の疑問符が浮かぶ。


「だって芦谷君って紗希ちゃんと過ごした時間短いよね?何分?」


「そこまで短くはないぞ。ま、まあ一日と数時間くらいだな……」


「だよね?そんなんでよく僕には資格がないなんて悟れるね?何、紗希ちゃんのことわかった気になっちゃってるの?調子に乗らないで」


「ちょ、ちょっと落ち着いて。なんかキャラ変わってるぞ」


 千花さん怒らすとこんなに怖いのか……


 声のトーンこそ、無気力で覇気はないのだが、それがかえって底知れない怒りを感じ取らせる。この子の逆鱗にだけは触れてはならないと固く決心をつける。


「落ち着かない。あんなに可愛くて優しい女の子のこと、たったそれだけの時間でわかるわけがないの。ねえ、知ってる?紗希ちゃんの好きな食べ物?ドーナツだよ。ドーナツを見るとね。ふにゃって表情筋を緩ませて、一心不乱に食べ始めるの。普段落ち着いた印象なのに、ドーナツを前にするともはや小動物にしか見えない愛くるしさが生まれるんだよ。そのギャップ見たことあるの?ねえ、芦谷君?」


 冬知屋さんのことになるとすごい喋るよこの子。途中豆〇ばみたいだったねって言おうとしたが、下手をすると殺されかねないので口をつぐんだ。


 にしても冬知屋さんドーナツ好きなのか。我を忘れるほどに。確かにその情報は知らなかったな。


「そうだな。千花さんの言う通り知らないこともあったよ。でもやっぱr……」


「だよね?そうだよね?芦谷君は紗希ちゃんのこと何にも知らないの。紗希ちゃんにわかなの。その点私の方が紗希ちゃんと一緒にいた時間長いし。私の方が紗希ちゃんのことわかってるし。なのに僕といたら不幸になるとか適当なこと口にしないで。もう一回言うよ。芦谷君は紗希ちゃんにわかなの!」


 そう真剣な眼差しで主張されて、千花さんは余程、冬知屋さんのこと友達として好きなんだなって思わされた。そして、同時に自分が冬知屋さんのことをぜんぜんわかってなかったということを痛感した。


「紗希ちゃんにわかか……」


「自分勝手にうじうじしている人が紗希ちゃんのこと呼び捨てにしないで」


「す、すまん」


 ストンと腑に落ちた言葉だったのでうっかり口を滑らしてしまった。そして一息ついて、胸の内で膨れ上がった気持ちを吐露した。

 

「じゃあ千花さんの言うように僕は冬知屋さんに構ってもいいとしよう。でも、資格のない僕はどんな顔して冬知屋さんと話せばいいんだ?」


 冬知屋さんについては僕より先輩の千花さんの厚意に思わず、頼ってしまった。


 でも仕方ないだろ。本当にどうしたらいいかわからないんだ。どうしたら冬知屋さんのためになるのか。


 千花さんにいくら熱弁されても、どうしてもこの疑問を拭い去らないと、前に進めないんだよ。


「資格がないなら資格を取りに行けばいいじゃない」


「資格を取りに?」


 思わず、オウム返しにしていた。


「芦谷君はそもそも順序がおかしいの。資格があるから話しかけていいんじゃなくてね。資格がないから一生懸命話しかけるの。それで相手を知って、自分を知ってもらう。それができて初めて資格がもらえるの。私、間違ってる?」


 そう言われて全身にビリっと電撃が走ったような感覚を覚える。不安が取り払われ、自分がどうすればいいかの道しるべのピースがぴったりと嵌まっていくようだ。


 僕は思いあがっていたんだ。いきなり告白みたいなことされたと思ったらその日のうちに家にころがりこんできて、一緒に晩御飯食べて、次の日の放課後には映画デートができたあの状況に。


 あまりに濃密すぎたから、勝手に冬知屋さんのことわかった気になって、勝手に彼女の気持ちを察したつもりになって、勝手に距離取って……


 僕が今していいのは決して諦めるというような自己完結じゃない。隣にいるための資格を手に入れるために前を向くことなんだ!


「いや、間違ってない。間違ってないよ……」


「だよね?わかったんだ。紗希ちゃんにわかのくせに」


「怒ると、辛辣になるのな、千花さんって」


「別に怒ってないし……」


「あとよく喋るんだな。そっちの方がいいと思うよ」


「芦谷君に言われたくないんだけど」


 千花さんはあくまでダウナーな雰囲気を崩すことなく、舌鋒鋭く反論してくる。僕の心の闇を取り払ってくれたからか、黒野とは違ったテンションで相手にできる友達になれそうだ。


 千花さんは短くため息をついて、でも、その瞳には優しい光が宿っていた。


「芦谷君はあのとき私を助けてくれたんだから。そんなかっこいいことができるんだからきっと紗希ちゃんも振り向いてくれるよ」


「千花さん……」


 かっこいいか……

 あの日冬知屋さんにも言われたなと思いだすと、胸がジワリと温かくなった。


「ありがとう。助かったよ」


「そう。がんばってね」


 応援の言葉を残してくれた千花さんを背に僕は教室を後にした。


 さて、さっそく冬知屋さんにアプローチをかけるかと意気込んだのも束の間、廊下の窓から見えた外の景色に僕は息をのんだ。ゆっくりしてる場合じゃないぞ。


 冬知屋さんと今村が二人で歩いていた。そして、なにやら人目につかなそうなところに向かっているような気がする。


 そう思った僕は考えをまとめてから、一本電話を入れることにした。

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